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藤本タツキ『さよなら絵里』を映画好きで漫画を描いている私の視点から感想を書く!【個人の感想です】


絵な子です。

藤本タツキの200ページの読み切り『さよなら絵里』を読んだので、感想を書きます。
なんで感想を書こうと思ったのかというと、私が映画好きで漫画を描いているからです。これは…すごすぎるんじゃないか?ということで書きます。個人的な感想だと、完璧な一本の映画だと思ったのですが…。


まず、リンクを貼ったのでこの漫画を読んでください。

それで

ネタバレ含みながら書きます。





では書きます。ネタバレのことだけなので読んでない人は読んでください!

何がすごいのかをあまり考えずに羅列してみます!

1.漫画で映画を完全に再現したという点
2.主人公が映画を作る才能があったというところ
3.伏線をちゃんと回収するところ
4.飽きさせない展開
5.終わり良ければ総て良しという言葉がありますが…

こんなんですかね…すみません適当に私が思ったことだけ書きます!
個人的な感想です!

1.漫画で映画を完全に再現したという点

 まず、漫画を描こうとしている人が良く言われるのは「映画を観なさい。」です。それは、手塚治虫も言ってますし、鳥山明も言っています。なぜか歴代のすごい漫画家の人々は口を揃えて「映画を観ろ」と言いますし、実際売れっ子漫画家は映画をたくさん観ています。
 しかし、たいていの売れっ子漫画家は映画を漫画にする作業がとても上手で、あくまでも”面白い漫画”ができます。手塚治虫や赤塚不二夫も鳥山明も、映画の影響を受けて漫画を描いていますが、それはあくまでも”漫画”です。

ではなぜ『さよなら絵里』が映画を再現したみたいだと私が思ったのかというと、基本のコマ枠が4コマで絵コンテみたいになっていること、スマホの画面を見ているような感じで進むこと…もありますが、どちらかというと、漫画のコピペに映画的な要素を感じました。
映画は画面を固定して演技をすることがあると思いますが、それを漫画で表現しようとすると結構難しいです。多分藤本タツキはデジタルで作画していると思うので…同じ構図を何回かコピペして、人物のちょっとした演技だけで話を描いていると思います。これの表現が一番映画っぽいと思いました。前回書いた読み切りの『ルックバック』でも時間の経過を表すために同じコマで…と言う感じでやっていましたが、今回はより映画的です。場面の入れ方とか間の取り方とか随所随所にそういう部分を感じるのですが…うまく言えねえ!!!95ページのお父さんの演技で、4コマ同じコマにみえますが、左目はちらっとこっちを見ていることが分かる間とか…135ページの間とかは完全にお笑いの間ですし…。ずっとカメラ動かさないコマとか…。
それと…この漫画、随所に「線のブレ」があるじゃないですか。これあれですね…カメラ持って動いている時ブレてますね…。カメラ固定している時は線が止まっているので…。
こういった点を見ても「映画を再現している…」と思うんですが…!どうでしょう!

あぁうまく書けません…。もっとうまく感想を書く人が現れるはず…。
とりあえず今は私の頭の中の感じを出しておくだけで…。


2.主人公が映画を作る才能があったというところ

漫画の中身の話をします。
主人公の母親が死ぬまで映像を残す…という導入から始まる本作。私はてっきりこの母親は良い人なのだと思っていました。しかし、話が進むにつれて、母親は別にいい人間ではないことが分かります。でも主人公は母親の良い部分を切り取って、「良い母親」が残るようにしました。実際読者の私もそう思っていました。だからあの展開も意外だったわけです。
絵里についても本当の性格はあまり良くないことが判明していますが、主人公が作った映画の絵里は「可愛らしく真っすぐ生きている女の子」として残ります。

最初の母親の映画は、最後の爆発オチをクラスに疑問に思われているだけで、他の部分では評価は高かったはずです。
実際「絵里の映画」はブチ泣かしていますから…。


3.伏線をちゃんと回収するところ

当り前の話ですが…。伏線回収が気持ちいいですね。

ジャンプ+のコメントであまり理解できなかったとか書かれていましたが…。
たしかに、爆発オチにすると途端にシュールになりますね。

しかし、この漫画は絶対爆発で落ちるのが正解だと思います。なぜなら主人公が爆発オチを最高だと思っているから(27ページ)。それとB級映画ってこんな感じだから…。
綺麗な感じで終わると、名作映画になるんですけど、なんでその終わり方にしたの?ってなると途端にB級になります。藤本タツキそうやりたかったんだろ!?教えてくれ!映画の話しようぜ!

取り乱しました。

伏線回収の話ですが、「ブチ泣かせたこと」「戦いに勝利すると小さくピースするところ」「主人公と言えば、爆発、ファンタジーをひとつまみ入れるところ」「絵里が吸血鬼なところ」

165ページの3コマ目で「好評だった映画だが僕にはずっと何か足りない気がした」というコマがあります。

この主人公にはやっぱり爆発が必要だったということです。


で、これが面白いところだと思うんですが…。

最後爆発させたところだけ不確実なんですよね…。あれは主人公の頭の中での爆発だったのかもしれませんし、実際絵里が吸血鬼というのも本当かわからない部分です。しかし、それがこれはフィクションで、ファンタジーが入っている作品なんだぞ、というこの漫画の伏線回収でもあると思います…。実際映画の最後に現実か妄想かわからなくなる映画ってのも結構あるので、そういう狙いもあるのかもしれませんし…なあ!藤本タツキ!?俺と映画の話ししようぜ!?…取り乱しました。

4.飽きさせない展開

これも当たり前なんですけど…200ページの作品で飽きずに最後まで読ませる力があったと思います。
母の死の記録映像を残す→上映会で不評を言われる→死ぬつもりだった→美少女(絵里)にお前の映画が好きだからまた作れと言われる→生きる目標を持つ→絵里と過ごす日々→絵里が死ぬことが分かる→母親が実は良い人間ではないことが分かる→いい感じに終わりそう→主人公は大人になる→主人公以外の家族皆死ぬ→主人公が生きる目標を失う→絵里と再会し自分に足りないものに気づく→爆発オチ

凄いですね。最高!

5.終わり良ければ総て良しという言葉がありますが…

話の展開だと絵里が死んだ時点で終わりにしても良かったのだと思います。そうすると綺麗な感じで終われるから。
しかし、それじゃ主人公の肝である「ひとつまみのファンタジー」が欠けているし、おそらくそれじゃ主人公の本来の性格が描けていないんだと思います。「爆発」を我慢すれば、感動した作品を作ることができる主人公ですが(「絵里の映画」)、やっぱり爆発させないと「何か足りない気がしている」ままです。

名作を作るにはどこか我慢も必要なのだけど、自分のすべてを出してみたかったんじゃないですかね…。なんてことを考えていますが!!!まったくわかりません!助けてくれー!

恐らくこの作品も単行本化されるんでしょうね…。

藤本タツキ!お前が優勝だ!

あ、最後に気づきましたが、『さよなら絵里』擬音一つもないですね。

では、私は擬音をつけてさよならします…。

長々個人の感想を見てくれてありがとうございます。

ではまた

絵な子

ボガーン!

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