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俺はショットガンに座って
クソ寒い。クソみたく寒い。冬物を買うお金がないのに、また一段と寒くなってきやがった。意味わかんねぇ〜。去年こんな寒かったっけ?
ダウンジャケットってどう思う?俺はうまく着れないよ。たまにダウンジャケットをバチいけてる感じで着ている人がいて、「すげぇ〜」って思う。俺はもう安直にロングコートしか着れません。
でもダウンという存在が生まれてから、人間の寒さの耐性が上がったから、地球も一段階寒さを上げてしまっていて、旧時代の衣服だけではこの寒さにどうにも太刀打ちできない。ダウンジャケットは五条悟なのかもしれない。
英語圏、特にアメリカでは助手席のことを「ショットガン」と呼ぶ。これは何でかっていうと、開拓時代、幌馬車(ほろばしゃ)を使う時に助手席に座る人間が自分たちの安全を守るためにショットガンを持っていたからだ。そのために今でも、助手席のことをショットガンと呼ぶらしい。
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新卒で働き始めるこの歳になって、みんなが段々と自己研鑽のフェーズに入っている。にも関わらず俺は、昔から変わらず、ずっと同じことをしている。
たまにその馬車に残って、まるで自分がすごいことをしているように思うけれど、それは俺が助手席に座っているだけで、何も成していないのと変わらない。俺はただショットガンを持っているだけにすぎない。俺自身は何も成長していない。
この前、中学時代の友達と飲んだ。中学の友達は今の友達と違って、ギラギラしてないし、ウェイウェイしてないから楽で良かった。
昔の友達と遊んでいて、こういうことを思う。人間には生まれ持った身の丈があって、それに合わない人間と遊んでも楽しくないってことだ。
昔の友達は、その丈が変わっている人もいて、久しぶりにあって遊んでも楽しくないなーって思う時がある。それでも集まったメンバーは何も変わってなくて、楽しくて安心した。
飲み会の帰りの電車で、また違う友達と遭遇して、そいつともそういう話をした。そいつは、「子どもの頃から1人でいるやつは芯がある。好きなことが変わらない」って言っていた。
俺もそう思う。俺自体1人っ子だから1人でいることが多かったし、外で遊ばず本を読んでいた。大学生になった時は、そういう根暗な芯を持っている自分があまり好きではなかったけど、今は誇らしく思う。
自分を持っているってことは素晴らしいことで、今はショットガンだとしても少しずつ運転席に変わっていければ良い、と俺は思った。
以上。
サムネは旅行した時にみた夕焼けと舟。
👋ばいなら〜