「みんな違って当たり前〝夫婦のカタチ〟」 vol.27
世界には様々な夫婦のカタチが存在します。一人の男性に対して複数の女性が家族関係を作る一夫多妻制であったり、逆に一人の女性が複数の男性と家族関係を作る一妻多夫制だったり。
その背景には様々な理由がある訳ですが、一夫多妻制では経済的に裕福な男性が一族繁栄のために複数の女性とその子供を養うためだったり、一妻多夫制では貧困のため子供を養うために複数の男性と協働する必要があったりするわけです。
子孫繁栄という本能的な生存行為に対して、社会という環境に合わせて夫婦のカタチが変わることも納得がいきます。つまり、現代の日本では一夫一妻制が社会システムにおいて都合が良かっただけで、今後社会システムが変われば一夫一妻制が変わることも十分にあり得るのではないでしょうか。
サイハテ村はと言うと、何世帯かの夫婦がいてそれぞれに夫婦のカタチがあります。実際にはみんな一夫一妻ですが、中には多夫多妻でも良いという考えを持っている人もいます。最近の言い方を使うなら、一般的な一人の人とだけパートナーシップを結ぶのをモノアモリーと言うそうですが、お互いに複数の関係を認め合うポリアモリーも〝あり〟だとするものです。
浮気や不倫のように秘密裏に複数と関係を結ぶことではなく、関与する全てのパートナーの同意を得て、複数のパートナーとの間で親密な関係を持つこと、または持ちたいと願う考え方です。
個人的にはひとりの人と良質なパートナーシップを維持することが難しい人が、複数の人とパートナーシップを結ぶと解決するとは思えないのですが、みんな多かれ少なかれ夫婦のカタチに対しては不満があるのだと思います。
僕自身、結婚して10年になり、おしどり夫婦と呼ばれる事も多いのですが、順風満帆だったわけではありません。お互い育って来た環境も違えば、物事に対する見方も違うわけですから何もかもうまくいくはずはありません。
その事実を知ったのは結婚2年目のことです。僕ら夫婦は根っこの部分では似た者同士なのだと感じているのですが、性格は火と水のように対称的だったりします。 多動的で思った事をすぐに口に出す妻に対して、僕は感情的になることはあまりありません。
実際、僕は、妻と結婚する前に交際してきた相手とは喧嘩どころか、ほとんど言い争いをした事もありませんでした。そのせいか、妻と結婚してからと言うもの、毎日のように感情をむき出してくる妻に圧倒されながらも、なんでこんなにも喧嘩をするのか理解できないでいました。
もちろん、初めての妊娠、出産、子育てなど生活環境や心情の変化は相当なものだとは思うのですが、それでも一日に何度喧嘩するのかと思う事もあり、あるとき、妻に皮肉交じりに伝えたことがありました。
「僕は交際した人の中で、こんなに喧嘩をする相手は初めてだッ!」と、すると妻は鳩が豆鉄砲を食ったような、驚いた顔をしてこう言いました。「私は交際した人の中で、こんなに喧嘩をしない相手は初めてよ?」
僕は、頭を木の棒で殴られたような衝撃に言葉を失いながら、ものの見方の違い、パートナーシップの難しさを知りました。それからと言うもの、僕らは事あるごとに自分の感情や主張を伝え合うことにしました。
愛すると言うことは単純に胸のトキメキや激しい感情だけで語れるものではなく、かの有名な心理学者、エーリッヒ・フロムの言葉を借りるなら「愛は技術であり、習練に励む必要がある」ものだ、と知ったからでした。
それからと言うもの、喧嘩や不調和が起きる原因は「合う合わない、好き嫌い」のような感情だけのものではなく、良質な夫婦関係には技術的な要因がある事を理解し、ことに当たることにしました。例えば、結婚7年目のことです。二人目の出産がひと段落し、サイハテ村の暮らしにも慣れてきた頃でした。僕ら夫婦も家庭中心だった内側から外側に意識が向き始めた頃、お互いの行動や接し方にアンバランスを感じていました。
一緒にいるだけでイライラするような状態で、子供の前で喧嘩する事もありました。対話だけでは解決できない状況に、僕らが出した選択は、〝サイハテ村内別居〟です。一緒にいるからイライラするなら一緒に生活しなければ良いのではないか、と考えたのです。
別居と言っても子供達に不安を与えないよう、子供達が保育園や小学校に行ってサイハテ村に帰ってくる夕方から子供が寝るまでは家にいて、夜から翌日の夕方までは、僕一人、当時仕事部屋として使っていた一軒家で暮らすことにしたのです。
サイハテ村内で僕ら夫婦が始めた〝村内別居〟はサイハテ村というコミュニティがあってこそできる事であり、バランスを崩した状態で問題解決をしても上手くいかないという過去の事例に挑戦するものでもありました。
すると、面白いことが起こり始めました。サイハテ村発起人である工藤シンクが妻に追い出されて僕が別居先にしていた仕事部屋に入居してきたのです。まさかの〝ダブル村内別居〟です。
8畳一間で二人のおっさんが同棲を始めるという不思議なカタチが始まる一方、村内別居という物理的な距離を持てたことで、僕ら夫婦の喧嘩はみるみるうちに減っていき、バランスを回復させていきました。
そして、おっさんの同棲ハウスは妻と喧嘩した旦那たちの溜まり場と化していきました。「家庭内で甘い声をかけられなくなったおっさん達が、一緒に暮らす家を建てたらどうか?」という提案も出されました。その家にはおっさん達の名前とパトランプが設置され、必要な時に妻達から招集がかけられる仕組みも考えました。このシステムは〝逆大奥システム〟と名づけられましたが、開村から9年経った今でもカタチにはなっていません。
このように、夫婦のカタチは環境によっても変化しうるし、コミュニティによっても変わるものなのかもしれません。村内別居についても別居したおかげで僕ら夫婦はバランス良い関係を取り戻し、さらには三人目の子供まで授かり、妊娠を機に円満に村内別居は解消されることになりました。相方の工藤シンクはと言うと、当時を振り返り「ただのとばっちりだった。」と語っていましたが。
その後、僕ら夫婦が取り入れた制度でオススメしたいのは、年に一度の〝ひとり旅制度〟です。これは、子どもの育児や家事、サイハテ村内でのあらゆる出来事で消耗していかないように、年に一度は自分の好きなタイミングで二週間、ひとり旅に行ってきて良いという制度です。
妻も、結婚してすぐに子育てが始まったので、何年かぶりのひとり旅に最初は戶惑ったようでしたが、沖縄の離島を巡ったり、家事や育児から解放されたことによって心身ともにリフレッシュして、二週間のひとり旅を満喫してサイハテ村に帰ってきました。
そして、旅に出る前とは別人のように、村づくりに対する活力を取り戻していました。僕自身、一人で三人の子育てに向き合うことで妻のありがたみをあらためて感じられるようになり、普段から積極的に家事育児をサポートするようになりました。これはぜひ、サイハテのみならず、育児休暇のように国の制度として推奨して欲しいものです。
次回は、vol.28「小さな探求者!サイハテ村の子供たち」です。フォロー、スキ、シェアしていただけると励みになります!^ ^
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