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なにもかも「子」が中心の一年だった

駆け出しのライターとして出会ったメンバーたちが、毎回特定のテーマに沿って好きなように書いていく「日刊かきあつめ」です。
今回のテーマは「#今年を漢字一文字で」です。

息子は、この12月で2歳になる。子どもを育てるまでは、1歳と2歳の違いすらよく分からなかった。けれど、いまならよく分かる。何が違うというか、何もかも違う。1歳までは「赤ちゃん」の趣きが強かったが、2歳に近づくにつれ、彼は確かに「人」になってきている。

まずは食べ物。1年前は、まだ流動性のある離乳食を卒業したばかりで、やわいものでないと食べられなかった。最近では、ちょっと焼きすぎて硬くなったトーストの耳なども、がんばって食べる。逆に、べちゃっとした食べ物はあまり好まない。味覚も変わった。以前はケチャップをかければ何でも食べていたが、トマトの酸味が苦手になったのか、いまはケチャップをかけるとまったく食べない。この間はオムライスで痛い目を見た。お気に入りは卯の花と甘い煮豆。野菜を食わなくなったのが悩みの種だが、卯の花に入れておけばとりあえず食うので、分かりやすいと言えば分かりやすい。

できることも増えた。もう自分の手で器用にスプーンを使って食べられる。スプーン自体は1年前も使えていたが、安定感が違う。最近はむしろ、食べられるけど、甘えたくてわざと我々に食べさせたりする。めんどうくさいが、それもまたかわいい。はじめは自分でチャレンジするが、手を出そうとするとむしろ怒り、食べられることを確かめてから我々に甘える。食べられないから委ねるのではなく、これはもうできるからいい。そんな意図を感じる。

1年前はハイハイと立つことくらいしかできなかったのが、歩くようにもなった。階段ののぼりおりだってお手の物。自宅のアパートの階段や保育園の階段を、手すりを使いながらずんずんいく。はじめは不安がって背中に手を添えながら付かず離れず見守っていたが、こちらもずいぶん慣れてきて、いまでは目を離すこともしばしば。……と、書いて思ったが、そういう頃合いが一番危ないので、これは気を引き締めたい。

公園のすべり台を一人で滑れるようになったのにも感動した。初めて滑ったときに思いのほか怖かったようで(顔がこれでもかというくらい引きつっていた)、それ以上滑れなくなってしまった。しばらくして同じ公園へ行くと、少し大きな子がすべり台を楽しそうにやっているのを見て、その日は何度も滑った。怖い思いをしたのを忘れたようにけらけら笑いながら、何度も何度も。先週、風呂で溺れて水が怖くなったが、またそのうち、そんな思いをしたのも忘れてけらけら笑うのだと思う。

喋れるようにもなってきた。息子は発語が遅めで、保育園の同じクラスの子と比べてあまり言葉を発さなかった。それでも、この数か月でずいぶん言葉らしい発語が増えてきた。お茶を指さしながらの「おじじ」はお茶。おにぎりを指さしながらの「おじじ」はおにぎり。サイレンが聞こえたときの「きーきーしゃ」は救急車で、お辞儀しながらの「きーきーしゃ!」はこんにちは。そんな具合で、ほとんど聞き分けられないが状況と行動でなんとなく伝わるものも多い。拙くとも、意思疎通が図れるのは楽しい。この間は、うまそうにごはんを食べる息子に「美味?」と聞くと、元気よく「びみ!」と返した。絶対に意味は分かってないだろうが、はちゃめちゃにかわいかった。なんで「おいしい?」でなく「美味?」と聞いたのかは、よく覚えていない。

かわいいと言えば、先日、お義父さん(妻の父)が亡くなり、告別式に家族で参列したときのことだ。妻には式に集中してほしかったので、息子の相手は極力私が担当した。御経を真似したり、泣き出したり暴れたりと、なかなか息つく暇なく、それでもかろうじてお焼香は一緒にあげることができた。火葬場では施設内をぐるっと散歩して、火葬場から斎場へ帰るバスの車中では疲れて寝てしまった。式の終わりに、親族が帰るのを見送りながら「ばいばい、またねー」と見様見真似で手を振る息子はまったく愛おしかった。後方でやっていたので、みんなにはほぼ気づいてもらえなかったが、それもまたよかった。

そんなわけで、私にとって、また我が家にとって、今年は何事も「子」が中心の一年になった。きっと「初めての子育て」ならではの経験が多く、それは充実した時間だった。

来年も「子」になるのか、全く別の何かになるのか。いまから怖いやら楽しみやらである。

文:市川円
編集:真央


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