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なぜN先生のことを思い出したのか
「忘れられない先生」というお題をもらって、頭を抱えた。勘弁してくれ。そもそも私は先生アレルギーなんだ。人から何かを教わるのが苦手で、人に教える立場の人と関わるのを避けてきたから、先生は先生であるというだけで印象に残りにくい。
いっそ開き直って、先生が苦手な理由をひたすらあげつらおうかとさえ思った。しかし、さすがにこのお題に参加するからにはそれは反則だろうということで、早々に頭を切り替えた。
「忘れられない先生」というのは要するにあれだろう。恩師について書けということなのだろう。そりゃあ、記憶をさらってみれば、印象的な先生は人並みにいる。でも、たぶん彼らは違う。試しに挙げてみよう。
教材としてセクシービデオのパッケージをもってくる先生とか。プロジェクターでおもむろにエイジオブエンパイア(PCゲーム)を始める先生とか。パトレイバー(ロボットアニメ)の劇場版を上映して授業を1コマ使い切る先生とか。
そういう先生の話は求められていないだろう。いや、思い出のひとつでもあればそんな先生の話を書いてもよかったのだけど、挙げたもの以外に思い出がないので、そもそも書きようがない。
ちなみに、セクシービデオとエイジオブエンパイアは一応教材として機能していたので百歩譲ってよしとして、パトレイバーは完全に趣味の布教だった。その先生は、たまにミノフスキー粒子(ガンダムに登場する架空の粒子)がうんぬんと解説を始めることもあった。
そんな具合で、あーでもないこーでもないと悩んでいるうちに、1か月が経った。
1か月の間、いろんな先生の顔を思い浮かべた。顔を思い浮かべられる先生がそもそも少なかったけれど、それでも片手の指では足りないくらいは、思い浮かべることができた。しかしどの先生も、思い出らしい思い出がない。具体的なエピソードが何ひとつ出てこないのだ。
「1か月考え抜いてこのざまか」と、我ながらなんだか悲しくなってきた。
仕方がないので、唯一エピソードとともに思い出すことができた「N先生」について書くことにする。くれぐれも言っておくが、別に恩師というわけではない。ただ、N先生以外に「忘れられない先生」に当てはまる先生が見つけられなかったのだ。
―――
中学3年の12月。受験を控えた私たちにとって、内申点がとにかく大切だった。内申点が高ければ、推薦入試を受けられる。推薦入試は一般入試より合格率が高く、さらに一般入試より1~2か月早く合否が決まるから、合格すれば卒業まで遊びたい放題だ。
そんな魅力的な推薦入試を受けるためには、学校ごとの条件を満たす必要がある。条件は学校によってさまざまで、私の志望校は「理科の評価が5」である必要があった。他にもいろいろ条件はあったが、ややこしいのでここでは省く。
その学校を志望するにあたって、私にはひとつ打算があった。担任のN先生が理科を受け持っていたのだ。
N先生は、背が高くて恰幅もいい、見るからに柔道部の顧問といった大柄な男の人だった。シルエットこそ丸みを帯びているが、内側に隠れているのは筋肉なんだろうな、と、腕や首の太さを見れば分かる。一方で、理科の先生らしく(?)眼鏡をかけていて知的な印象もあった。ただ、レンズの奥の目は結構するどい。
いつかの授業中、響く低い声で、「先生の学生時代は廊下をバイクが走っていたんだ」なんて思い出話をしていた。「だからなんだよ」と白けた反応をしつつ、内心、そんな経験をしている先生におっかない印象を抱いたのを覚えている。
そんなおっかないN先生も、担任になれば心強い。きっと、受け持つ生徒はなるべく希望通りに進学させたいのが親心だろう。根拠なんてなかったが、「ちょっとくらい成績が悪くても5にしてくれるだろう」と、私は安易に考えていた。
ところがどっこい、現実はまったくの反対だった。なぜか、推薦を受けられるか否かが決まる12月の評価だけ、理科を4にされてしまったのだ。授業態度はいたって真面目、提出物もきっちり期限内に提出し、定期テストの点数も50点満点で40点台をキープしていたというのに。
そこで私は考えた。
担任であるN先生が、私の志望校を知らないわけがない。志望校の推薦条件だって、そう複雑なものではない。教え子の、それも自分の受け持つ教科が直接かかわる推薦条件ぐらい、さすがに把握しているだろう。だからあえて4にするとすれば、何か理由があるはずなのだ。
考えた結果、「嫌がらせに違いない」と思った。私には、嫌がらせをされるだけの心当たりがあったからだ。
私が先生という人種を毛嫌いしていることとか、内申点ほしさに部長に立候補しつつ副部長を言いくるめてこっそり部活をさぼっていることとか、夜な夜な友人宅で宴を催していることとか、そういうあれこれを見透かして、嫌がらせしているに違いない。そういった生活態度が、理科という教科の評価に関係あるかどうかは、この際関係ない。
自分の仮説を確かめるべく、同級生に聞いて回ってみた(こういうところも先生に嫌われそうな要因だ)。すると、定期テストの点数と成績表の評価にはきちんと相関があって、私と同じような点数の人はだいたい評価が5だったのだ。提出物や授業態度をどのように評価しているのか、その厳密なところまではわからなかったけれど、少なくとも私の目には、私の評価は不当に思えた。
ただ、そこまでしておきながら、私はN先生に直談判することはなかった。
その理由に関しては記憶があやふやで、もっと他に評価を下げられる心当たりがあった気もするし、そもそもテストの点数が低くて私が逆恨みしただけな気もする(だとすればなんて都合のいい記憶の改ざんだろう)。あとは、正面切ってN先生に物申すだけの度胸がなかった、というのもある。先生に嫌われることをしている自覚だけはあったから、なおさら面と向かう勇気は湧かなかった。
ともかく、そのときの評価を機に、一般入試までのおよそ2か月の間、私は猛勉強することになった。
そして猛勉強の末、私は一般入試で志望校に合格したのだ。
―――
……おいおいそれで終わりかよ。我ながらそう思う。しかし、これで終わりなのだ。
「推薦は受けられなかったけれど、試験には合格した」
まとめると、それだけの話。
「納得のいかない評価をバネに、自力で合格をもぎとった!」なんて言えればもう少し収まりも良くなるのだろうが、それはちょっと事実と異なる。勉強をしていた2か月の間、私の中に「N先生を見返してやる」といった感情は全くなかった。
そりゃあ、もしも落ちていたら、N先生を恨んだかもしれない。推薦さえ受けさせてくれれば合格できたかもしれないのに、と。
あるいは、あのときの猛勉強をきっかけに勉強そのものを好きになれていたら、N先生に感謝したかもしれない。
でも、そのどちらにもならなかった。ついでに、私はせっかく合格した志望校を途中でリタイアしてしまったから、いよいよあのときの評価や勉強した期間に対する思い入れを失ってしまった。
だからこそ不思議なのは、「なぜN先生のことを思い出したのか」だ。自分の中ではとっくに終わったことのはずなのに、どうしてこんなにN先生のことだけ鮮明なのか。
しいて言えば、唯一勉強するきっかけを与えてくれたからだろうか。思い返してみれば、30年の人生の中でまともに勉強したのは、後にも先にもあの2か月間だけだ。
だから、心の底では感謝してる、とでもいうのだろうか?「あの日、試練を与えてくれてありがとう」なんて具合に。
おいおい、冗談だろ。それこそ勘弁してくれ。
編集:アカ ヨシロウ
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