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「子供の仕事は遊ぶコトだ!」 vol.32

子供にとって親は最大の教師です。僕自身、親父の教育方針を疑うことはありませんでしたし、我が子にも同じように話していることがあります。それは、〝子供の仕事は遊ぶコトだ!〟と言う教えです。

幼少期から八歳まで⻑野県は片田舎の団地群で育った僕は、毎日目がさめると「今日はどんな遊びをしよう」と考えるような子供でした。「〇〇君と〇〇ちゃんを誘って秘密基地を作ろう!」「お腹が減ったらイチゴ農家のハウスに忍び込んで食べよう!」と、面白い事や悪戯っ子的提案をしてはみんなを巻き込むことが僕の生き甲斐でした。

そのお陰で勉強の成績はお世辞にも良いとは言いがたく、誇れるような特技も秀でた才能も見いだすことはできませんでした。

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ですが、今思い返すと〝人生を楽しむ力〟というのは、遊ぶ中で磨かれたのではないかと思うようになりました。と言うのは、遊ぶという行為は無から有を生み出す最もクリエ イティブな行為であり、人の根源的な素質だからです。

「あの大空を鳥のように自由に飛べたら...」と想像し世界初の飛行機パイロットになったライト兄弟にしても、何もない状況から想像し、ついには動力飛行機を創造しましたが、僕はライト兄弟に遊び心や遊ぶチカラが無かったら歴史は変わっていたと思うのです。

何が言いたいかというと、遊ぶコトで僕らは〝想像力〟を拡げ、 具現化させるために必要な〝創造力〟を鍛えられるのです。

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大げさかもしれませんが、人が考え、選択し、行動をすることで作られる人生もまた、想像と創造の賜物ではないかと思うのです。

歴史に残る偉業や、誰もが羨む人生を歩んできた人たちは、想像力と創造力のスケールが違う。大きな壁や失敗にぶつかろうとも、遊び心があれば不屈の勇者像を自分に移しゲームのように乗り越えていくことができる。

実際、僕の人生はまるでゲームのように進んでいきました。家もなく、仕事もなく、貯金もない状況ですら、このピンチをどう切り抜けるか、この先にどんな展開が待っているのか、とドラクエのようなRPGをしているような感覚で生きてきたのです。

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頼りになるのはイマジネーションとクリエイティビティ。自分の置かれている状況を分析し、その都度、最適な装備を整えるのです。助けになる友人は、自分に解決できそうな状況はどれか、見方を変えてこの状況を価値に変換するストーリーは作れないか、あらゆる選択肢を想像し、それぞれにどんなリスクや可能性が内在するか、進行とともに派生する枝葉や別の木に飛び移れるだけの装備が揃う時間的余裕は作れるか、など考えつく限りの未来を想像するわけですが、そのためには「色々な人と、あらゆる環境下で、バリエーション豊かな〝遊び〟を経験しておく」必要があります。

そして、実際にピンチを切り抜けるために〝行動していく〟必要があります。求められるのは勇気や熱意、時にはプライドを捨てる覚悟や、関わる人を楽しませたり、幸せにするための表現力や包容力が必要であり、外してはいけない大事な起点を逃さずに掴み取る嗅覚や鋭さ、ストーリーを生み出す雄弁な話術、空想を現実にするための泥くさい忍耐力が必要です。

そしてこの創造性こそ、遊びの中で学べるのです。遊びだからこそあらゆるパターンや個性を表現し、その結果何が産まれるのか、どんな効果が起こるのかを純粋に知ることができるのです。

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〝子供の仕事は遊ぶコトだ!〟その教えに忠実に従ってきた僕からすれば、大人の仕事も遊ぶコトでもいいんじゃないかと思うのですが、子供の時にこそ遊ばすことが重要だと思います。

と言うのも、脳が知的に発達する10歳を越えると、人の目が気になって思う存分味わい尽くすことが出来なくなるからです。毎日生まれ変わっているかのような今この瞬間を生きている幼少期にこそ、自由に遊ぶコトで世界観を拡張することができ、自分を深く知ることができるのです。

これはある意味、現代の若者たちの悩みにも繋がっている気がします。幼少期から脳が知的に発達する十歳くらいまでの間、大人から「これをしなさい、それはやっちゃ駄目!」と制限され、思う存分遊べなかった現代の若者たちが、「自分は何が好きで、どう生きたらいいか分からない。」と、〝自分探し〟をしにサイハテ村にやってくるのです。

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それも当然かもしれません、一番自分を表現し、自分を知ることができる大事な期間をほとんど味わえずに、勉強漬けやゲーム漬けにされ、言われたことをこなす事ばかりやらされてきたのですから。つまり、〝自分らしさ〟を体現しているはずの幼少期の記憶を遡っても、ほとんど体験していないせいで、見つからないのです


人生なんて、方程式を記憶して答えを導き出すことではなく、自らの経験によって方程式そのものを作り出し、磨く事で答えを自分の中に作っていくもの。だからこそ、子供の仕事は色々な人と、色々なことをして遊ぶコトだと思うのです。 

サイハテ村で子供たちのための合宿を開催したこともありました。その名も〝 天才合宿〟三日間の期間中は、子ども達に制限をしないで、その子らしさを存分に引き出そうという試みで、初日はリスク回避のために、子ども3、4人に対して大人が1人そばに着き様子を見守るコトにしました。

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この合宿中、大人は子ども達に 「それしたらダメ!」とか「こうしなさい!」「こうやったら良いよ」などの制限をしないで、普段抑圧されている行動や感情を引き出し、子どもにどんな変化が起こるのかを観察する目的があったのですが、初日は失敗に終わりまし た。

というのも、常に大人がそばにいるため子ども達が萎縮してしまい、日常から大きく外れることがなかったのです。 なので、二日目は大人はそばから離れ遠くから見守ることにしました。ですが、結局同じフィールドに大人たちがいるだけで、子どもたちは無意識のうちに〝普段の子ども像〟を演じてしまい、本来の子ども像を引き出すことはできませんでした。

そこで、二日目の夜に大人たちで会議をし、何が子ども達を縛り付けているのか?というテーマで話し合いをし〝大人たちが既存の世界観を壊さないことには、子どもが殻を破るのは難しい〟という事がわかってきました。

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そこで最終日の三日目、大人たちは子ども達を変えるのではなく、自分たちが変わるために、普段ならやらないことをやってみることにしました。水を掛け合ったり、泥だらけになって遊び始めたのです。

すると、子ども達も堰を切ったように解放しだし、やっと子ども達の最高の笑顔を見る事が出来たのです。この天才合宿は、子ども達の学びというより、大人たちにとってとても大きな学びになりました。

それは、大人が無意識的に子ども達に制限をかけている事、そしてなにより子ども達を変える前に大人たちが変わる必要がある事です。大人たちが本気で遊べるように、いつまでも子供心や遊び心を待ち続ける大事さを学んだのでした。 〝子どもたちの天才力をバクハツさせる天才合宿〟https://youtu.be/hPr2YfCt51U 


次回は、vol.33「IT系メディアLIGとサイハテ村の出会い」です。フォロー、スキ、シェアしてくれると励みにります!^ ^

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