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年の暮れに祖母を想う。
駆け出しのライターとして出会ったメンバーたちが、毎回特定のテーマに沿って好きなように書いていく「日刊かきあつめ」です。
今回のテーマは「#正月」です。
近所のスーパーに、しめ飾りが陳列されていた。「お正月の準備は大安に!」という張り紙には、今日が大安であることも書いてある。今年もそんな時期か。大して高いものでもないし、適当に買っておくかーーと、その場でゆっくり考える時間はない。
3歳になる息子が、最近お気に入りのメロンパンの売り場めがけてまっしぐらに歩いていく。これまたお気に入りの、猫のイラストが描かれたお買い物トートバッグを提げて、ずんずん歩く。店員の皆さんは穏やかに見守ってくれているが、周囲の買い物客にぶつかりそうになることも多い。まだまだ目を離せない息子を追うため、しめ飾りの売り場を後にする。
そんなことを何度か繰り返して、結局まだしめ飾りは買っていない。買いそびれるうちに、「そもそもいるか?」という思いが頭をもたげる。そういえば、しめ飾りを飾る理由もよく分かっていなかった。調べると、どうやら、大掃除が終わったあとで「ここは清浄な場所なのでぜひお越しください」と神様に伝えるためのものらしい。我が家はまだ大掃除を終えていないし、どころか、やるかもあやしい。だから、用意しないほうが正解なのかもしれない。
わたしにとって、お正月遊びの定番といえば「花札」である。そして、花札と言えば祖母を思い出す。
我が家の年末年始は、母方の実家へ泊まりがけで顔を出すのが恒例だった。総勢でだいたい15人くらい集まり、そこへ近所の人もちらほらと顔を出す。その家は、家業の受付窓口の役割を果たしていて、作りも住居にしては変わっている。入ってすぐに土足で上がれる30畳ほどの広間があって、そのスペースをリビングとして使っているのだ。年末年始には、その広間へ畳を10枚ほど適当に敷き、そこで昼夜問わずごろごろする。
花札は、たいてい大晦日や三が日の夜に始まる。畳の中央に座布団を敷き、その周りを7、8人の子供が車座に囲む。参加者に手札を配り、場札と見比べながら、乗るか降りるかを決める。2人乗ればそこで勝負が始まり、勝負の最中は観戦してもよし、各々ゲームやテレビに興じてもよし、というのが一連の流れだ。
わたしは親戚の中でも末のほうで、しかも歳が離れている。わたしが小学生のとき、周りはみな中学生や高校生だった。それでも花札の輪にはしっかり入れてもらって、なんなら勝率は高い方だった。それに、ただ勝つだけじゃなく、でかく張ってでかく勝つ。それを狙ってやるものだから、「お前はばあちゃん譲りの博才がある」と褒めそやされたものである。祖母は大戦中に観光業で一発当てたそうで、それを元手に一家を養えるだけの家賃収入を生み出すビルを建てた傑物だ。
しかし、わたし自身に、祖母と過ごした記憶はほとんどない。わたしが花札に参加できるようになった頃には、もう祖母は亡くなっていたのだ。
祖母が亡くなったのは、わたしが5歳のとき。家で息を引き取った祖母を囲んで、最後の日は広間に畳を敷き詰めてみんなで寝た。祖母がなくなったショックをひきずり、幼稚園に通園する道中、母に手をひかれながらずっと泣いていたこともある。他に、通夜に近所の人がやけに多く参列していたことや、火葬場でお骨を拾ったことも覚えている。
でも、それらはぜんぶ「祖母が亡くなった後」の記憶で、「祖母が亡くなる前」の記憶はどれもおぼろげだ。
だから、わたしにとって祖母を明確に思い出す機会は、花札を通して「祖母譲りだ」と褒められるときのほうが多かった。褒められるたびに、まんざらでもない気持ちになった。みんなは祖母を怖いと言うが、わたしはおぼろげながらもやさしい祖母しか知らない。それもまた、特別感を強めた。
いつからか正月の集まりはなくなり、花札ももうずいぶんやっていない。実家へ顔を出せば仏壇を拝みはするものの、日常の中で祖母を思う機会はほとんどなくなった。
お正月にお迎えする神様を「歳神様」というが、地域や信仰によっては、これがご先祖の魂が神様になったものとする考え方もあるらしい。
だとすれば、大掃除やしめ飾りは、祖母の供養にもつながるのだろうか。おぼろげな記憶に思いをはせながら、掃除に没頭するのも悪くないかもしれない。
執筆:市川円
編集:アカ ヨシロウ
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