【資料】「再びエスペラントに就て」『大阪朝日新聞』1906年4月26日
1906[明治39]年4月24日の『大阪朝日新聞』に掲載された「エスペラント」に続き、翌々26日には「再びエスペラントに就て」が掲載される。こちらも暘城(土屋元作)によるものである。
以下その全文。読みやすいよう、仮名遣い、難漢字、当て字などはあらため、適宜句読点等を補った。
過日「一日一題」中に万国語エスペラントの事を記せしに、何ぞ料らん日本にて既にその授業を開始し居る人の有らんとは。其の学者の姓名は其の人の紙上に公にするを好まざるを以てここに記載せざれども、英国人にて久しく日本に住し、某学校に教鞭を執りつつ有る先生なり。この人昨年の九月よりエスペラント通信教授を始め、今日まで内外人合わせて五百四十六人の入門者あり、其の内四百八十人は日本人なりしと云う。卒業期は二箇月にて、一回二回三回は既に結了し、近々第四回通信教授を開始すべしとの事にて其の広告が我が社に頼み越されたり。(本日の紙上を見よ)英語に熟達せる人にて学習希望の向は広告一見の上、住所姓名を記し通信料を添えて申込まるべし。但し冷かし半分の申込は紹介者に於て真平御免なり。(暘城)
「授業を開始し居る人」とは、当然ガントレット(George Edward Luckman Gauntlett, 1868-1956)のことであり、「本日の紙上を見よ」とあるとおり、同日10面には「第四回エスペラント通信教授」という広告が載っている。
その後、5月12日3面に掲載された「エスペラント学習希望者に告ぐ」によると、申込者は28名だったとのこと。