小学生のときはじめて好きになったバンドはいまでもずっとかっこいい
自転車のタイヤが側溝のふたに乗るたび、がたがたと振動が全身に伝わり不安を煽る。
その歩道は自転車を2台並べるのがやっとの狭さで、数十センチ横の道路ではビュンビュンと自動車が通りすぎている。それにも関わらずガードレールがないから、危険と隣り合わせであることをこれでもかというほど意識させられた。
向こうから自転車がやってくると、おぼつかないハンドル操作でやり過ごすにはスペースが足りなくて、いちいち自転車から降りる必要がある。そのたびに家を出たことを後悔せずにはいられなかった。
でも仕方がない。
そんな危険や面倒を乗り越えてでも、彼らのCDをすぐさま買いたいと思ってしまったのだ。小学生だった私にとって、「サニー」をはじめて聴いたときの衝撃はそれぐらい大きかった。
THE BACK HORNとの出会い
「サニー」は、2001年4月にリリースされたTHE BACK HORN(以下、バックホーン)のメジャーデビューシングルだ。
「サニー」を部屋で見つけたのは、2002年の夏のある日だった――と思う。2001年発売のCDだけれど、直後に向かったCDショップの店頭に、2002年リリースの3rdシングル「世界樹の下で」が並んでいたから間違いないはずだ。
きっと年の離れた兄が、音楽雑誌かなにかでバックホーンの存在を知って買ってきたのだろう。CDは、兄の学習机の上に無造作に置かれていた。
ジャケットの不気味な写真に、「子どもの自分が見ていいものだろうか」という後ろめたさを感じながら、好奇心にあらがえず手に取った。
ジャケットもさることながら、ケースを開けてみるとディスクの盤面や歌詞カードも明らかに子ども向けのデザインではない。
統一感のあるおどろおどろしさは、背伸びをしたい子どもにはむしろおあつらえ向きで、顔をそむけたくなるような恐ろしさを感じる反面、どこかときめきのようなものを感じてもいた。
CDラジカセにセットして再生ボタンを押すと、ざらっとした質感のギターリフと、重たいベースが響き始める。
ボーカル・山田将司の感情をむき出しにした叫びを聴いて、すぐに夢中になった。
まとわりつくようなサウンドに、スカを彷彿とさせる裏拍のギターカッティングが軽快さをプラスした曲調は、暗いのに明るく、どこか陽気でひょうきんにすら感じられる。
一方で歌詞には、「コーヒー色した闇」「汚い社会」と批判的な言葉が並び、社会のどろどろとした部分に対して何かを投げかけていることが、子どもの目にも読み取れた。
自然と笑みがこぼれてしまったり、訳も分からず鳥肌が立ってしまったり、そんな「琴線に触れる」という感覚をはじめて知ったのもこのときだ。
夜な夜なCDを聞き込む日々
バックホーンと出会ってから、CDを買うことと、そのCDを夜な夜な聞き込むことが習慣になった。
ラジカセにCDをセットして、電気を消して布団に潜りこみ、裸電球のスタンドライトで枕もとを照らしながら、陰鬱とした配色の歌詞カードを一心に読み込む。
バックホーンが新譜をリリースするたびに、そんなことを繰り返していた。
特に、2ndアルバムの「心臓オーケストラ」を聞き込んだ。爽やかな「夏草の揺れる丘」から、一転して「マテリア」「ディナー」とダークで妖艶な曲が続き、「夕暮れ」で再び清涼感のある曲調へ帰ってくる流れと、そこで感じられるカタルシスが大好きで、ジェットコースターみたいに感情を揺さぶられながら聴くたびにドキドキしていた。
高校受験のときには、ポータブルCDプレーヤーが壊れるまでリピートしながら勉強していたし、高校生になってからは、兄のつてで阿佐ヶ谷のライブハウス「阿佐ヶ谷サンデー」でバックホーンのコピーバンドをやったこともあった。
ライブ中はずっと緊張していたから、演奏の出来がどうだったかも、ライブハウスの様子がどうだったかも、何ひとつ覚えちゃいない。ただ、演奏後の自分が浮かれていたことだけは確かだ。
あのとき記念にともらったライブDVDは、どこへやってしまっただろう。
変わらぬ「かっこいい」の原点
そんなこんなで、はじめてバックホーンを聴いてから18年経った。このnoteを書くにあたって改めて「サニー」から聴き直したけれど、かっこいいと感じる気持ちは小学生のあの頃と何も変わっていない。
この感覚はもはや、私にとって「バックホーンがかっこいい」のではなく、「かっこいいものがバックホーン」なのかもしれない。
一度刻まれた「かっこいい」の原点は、きっと生涯変わらないのだろう。
編集:べみん
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