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器を大きくするよりも大事なこと

駆け出しのライターとして出会ったメンバーたちが、毎回特定のテーマに沿って好きなように書いていく「日刊かきあつめ」です。

今回のテーマは「#器」です。

「器が小さい」より「器が大きい」の方がうれしい

大器晩成という四字熟語がある。大きな器を作り上げるのには時間がかかるから、結果が伴わなくても焦ることはない。くさらず頑張っていればいつか立派な人間になるよ――と、主に早熟な天才の陰にうもれて、結果が伴わない人への慰めとして使われる。

ほかにも、器量がいいとか、器が大きいとか、人の容姿や才能、人格を「器」にたとえる表現は少なくない。

人としての器は、小さいよりも大きい方がいいと思う人が多いだろう。器が小さいですね、よりも、器が大きいですね、と言われる方がうれしいはずだ。すくなくとも私は後者の方がうれしい。

器を大きくするのはいいことか

でも、器を大きくするって本当にいいことだろうか。そもそも器の大きさってあとから変えられるものなのだろうか。器の大きさを変えるためには、一度壊す必要があるんじゃないだろうか。壊れた器は、果たして元に戻せるのだろうか。

まあ、本人が望むならそれもいいだろう。殻を破る、なんて表現もあるくらいだ。自分という器を壊して、もっと大きくなりたいと成長欲求を抱くのもわかる。

しかし、そこにあるのは前向きな気持ちばかりだろうか。強迫観念めいた不安感から、「器を大きくしなければいけない」と思い込んでいる人もいるのではないだろうか。

昨今、SNSの浸透とともに、器の小さな人の言動が槍玉に挙げられる機会が増えた。彼らを見ながら、自分がこうなったらどうしよう、などと不安に駆られることがある。

この不安はどうやら、器を大きくしようとするから生じているらしい。器の大きさを偽ろうとするから不安になるのだ。

器の大きな人は立派だ、素晴らしい。そんな意見を目にするたび、器の小さいままでいてはいけないのだと、自己肯定感を削ぎ落される。器の大きな人のことを「大人っぽい」と表現することもあって、器の小さな自分はいつまでも子どもだと、自信をなくす。

器を変えたいという思いには、いまのままの器(自分)でいてはいけないという否定感が含まれている。否定感は、向上心に繋がる程度ならよく作用することもあるが、強すぎれば生きにくさを助長する。

まずは器を自覚したい

いま必要なのは、器をむやみに大きく広げようとすることではなく、自身の器を見つめ直し、大きさにあったものを入れることであったり、見合った環境に置くことであったりするのかもしれない。

どんなにいい器も、置く場所を間違えれば浮いてしまうし、使い方を間違えれば役に立たないこともある。大きさを変える前に、どんな大きさで、どんな形の器なのかを知った方が使いやすい。形も大きさも分からない器は、持て余す。

だからまずは、器の小ささを自覚したい。自覚すれば、器に収まらないような、身の程以上の評価を求めることもなくなる。そうすれば、余計な発言をする気にもならない。不思議なもので、身の丈をわきまえた発言をしている人は、けっこういい人に見えたりする。

器が小さいか大きいかなんて、本当はどうでもいいのかもしれない。それよりもまずは、器の大きさを自覚すること。

しかし、それが難しい。


文:市川円
編集:鈴木乃彩子

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