『黄金の拘束服』
『甘利明氏の性格タイプ』のときにこの表現を使ったので、説明のために書いています。
今回はイギリスやアメリカやギリシャ、そして日本の状況を説明するためにこの言葉を使いたいと思います。
拘束服とはこんなものです。ウィキペディアでの説明。
思い出すのは、映画『羊たちの沈黙』のハンニバル・レクター博士が拘束服で縛られていましたね。あれです。あれ。
『黄金の拘束服』とは、『レクサスとオリーブの木』という本の中で、トマス・フリードマンが使った言葉です。本は上下巻あって、読み込めていないので、ネットから引用しながら説明します。
『きつくても、着ざるを得ない「黄金の拘束服」』からの引用です。
残念ながら、この”黄金の拘束服”には、サイズはほぼひとつしかない。だからそれが窮屈なグループもあれば、窮屈を通り越して体に食い込んでいるグループもあるという状況で、社会は、絶えず経済制度を合理化し、絶えずその性能をアップグレードするよう、圧力をかけられることになる。もし、この拘束服を脱ぎ捨てたら、競争でまたたくまに落ちこぼれる。しかし正しく身につければ、たちどころに追いつくことができる。拘束服は、いつも見栄えや肌障りや着心地いいとは限らない。
『【柴山桂太】外国人投資家の発言力』からの引用です。
各国政府の手足を縛ることで、企業や投資家は安心してグローバルに活動できるようになる、というわけです。
そしてフリードマンは、こうした事態は望ましいことだ、と主張しています。国家に「拘束衣」を着せ、国家主権を制約することで、企業の活動の余地がもっと広がると考えるからです。
彼らは、民主主義を重んじていません。それよりも、ビジネス環境が整備されることの方が重要です。フリードマンは冗談気味に(一人一票ではなく)「一ドル一票」の時代がやってきたと書いています。国境を越えて資金を動かすことのできる人々が、その資金量に応じて、強い発言力を持つようになる。そしてそれは世界の未来にとって望ましいことと書いているのです。
つまりフリードマンは、グローバル化の時代には、各国の国家主権は「黄金の拘束服」によって制限され、民主主義は「電脳投資集団」によって左右されるようになる、と予見しました。それを素晴らしいことだと考えている点を除けば、フリードマンはグローバル化の本質をきわめて的確に捉えていると言えます。
拘束服を着ないと・・・つまり、言うことを聞かないと、資金を投入しないよ。 言うことを聞けば、資金を投入するよ。株価も上がるよ。国債も買ってあげるよ。というわけです。だから、規制も関税も撤廃して、税金を低くして、法律もゆるくして、それから、私たち投資家や企業の権利は最大限にね、、、あ、もちろん、交渉も日常会話も契約書も英語でね。ルールはこちらで決めるから、裁判もこちらの指定したところでね。あとはね、あとはね、・・・。という感じでしょうか。
「拘束服」というとらえかたは色々と応用が効きそうですね。
イギリスのEU離脱は、EUの拘束服を脱ぎ捨てようとしたという理解でいいのかな?一方でギリシャは拘束服を脱げないでいるという、、。
トランプ氏の当選は、意図したかどうかはともかく、「一ドル一票」を覆したようですね。トランプ氏支持者の中には、拘束服による被害者がけっこう含まれているように見受けられます。ただ、、、タイプ3のアメリカ人が被害者なんてみじめな言葉を受け入れることはないでしょう。そういうときは被害者や敗者では無くて、そもそもルールや社会がおかしい、というふうに話を持って行くものです。過去の日米貿易摩擦で「アンフェア」という言葉を使ったように、自身を悪いイメージで語らないのが(語れないのが)タイプ3国家(国民)アメリカというものなのです。
トランプ氏支持者の方々は、今の自分を正当化する分かりやすい言葉を欲していたのだと思います。だから、「黄金の拘束服」といった小難しいたぐいの言葉では無く、たとえ本質からずれていようと分かりやすく「違法移民」といったたぐいの言葉を選挙で使っていたのは、選挙を戦う上では正解だったわけです。
「社会は、絶えず経済制度を合理化し、絶えずその性能をアップグレードするよう、圧力をかけられることになる。」・・・これ、今の日本じゃないですか。大学の文学部軽視は、最終的に入試から授業まで全て英語でできるようにする布石でしょうし、道路標識も変更しようとしているし(東京五輪が名目)、地下鉄の記号表記も名前が覚えにくい外国人向けだし、12月からは衣類につく洗濯用の表示が国際標準化機構の仕様になって外国製品が日本で売りやすくなるし(たとえば「ドライ」表示の文字が「P」になります)、移民と多国籍企業にやさしい社会作りが進んでいます。今日の日本は、拘束服をせっせときつく締め続けています。締め付けておいて、「これでよろしいですか?」「これでよろしいですか?」と言っているようです。
こうやって見ると、グローバル化を選択した小泉政権下で、雇用の形が変わっていったのも当然だと言えますね。
では、なぜ日本が英国や米国のようになってないかというと、移民という分かりやすい対象がいないからと、従順なタイプ6の国民性であるという理由と、なにより、貯蓄があるからでしょうね。これが無くなったときに、同じようなことが起こる可能性があります。
2017年2月19日追記
「黄金の拘束服」と「グローバル化」はさらに2つの効果をもたらすようです。
1つ目は、「黄金の拘束服」により、政府の政策が締め付けられるので、政治が経済に与える影響は無くなっていくという点、これは片山杜秀氏が指摘しています。
冷静に考えてみれば、大統領や首相が替わったからといって、新しい成長モデルが出てくるものではありません。しかも、経済のグローバル化が国家の経済に対する影響力をどんどん限定的にしている、つまり、「国家の経済的アクターとしての地位」は低下の一途を辿っているのが現代史ですから、さすがの米国大統領でも「グッドアイデアを実行すれば世の中がいきなり変わる」ということは、もう恐らくありえない。大統領がそういう約束をできると考えるほうがおかしい。
『「スッキリしたい」言語麻薬がトランプを走らす(片山 杜秀:2017/02/06:日経ビジネスオンライン)』より
みなさん、これは日本でも同じですよ!
2つ目は、「ウィンブルドン効果(ウインブルドン現象)」が起こりうる点。
語源はテニスのウィンブルドン選手権。もともとは地味なローカルテニス大会であったが、レギュレーションを変更して成功、同選手権に世界中から強豪が集まる世界最高峰の大会となったものの、開催地イギリスの選手が勝ち上がれなくなってしまった。男子シングルスでは1936年のフレッド・ペリーの優勝から2013年のアンディ・マレーの優勝までの77年間、優勝がなかった。また、女子シングルスでは1977年のバージニア・ウェードの優勝を最後にイギリス人の優勝者は出ていない。(ウィキペディアより)
大相撲や日本でなじみのある企業でも、中身を見ると、外国人が大半であったり、トップが外国人であったり、外国の傘下になっていたり、勢いがあるようでいて、日本人は関係無いという現象が起こりうるという点です。
これは小さな規模であれば、日本の地方でも起こっていて、大手がショッピングモールを建てて、華やかになったけれど、地元の商店がつぶれたという話などがそれにあたります。地元は、新しい産業を興さなくては、職が無い状態になります。それができずに、地元がやせ細ってしまえば、大手は採算が取れないので引き上げてしまいます。後には産業がつぶれた荒れ地が残ります。こういうのを焼畑商業(やきはたしょうぎょう)と言うようです。
今でもアマゾンに押されて、首都圏でも書店がつぶれたり縮小化されたりしていますからね。書店がなくなれば、売れ筋の本だけになり、日本の出版文化のすそ野はせまくなるでしょうし、そのうち、日本語の「知(叡智)にアクセスする力」が衰退していくのでしょうね。水村美苗さんの本を読んでいると、なおさらそう感じますね。
2017年2月25日追記
科学雑誌「Newton」をはじめ雑誌書籍の編集出版を行っている(株)ニュートンプレスが2月20日、東京地裁に民事再生法の適用を申請しました。会社は事業は継続したいと考えているようです。
今の日本は一時期より科学雑誌が減ってきています。昔に比べ多様なコンテンツがあるのも原因ですが、売れ筋だけが生き残る世界で、日本語の「知(叡智)にアクセスする力」が、すでに弱まり始めている可能性があります。