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ピアスを外して少しだけ身軽になった

10年前から毎日着けていたピアスを、ジムの更衣室でなくした。買い替えるのもめんどうで、ピアスを着けなくなって半年経つ。すっかり小さくなった穴を鏡で見ながら、なんかいいなあ、と思った。ピアスを着けないほうが自分には似合ってるとか、ピアスを着ける煩わしさから解放されてせいせいするとか、そういうことではない。

大事だったものを手放して、ちょっとだけ身軽になった気分なのだ。

穴を開けた当時、高校を中退した直後で心が弱っていた自分にとって、ピアスはファッションというより武器や防具の類だった。武装しないと何もできない気がして、精いっぱいの虚勢を張るために穴をあけた。若気の至りと言えばそれまでだが、あのときの私にはとても大事なものだった。

でも、いつからか不要になっていたらしい。そのことに気が付かず、惰性で着け続けていた。ピアスの一つや二つ、外したからといって劇的に何か変わるわけではない。でも、常駐していたアプリを停止したくらいの解放感はあった。

それが、いいなあと思ったのだ。そのささいな変化を実感できるのが最高に気持ちよかった。

ピアスに限った話ではない。ここ数年、続けていたことをやめる機会が増えた。煙草をやめた。コーヒーもやめた。酒もやめたし、会社員もやめた。きっかけはいろいろだけど、どれもいまの自分には必要ないからやめられた。しかし気持ちの上では、またいつ始めてもいいと思っている。必要なものではないからこそ、執着せず、自由に選べるのだろう。どちらにも寄らずフラットな感じはなかなか心地いい。こういうのを中庸と言うのだろうか。

やめる代わりに始めたこともある。最近は英語の勉強と筋トレが日課だ。しんどいけれど楽しくて、なんだかんだ続いている。しかしこれもまた、いまの自分は気が付いていないだけで、ピアスと同じ武装なのかもしれない。「何かに励む自分」という鎧で、不安定な部分を補っているのかもしれない。だからそんな日課も必要なくなる日がくるかもしれないし、それは数年後か数ヶ月後か、はたまた数日後かもしれない。あるいはすでに必要なくなっていて、やめるきっかけが見つからずにいるだけかもしれない。

そして、そのどれであってもいいと、いまなら思う。

やじろべえやおきあがりこぼしのように、いつでも倒れそうなのに倒れない。倒れたとしてもすぐに起き上がる。どちらかに偏りすぎず、しかし一時的に偏ることをよしとしないわけでもない。一か八かを狙わずほどほどに。かといって何もしないわけでもなく。地に足をつけながらふわふわする感じ。そういうスタイルが好きだ。

ずっとそうあれるといいなと思う。


執筆:市川円
編集:アカ ヨシロウ

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