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「数値で測れない大事なもの」 vol.50

新住人が入る事で、サイハテ村内の人間関係や行動パターンが変化するのは想定の範囲内なのですが、シングルマザーと4人の子供たちを受け入れることは正直なところ、大きな不和が起こると思っていました。


居住環境にしても、住む予定の家が白アリの被害が深刻で床や壁を剥がしての大きなリフォームが必要でしたが、経済的な余裕があるわけではなく、借金返済や家事育児などあらゆる方面からのサポートが必要でした。


サイハテ村に住んでいる住人にしても、経済的にギリギリな生活をしていたので、本当に助け合えるのか心配な状況だったのです。と言うか、僕は、自分に助けが必要な状況下では、誰かを救うことなんてきっとできないだろうと決めつけていました。


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これは僕自身が作り出していた問題でもあります。想いさえあればきっとうまく行くと信じていたことに何度も挫折した事によって、数値で測れるものや力の扱い方に頼るようになっていたのです。


受け入れを反対したのも、どこかで住人たちに対して失望感や不信感があったのだと思います。きっと助けることなんてできないだろう、と。


しかし、実際に起こったことは自分の想像とは違う、全く別のストーリーでした。生活費を稼がなければいけない状況下にある隣人が何ヶ月もの間リフォームを手伝ったり、生活費に困っている状況でも、我が子と同じようにご飯や安らげる場所を提供したのです。


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時には母親と喧嘩したと言って家出した子供をサイハテの住人が数週間面倒をみることもありました。驚き半分、想定外の住人たちの行動に戶惑っている自分がいました。


コミュニティなのだから当たり前だ、と思われるかもしれませんが、自分に余裕のない状況で我が身を削ってまで人を助けることは、コミュニティとは言え、そう簡単にできることでないはずです。四人の小さな子どもを抱えるシングルマザー入村によってサイハテ村に何が起こっているのか、僕は知る必要がありました。


というより、何か大きなメッセージを感じていました。
この時のサイハテ村の状況と自分の思考が取り巻く関係性を整理すると、お世辞にも順調とは言えず、サイハテ村の核をグリップしていた古参メンバーがほとんどいなくなった事や、残った住人にしてもコミュニティ疲れや倦怠感を感じていたり、明確なビジョンや目標がないため、これからどう進んでいけばいいのか、廃村の危機ような状況でした。


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僕としては、この危機を脱しサイハテ村がさらに発展していく方法を論じる必要があるとずっと感じていました。感情論や「愛だよね!」的な安易な解釈ではなく、もっと合理的でよくできたシステムや、経済力や影響力などのパワーを得るための戦略的なアクションを取る事が必要だと思っていたのです。


だからこそ、僕は事業化やクラウドファンディング、メディア戦略やコンテンツ作りから〝dead or alive〟など、ビジネス的な要素をサイハテ村に導入してきたのです。


ですが、発展しているはずのサイハテ村に対して住人たちのモチベーショ ンやコミュニティに対する想いは予想以上に低下していました。もちろんそれも把握していましたが、ただ〝楽しければいいコミュニティ〟は⻑く続かないことも知っていたので、時には仲間を価値で計ったとしてもしょうがないと思っていたのです。


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住人たちの尻を叩き、頑張れば豊かな暮らしが待っているとペースを押し上げていくのが最善だ、と自分に言い聞かせていたのかも知れません。


そんな時に新住人になったのが4人の子供とシングルマザーでした。助けを与える人ではなく、助けを求める人が入ったことで、サイハテ村は無くしかけていた大事なものを取り戻したようでした。


これは僕にとって大きなメッセージになりました。価値という基準がコ
ミュニティを支配していく先にあるのは、現代社会が抱える闇と同じ世界を作ることになること。


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そして、理屈では測れない世界があり、僕らが争いのない幸せな世界を作る道はすぐそばにあることを。


次回は、vol.51「成功するコミュニティを作る3つのデザイン」です。フォロー、スキ、シェアしてくれると励みにります!^ ^

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