気分の人
今年は、カラス、熊、鹿、ポプラの綿毛、猛暑、そして仕上げは雪虫と、今までにない自然現象、動植物の盛んな行動で驚かされた一年だったように思う。
雪虫に至っては、白いコートなど着ていたら、前も後も腕も衿も、黒ごまにまぶされたような状態になり、どうしてよいか驚きよりも気持ちが悪かった。
家の陽当たりの良い窓ガラスには、夕方から夜にびっしりとその雪虫が貼り付き、ベランダの床を見ると、黒い胡麻で埋まっているようにも見え、ぞぞっと背筋に冷たいものが走り、騒いでもどうなるものでもなく、自然現象の力にひれ伏すしかないのかとも思ってしまったりだった。
雪虫については、休みの日に、さてさてどのように掃除をすべきかと考えていると、朝日が強くキラキラと輝き出すと、雪虫がなんと飛び立ち始めた。
えっ?えっ?雪虫は何かに貼り付いた瞬間に命の火が消えるのではなかったのか?と、ぼんやりと観察していると、1時間もすると、窓ガラスについていた雪虫は消えていた。ただ、ベランダの床の黒ごま状態の虫は、そのままで、不思議な思いで、頭では掃除、気持ちとすると、なぜかなぜかと不思議でならなかった。
雪虫が発生して約2週間後に初雪が降るというのが例年の定説で。ところが今年はすでに1ヶ月間、雪虫に悩まされている。
職場でも、開けてもいないのに、窓の内側に雪虫の死骸があったり、1階ロビーでは、コートを脱いで払ったり、頭を振って髪に付いた雪虫を払ってる人も多かった。
数ミリのごくごく小さな虫ゆえ、髪や顔についたりしても処理がやっかいで、私は目の中に入ったことも。目を洗って、目薬をさしても、気持ち悪いという感覚は抜けなかった。
その日から、しっかり眼鏡をしてマスクもつけて、振り払い易いスルスルした素材のコートにして、ストールやマフラーも、素材に気を遣うようになった。
今年は雪虫に小さなアブラムシも混ざっているらしく、街中が臭いという人も。
私はそうそう気分屋さんではないのですが、世の中には気分屋さん、気分第一の人もいて。雪虫に悩まされはじめた時と同時期に、ある気分屋さんと、多々打ち合わせ、交渉ごとがあり、気分第一の人の難しさを痛感させられた。
しかし、しかし、気分て何?気分で物事を決定などさせてなるものかと、私はおかしな闘志に燃えて闘ったようにも。
「気分がですね、、
今日は気分が良くないのです。」
(あなたの気分など、関係ありません、
どのような意味で気分が良くないなどと、当たり前の風に言うのですか?、、ムカッ)
「今朝、大通りは雪虫の大群でした、
気分が悪くなりました、、」
(それは、あなただけではありませんよ、私は目の中にまで、雪虫が入って、、あー、なんでしょ、気分が悪いのはこちらです)
「どうも、よくない、、次回にしましょう、、気分がのりません、」
(馬鹿なこと言わないで下さい、
今日、決めます、時間がありません、)
気分次第、気分屋、気分で予定変更出来るなどあるはずもなく、ただ、気分第一を通してきた人もいるのだと、こちらのほうが気分悪くなりながらも、のらりくらりとこちら側の意図するように進めてきて。
いつもの相棒2人は、
少しヒヤヒヤしながらも、
「よく耐えたな!いつブチキレるかとヒヤヒヤしてたよ、、」
「あのように自分本位で、あの年齢まで生きてこれたのは、才能でしょうか?財力でしょうか?」
しかし、私としては、違う、才能でも財力でもない、あの人は狡いのだと、断定していた。狡さなどに負けてはならない、気付かぬ風を装いながら、狡さを許していてはならないと、1人心に決めていた。
さて、
気分屋さんとの仕事も終わり、あとは本当の白い冷たい雪を待つだけ。
空に白い冷たい雪の妖精が舞い始めると、空気は澄む。
あともう少し、、、、