もし同じ家で生まれ育っていたら

駆け出しのライターとして出会ったメンバーたちが、毎回特定のテーマに沿って好きなように書いていく「日刊かきあつめ」です。
今回のテーマは「#生まれ変わったら」です。

「生まれ変わったら」。難儀なテーマである。考えたことがない、と言えば嘘になるけれど、あまり積極的に考えるテーマではない。

私は、実家にお金がないことを理由に学費の安い国立高校へ行ったし、学費がかかることを理由に大学へ行かなかったので、「金がある家に生まれていれば」なんて考えたことはある。

でも、ほんとに行きたいなら奨学金でもなんでも借りればよかったし、なんなら今からでも行けばいい。少なくとも今の私はそう思えているので、生まれ変わりたい、という気持ちは芽生えない。そもそも、ある程度大人になると、金持ちには金持ちなりの苦労があると想像できるようになったので、羨むこと自体があまりなくなった。

しかし生まれ変わりといえば、お金どうこうの話とは別に、ひとつだけ考えることがある。私は養子として育ったけれど、実親のもとで育てられていたらどうなっていただろうと、考えるのだ。これは生まれ変わりではなく、生まれ直しだろうか。少し主旨から外れるかもしれないが、まあ勘弁してほしい。

母は、私を産むときに脳の血管が破れ、奇跡的に一命はとりとめたものの、半身不随になった。生後半年ごろまでは父と祖母が私の世話をしてくれていたが、私の上には4人の兄弟がいて、なかなか赤ちゃんの世話はままならなかったらしい。やがて、見かねた叔母夫婦に養子として引き取られることとなった。

以来、30数年間。私はその叔母夫婦を実の両親として慕ってきた。そこに不満はない。ただ、別の世界線の可能性として、もしも母が私を無事に出産していたらどうなっていただろう、と考える。あるいは、脳出血の事実までは変えずに、父と祖母が私の面倒を見続けていたらどうなっていただろう、と考える。

そんなことを考えるようになったのは、ここ数年のことだ。少し前に、兄が逝ってからである。兄というのは、私が叔母夫婦に引き取られる前の、4人の兄弟のうちの1人。戸籍の上では従兄にあたる。子どものころは長期休暇のたびに彼らと遊んだ。それでも、兄弟として同じ家で過ごす時間よりはずっと短い。私生活がままらなくなるほど悲しむには遠いし、他人事として処理するには近すぎる距離だ。

彼が亡くなったのはコロナ禍だったから葬式にも行けず、ゴールデンウィーク中に生家を訪れ、ようやく仏壇に線香をあげることができた。

彼は、明確に自分の意志で逝ったらしい。私は直接目を通していないが、遺書もあったという。最後に会ったのは10年以上前だ。大人になってからはほとんど会っていないから、自分が気づけていれば、なんて悔やむ立場にもない。

ただ、少しだけ考えるのだ。私が同じ家で生まれ育っていたら、何か変わっていただろうかと。それは後悔というほど大げさなものではない。もっと益体もない、暇つぶしや手慰みのようなもので、頭が暇になると、そんなようなことをふっと考える。

彼は、生まれ変われただろうか。あるいは、生まれ変わることも望まないほど世界に絶望していたのだろうか。いずれにせよ、せめて、苦しまずに逝けていたらいいなと思う。

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