「リベンジ長風呂」をやめたい
最近、一人で風呂に入る機会が増えたのだが、20分ほどの貴重な自由時間をすこし持て余している。息子が生まれて2年半の間、彼をお風呂に入れるのはもっぱら私の役割だったから、久しぶりの一人風呂でどうしていいかわからないのだ。
ギャンブル漫画の金字塔であるカイジのスピンオフ作品「中間管理録トネガワ」の主人公トネガワは、会長に振り回される日々の中、降って湧いたわずかな空き時間を万全の体制で迎え撃つ。「小休止」をテーマに描かれた特別編では、30分の休憩時間に昼飯、おやつ、午睡を見事にこなした。
トネガワの巧者ぶりに引き換え、私の風呂はどうだ。やれ漫画アプリだの、ゲームアプリだのを開いて巡回し、大して満足を得られないコンテンツで時間を浪費する。無論、漫画もゲームも好きだからやるのだが、欠かせないほど熱中するコンテンツはそう多くない。その時間がなければないで、本当は構わないのだ。
風呂の中くらいスマホを手放して目や頭を休ませたらいいのだが、それはそれでなんだか悔しい。日中、家事に育児に仕事にと動き回ったあと、ようやく自分の時間を確保できるタイミング。だからこそ休むべきなのはわかっているが、それは身体の都合だ。自分の気持ちは、休養よりも駄菓子のような栄養にならないコンテンツを求めている。
同じ理由で、寝る前もスマホが手放せない。慢性的な睡眠不足にもかかわらず、自分の時間が足りない、やりたいことがやれていないという不満感を晴らすために、やけ食いや衝動買いのように夜ふかししてしまう。こういう行動をリベンジ夜ふかしと呼ぶらしい。
日中得られなかった自由時間を「取り返す」という意味でリベンジなのだろう。それに従えば、風呂の件もリベンジ長風呂といったところだ。別にリベンジした時間で何かを得たいわけではない。ただ、自らの意思で時間を浪費しているという事実そのものが、自由を実感させてくれるのだ。
夜ふかしも、たまにならいいだろう。しかし、日中の活動に支障をきたすほどの睡眠不足に陥ってもやめられないとすれば、それは問題だ。私自身その一歩手前という自覚がある。睡眠不足で体を壊し、家族に負担をかけるのは本意ではない。リベンジ長風呂もリベンジ夜ふかしも、やめられるならやめたい。
そんなわけで、思い立ったが吉日。リベンジをやめるために思い切って自分の時間を確保することにした。
ずっとやりたかったゲームをやってやる。とてもおもしろいと評判のゲームなのだが、いかんせん神経をすり減らすプレイングが求められるため、「いつか生活が落ち着いたらやろう」と手を出さずにいた。それを、まず買う。そして、風呂に入ったあとやる。風呂から早く出れば出るほど、長くゲームができるというわけだ。これならば行けるだろうと、さっそく試してみた。
浴室へ入るとき、癖でスマホを持ち込みかけて、すんでのところで思いとどまった。手ぶらで入る風呂は、最初こそやや物足りなかったが、頭の中はすぐに考えことでいっぱいになる。スマホをいじれない手元は所在なく、右手で左手を、左手で右手を指圧するなどして、日中の疲れを癒すことにした。
ぼうっと考え事をしながら手を動かしていると、あっという間に10分ほど経ち、風呂を出た。無数にめぐっていた考え事は少し整理され、日中つきまとっていた腱鞘炎も和らいだ。これが休むということか。
やってみて分かったが、しっかり休める人は、きっと普段からやりたいことをやれているのだろう。あるいは、「やろう」と思えている。私も、先にゲームをやってから風呂に入ったのではない。このあとやろうと予定を立てただけで、自然とスマホが不要になった。旅行の予定を立てれば、そこへ向けて体調を整えるとか、そういうことかもしれない。
今回のお題を通して、なんだか自分の欲求に敏感になる大切さを痛感した。少しだけ、トネガワの境地に近づけた気がする。
文:市川円
編集:鈴木乃彩子
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