指導の引き出し③〜目線合わせ〜
さてここでは、元通信制高校の職員、そして後進の育成に携わった経験を活かし、指導をしていく際に自身が意識したことや、実践したことを元に私の引き出しを少しずつ開示していければと思います。
色々な場面で応用することもできる内容にしていけるよう、是非参考までにご一読いただけると幸いです。
第3回目のテーマとしては「目線合わせ」
これも実は私の先輩から教わったことなんですが、日常の中でも心がけることのできるものだと思います。
一般的に「目線合わせ」というと、
・相手の立場に立った発言をする
・相手の立場を尊重し理解を示す
というのが、よく使われる意味かと思います。
この意識も非常に大事なのですが、今回の「目線合わせ」はまた別なのです。
では、今日も引き出しを一つオープンしていきましょう。
私が経験した”目線合わせ”
これは忘れもしない2011年3月11日のこと。つまり、東日本大震災が発生したその日でした。未だに忘れないあの日。
なぜならば、その日は私が所属する学習センターの生徒の卒業式だったのです。
そして、卒業式を午前中に終了し、有志で参加できるように開催したいわゆる「祝う会(懇親会)」を午後から実施。
全ての行程が終了した14:40頃、それでは解散となったその直後にあの地震が発生しました。
電車が動かなくなり、終了後の校舎に戻ってくる生徒、安否の確認、そして状況の収拾、情報の確認。お祝いムードから一転、その時は確か70名~80名の生徒がいたことと思います。
当時の子どもたちの中には、本当に色々なタイプの生徒がいました。
いわゆるヤンキー系やギャル系(誤解を恐れずにこう表記します)
本当に落ち着かない様子で不安におびえている生徒。
なるべく高層階にいかずということで、1階にあった職員室付近に生徒を集め、まずは状況の鎮静化を図っていました。
その時です。
とあるヤンキー系の男子生徒たち数名が職員に対して、
「こういうイベントをやるからには学校側の責任はどうなってんだよ?」
のような、いわゆる”いちゃもん”に近い話を職員に振ってきました。
こうした状況の中で、全員混乱の中で構っている場合ではない。というのが、雰囲気としてありました。いわゆる野次馬というか混乱に応じて、更にどうにかしてやれ!くらいの気持ちもあったんだろうとは思います。
※まだ、この震災がどのくらいのものになるか、その状況下ではわからなかったからだろうというのもあります。
そこで、私はその当時は若手として年齢も近いこともあるので、対応してやろうか…と行こうとした時、その当時その職場で一番のベテランの職員が、私と一緒にその生徒たちのところに行き、
「よし!話をしよう!」としました。
その生徒たちは入口のところで地べたに座り、明らかに他の生徒たちの目に触れる位置。少し気の弱い生徒からしたら、怖い状況だったかもしれません。※少し昔で言うところの、コンビニ前でたむろする子たちと似ているかもしれません。
私は、その時、まずはこの子達を移動させて、そこから話をするか」と考えていましたが、そのベテランの先生は、式典用の服にもかかわらず、子どもたちと一緒に地べたに座り、話を始めました。
そして人通り話をしていく中で、ある程度の段階で終了し、その子たちは歩いて帰れる場所で、そして保護者が一部迎えに来たこともあり、解散していきました。
後日、その時の話をその先生としました。
「あの時、なぜまず移動させなかったのですか?」
「まず、あの時最優先させようと思ったのは、彼らの話をちゃんと聞いてやることなんだよね。そこで、上から下の対場への人間に命令を出すように話を聞いてやるってスタンスでやってもほぼ上手くいかない。だから、同じ土俵で、同じ一人間として、真っ向勝負で話を聞いてやるってスタンスが必要だと思ったんだよね。これが正しいかどうかはわからない。」
と話をしてくれました。
「ま、結果的に彼ら自身も”不安”を抱えてたみたいだし、ああでもしないと話を聞いてくれないっていうアピールもあったんだろうけどね(笑)」
という後日談もありましたが、ここに大事な視点があると感じました。
つまり、目線を合わせるというのは、本当に同じ目線の状態に合わせる・状況を同じくするということも必要かもしれないということです。あれをもし、職員側は立ちながら、子どもたちは座りながらだと、上から目線で話をしているだけになってしまう。
このとき別の女性職員は、不安でたまらず横になって身体を休めている女子生徒が別の部屋にいたとき、「じゃあ、私も少し疲れたから、そばで横になっていい?」と言いながら、一緒にその女子生徒と小一時間話をしていたそうです。この子も「一緒に話が出来て、良かった」といい、保護者に連れられて無事に帰宅することが出来ました。
あぐらをかいて座っている子に対して、一緒にあぐらをかいて話をする。
横になる子には、一緒に横になって話をする。
これが必ずしも正しいとは言いません。
しかし、目線合わせは実はこうした”パフォーマンス”からも必要なのかもしれません。
私の経験と子どもの声
この経験は私には衝撃的でした。
いわゆる「学校の先生」と呼ばれる職業の人は凛とした態度であるべきだ。
のような、先入観を持っていたからです。
しかし、こうした場面はすぐに訪れます。
とあるスポーツ大会でチームとして負けた生徒の指導をしていた時に、負けた悔しさもあり、なかなかその場を離れられない、そして動かない生徒が居ました。ずっと下をうつむいて、動かない。
大会も終わり、全体が解散になっても動かない。他の職員も、困り果てていました。
その時、ここは時間かけてでも話をしようと心を決め、
同じ場所に座り、そしてしばらく同じ風景を眺めることにしました。
そして、私は私で感じていた想いを、聞いてても聞いてなくてもいいから、ポツリポツリと話しました。
※その時のチームの監督(コーチ)でもあったので。
負けた悔しさ、あのときああしてたら良かったかも、あのときで伝えられなかった言葉、あの審判の判定はないよなー(笑)などなど…。
その時、一言。
「先生、子どもっぽいっすね」とポツリ。
その時、私は本当に嬉しくなりました。動いた瞬間です。
「先生ってのは、”先”に”生”まれただけだから(笑)。立場は違えど、負けたら悔しいもんだよ」
ここから、その子からたくさんの悔しさや愚痴、そして反省点などがあふれるように出てきました。
後で振り返ると、この時ようやく本当の意味での”目線合わせ”が出来たのかもしれないと感じました。そしてこの時の経験は、やはり大きいようで、この生徒は今、30歳前後になりますが、卒業して近況報告で食事をするタイミングの時に、たいていこの時の話題になります(笑)
”人間らしさ”、そして一人の”大人”や”人”として接する大切さ
私は”目線合わせ”という言葉の大事なポイントは、
相手の対場に立つこと・立場を尊重し理解を示す
も必要だとは思いますが、
年齢や性別、そして身分・立場などを考えず、全く対等なスタンスをまずは意識することが大事なのだと思います。
もちろん、いわゆる先天的な障害などを持った子たちに対して、完全に対等というのは少し語弊があるかもしれませんが、一人の人間として、そして私が経験してきた子どもたちは”中学生”や”高校生”がメインなので、
「君らはもう大人だから、一人の社会人として話をする」
ということも公言したこともありました。
個人的には、「子どもだから」とか「生徒だから」という枕詞があまり好きではないというのもありますが、個を尊重するというのは、まずこのスタンスが必要なのではないかなと思っています。
そして、この子達に言われたのは
「enya先生は、基本的に真っ向勝負だから、なんか負けたくない」
と言われたことでした。
これは個人的には嬉しい言葉、これも私のポリシーで、子どもたちはライバルです(笑)卒業式の時に言う言葉の締めは
「卒業生の皆さんもこれから数多くの出会いや経験の中で大きく成長することと思います。でも私も同じ時を過ごす中で、色々な人と出会い、経験をしていきます。どちらの成長のスピードが速いかは今の段階ではわかりません。ただ、またお互い成長した姿で、会える日を楽しみにしています。」
なんとなく思い出に耽りながら、書いてしまいましたが、
私が想う”目線合わせ”は
もしかしたら、
子どもたちとどこかの部分で”ライバル”になることも含まれているかもしれませんね。
こんな先生がいてもいいんじゃないでしょうか(笑)
今回の内容は、参考にならないかもしれないなとも思います(笑)
でも何か一つ変わるかもしれません。
そう願いながら、自己開示も含めて書いてみました。
ご覧いただきありがとうございました。