悲しい、に種類があった。
最期のお別れのときでさえも
“周りあってのじぶん”が
すごく感じられた話
訃報を聞いても涙が出ないのは
最初は義家族だから、とか
実感がわかないから、とか
あまり親しくなかったから、とか
色々巡っていた
主人が帰宅後
満足に準備ができてないまま
荷物をまとめて義実家へ向かう
道中に
あれ忘れた
これも忘れた
まあいいか
そんなことも
考えていた
家に着くときのは
子どもたちは寝ていて
どうしようか?
と聞かれるけど
私は嫁。
私だったら悲しみの中
気を遣いたくないから
まずは血縁者に来て欲しい。笑
ひとまずあなたが一番に
行ってみた方がいいんやない?
と声をかけ見送る
と思えば
すぐに戻ってきて。
意外と明るくてホッとした様子だった。
家に入り
みなさんがこちらに挨拶してくれる
その声からも
私への配慮が感じられて…
無理してないかな、と、切ない。
明るく挨拶をしたけれど
皆さんのエネルギーに触れてか
勝手に涙が溢れた
私はドライだから
思い入れを感じられずに
涙が出ないのか、とまで
思ってしまっていたけれど
違ったことに気づいた。
私は嫁で
出会ってすごく浅い。
私が泣いてどうするんだ?
みんなの方がもっと悲しいはず。
私よりも、みんなじゃん。
こんな時でも
“わたし”の平均は“周りがあって”
作られていた
いや。
悲しい。
この、悲しい。にも
種類があることにも気づいた。
わたしが悲しい。
子どもを亡くした親の気持ちを思うと悲しい。
親を亡くした子どもの心を思うと悲しい。
無理して笑ってる心の奥を感じて悲しい。
きょうだいを亡くした夫の気持ちを思うと悲しい。
わたしが。
というのは時々、一瞬で。
常に
周りのみんなの
心はどう動いているのか
そこを感じようと
アンテナを張っているじぶんに気づいた。
わたしの心は
周りの変化で、動いている。
“わたしはこうして
子どもの頃から
周りにとってのベストを
表現してきたんだなあ”
なんて。
同じ、や
似た素質のひとは
じぶんがわからないって
そりゃ悩むよな〜ってぼーっと考える。
悪しきに働けば
自分の気持ちがわからない。
敏感さん。って
なるだろう
でも
善しに働けば
相手の心の深くまで
いち早く掴める。
客観視、洞察力が高い。
実際にわたしはここを
今の仕事に活かせている✨
“心の動きを感じようと
立てるアンテナ”。
悲しみの渦中でも
自他の心の動きを
ずっと観察しているわたしは
変態やなって。思った。笑
おしまい。
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