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部活の思い出~あのときは真剣に向き合えなくてごめん
「部活何やってたの?」と聞かれたら、中学のときの卓球部ではなく、高校のときの軽音部について話すことにしている。
そこから「何の楽器やってたの?」とか、「どんな音楽やってたの?」とか、話を膨らませやすいと思うからだ。でも、高校の軽音部なんて学園祭のときしか活動していなかったから、部活動らしい思い出はほとんどない。
だから、「部活の思い出」としてきちんと振り返るなら、パッとしない卓球部の話が中心になるだろう――と、このマガジンのメンバーと次回のテーマについて相談したときから想像していた。
パッとしなかったのだ。中学の3年間、卓球部に在籍していたけれど、一言でまとめるとパッとしない。これに尽きる。
3年生のときには部長まで務めたのに、思い出らしい思い出もなければ、人に話せるほどの結果も残せなかった。唯一残した結果といえば、2年生の終わりだったか3年生のはじめだったか、一度だけある大会で3位に入賞したことがあった。
参加人数20名ほどの小さな町内大会で、公式試合でもなんでもないから記録に残っていないのだけれど、後にも先にも部活動で表彰されたのはその1回だけだから、やけに記憶に残っている。
なにせそのときに副賞でもらった筆箱を、30歳を目前にした今なお使っているくらいだ。こうして振り返るまで、今使っている筆箱があのときもらった筆箱だなんて覚えてすらいなかった。どれだけ物持ちがいいのだと我ながら笑ってしまう。
部活の思い出を辿ってみたら、ずいぶんしょうもないことを思い出した。
ついでにもうひとつ思い出したことがある。私が部長を務めたとき、「円くん(筆者)が部長をやるなら」と副部長を引き受けてくれた男の話だ。気の置けない仲とは言え、勝手に本名を出すのはさすがに気が引けるので、名前を仮に三嶋としよう。
三嶋とは幼稚園からの腐れ縁で、部内の練習試合で私が手を抜いていると、「円くんも本気を出せよ」みたいな発破のかけ方をするやつだった。
私が、人生で一度だけ殴り合いのケンカをした相手が、三嶋だったと思う。小学校低学年のころの話だから、ケンカのきっかけも内容もろくに覚えちゃいない。
しかし三嶋はそのときのことを鮮明に覚えているらしく、ことあるごとに引き合いに出しては、「円くんは本気出すとやばいから」なんて、本気か冗談かわからないトーンで周囲の人間に話すのだ。
思い出して今なお、勘弁してくれ、と思う。
三嶋は、クラスの中で1位2位を争うくらいに背丈があって、恰幅もよかった。その迫力を本人も自覚してか、周りのやつにちょっかいを出しては豪快にガハハと笑っていた。
そんなガキ大将のお手本みたいなやつが、背の順で先頭争いを繰り広げていた私に対して、なぜか警戒心をあらわにしていたのだ。殴り合いのケンカをすれば、もはや私に勝ち目がないことは明らかだったのに。
何割かは、からかわれていたに違いない。しかしもう何割かは、本当に恐れていた。あれは何だったのだろう。あまりに不思議だったので、そのことについて何日か考えてみた。しばらく考えていると、あの日の三嶋が恐れていたものがなんなのか、なんとなくわかってきた。
きっと、力で戦えば勝てることは百も承知だったろう。私は体が小さかったし、殴り合いのケンカを一度しかやったことがないような人間で、腕っぷしが強くないのは自他ともに認めるところだ。面と向かってやり合えば、コテンパンだった。
けれど、理不尽に暴力を振るわれたら、あの手この手で報復したと思う。それはもうじわじわと、陰湿に、本人にしかわからないような方法で精神的に追い詰める。
きっと三嶋は、私のそんなねちっこい性格を、私以上に理解していたのだ。
そういえば、当時使っていたラケットにもそのねちっこさは現れていた。
私は3年間通して、フォアハンド側が粒高(ツブツブした面)、バックハンド側が裏ソフト(なめらかな面)のラバーを貼ったラケットを使っていたのだけど、これがかなり異質だった。
このラバーを使ったプレーの特徴は、「相手のミスを誘う」というものである。
粒高ラバーは、なめらかなラバーと違って粒がボールの回転を相殺するので、相手の回転に惑わされず返すことができるのだ。だから相手は、かけたはずの回転をなんなく返されてショックを受ける。
その代わりこちらも回転をかけにくいので、自分から点を取りに行くより、相手のミスを待つ方が向いているのだ。
とてもねちっこい。そしてそのねちっこさが、きっと私の性にあっていた。
最初はそうと知らずに買ったのだけれど、特徴を知ってからさらに気に入って、その特性を持ったラバーばかり貼り換えて使っていたくらいだ。
ちなみに相殺できる回転には限度があって、なんでもかんでも無視して返せるわけじゃない。そのため、ほんとに上手い人には小手先のテクニックだけではなんにも通用しないのだ。
だから、小さな町内大会で入賞するくらいが精一杯だった。
そう。そうだった。それなりに頑張って練習に励んでいたものの、これといって結果を残せなかった最大の要因は、小手先のテクニックにばかり執着していたからだ。ラバーが悪かったのではなく、ラバーに頼りきりの私が悪かった。
この思い出から学ぶ教訓は、小手先で何とかしようとするな、だ。今さら思い出を引っ張り出してまで学ぶほどの教訓でもないけれど、何か学ばなきゃ報われない。
当時の私は、小手先でなんとかしようとするあまり、副部長を買って出てくれた三嶋に申し訳が立たないくらいパッとしなかった。それなのに、部内の練習試合では私が三嶋に勝ち越していた。公式戦の成績で言えば、明らかに三嶋の方が上だったのに。
それというのも、相手の性格を理解していたのは三嶋だけじゃなかったのだ。私は私で三嶋の性格をよく知っていたから、彼が打たれたくないところを執拗に狙って勝ちを拾っていたのである。
今思うと、二重に申し訳ない。
そんなやり方でしか勝てないから、パッとしないんだ。相手の急所を狙うこと自体は立派な戦術だが、それしかできなければ格上にいつまでたっても勝てない。実際、当時の私は少しでも強い相手と当たると、すぐに「何点くらいまで取れるかな」と勝ちを放棄した思考に走っていた。
対する三嶋は、負けるたびにちゃんと悔しがって、懲りずに再戦を申し込んできた。感情に任せて声を荒げたりいちいち地団駄を踏んだりするのはどうかと思うけれど、悔しさを自分の中できちんと処理していたあいつは、改めてすごいなと思う。
私は、それができなかった。負けに対して真剣に向き合えなくて、楽に勝てる試合にばかり目が向いていた。
あのときは真剣に向き合えなくてごめんな。
三嶋に対してか、当時の自分に対してか、誰へ謝りたいのかも判然としないけれど、とにかくごめんと言いたくなった。
でも今は違うから。今は、フリーライターとして全力で文章に向き合っているし、一人の人間として日々と向き合っている。だから、お前とも、当時の自分とも、堂々と向き合えると思う。
思い出せてよかった。
パッとしない思い出が、振り返る価値のない思い出ってわけでもないんだな。うん、本当に思い出せてよかった。
編集:彩音
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