そんな僕と日向坂46にハマるまでの話

満たされないことでの不安。満たされていることでの不安。

 どちらが正しくてどちらが間違いなのか。正解はないはずだ。

 私はずっと前者を避けてきた。というよりも選ばずともその道を歩んできた。

 幼少期から続けてきたサッカー。部活動と密接に繋がった現代の日本教育ではチームスポーツのメリットは少なくなかった。

 学校では部活仲間がいて、帰属すべき組織が常にある。それに安堵する。同じく別に組織を持った、野球部、ラグビー部らとその帰属意識に安心感を覚え、共感する。そうして各クラスでも居場所が生まれる。

 そうした帰属意識の連鎖のおかげで「満たされない不安」を抱くことは自ずとなかった。

 学校生活において、私が最も満たされるべきだったのは帰属意識、つまり友人関係だった。

 満たされないことを知らないまま、私は満たされないことから目を背けていった。

 そのままだらだらと大学受験。うまくいかずに浪人をする。

 が、そこでも満たされている私には勉強の必要性を知っている仲間がいた。周りと同じように、しかしやるべき分は淡々と勉強をした。要領は抑えていた。

 世間でもまあ、頭はいいとされる第一志望になんとか合格する。

 チームスポーツの恩恵はデカい。



 大学生活でも今までと同じように全てがすんなりとうまくいった。

 就職も、恋愛もそれなりにうまくいった。

 満たされることでの不安。そんなものないんじゃないか。恩賜ばかりじゃないか。満たされているからこそ感じる不安なんてものは、満たされていない人が謳った嫉妬なんじゃないのか?このまま緩い幸せがだらっと続いていくんだろ、きっと。そう思った。

 我ながらここまで滅茶苦茶嫌な奴である

 就職して始めた、彼女との同棲生活が終わりを告げた。

 何故なのかはわからない。元々そんな星回りだったのかもしれない。

 それでも時は刻み続ける。

  彼女との時間がない分、友人と会う時間は増える。

 満たされているはずなのに、何も満たされていない。心が満たされていない。

 なぜだ?

 彼女を失ったショック?いや、違う。確かにショックはデカいが今までもあったことだ。

 環境の変化?もちろんそれも違う。3日連続友達の家の玄関で3寝たことがある。

 何だろう。友達といても、仕事をしていても、何をしてもどこかが欠けている。

 ここで私は今まで目を背けてきた孤独、つまりは自身と対峙することになる。

 あの時周りがやっていないからと続けられなかったメタルファイトベイブレード、ずっと好きだけど一人だからと諦めたレッチリのライブ、彼女が嫌というから離れていった仮面ライダー、興味があったのにそもそも触れてこなかったガンダム。

 私は勘違いをしていた。

 満たされていると思ってきた中で、いくつもの可能性と好奇心をいつの間にか捨てていたのだ。

 満たされているからこそ、無意識に周りの目を気にしていたのだ。

 その捨てられた可能性と好奇心たちに一人になれたことでようやく気づき、私は激しく後悔した。打ちのめされた。

 一見俯瞰すると大したことは無いようにも今となっては思うが、実際この間かなり悩んだ。思春期特有の自己探求なのか。

 かなり悩んだ。

 周りからすれば満たされていたんだろう。

 でも、自分には何もない。なぜこうして生きているのかとさえ思った。いやあ、大げさである。

 そんなときに踏みとどまらせてくれたのは昔から好きだった本、映画、音楽、それからラジオ。

 どれも忘れられない感動体験をし、それが未だに脳裏に焼き付いて離れない。

 あの時やあの時の感動は、そんなギリギリだった僕の背中を支えてくれた。

 満たされるために必要なものは一つだけじゃないと教えてくれた。

 人は一度動かされた心とその感動を忘れない。そしてそれをまたいつか、と渇望する。

 私は、ならばと、心動かされるものを求めて、今まで失った可能性と好奇心を回収することにした。

 ガンプラ、仮面ライダー、アニメ、ポップミュージック、ラブロマンス。

 自然と避けていたもの、忌避していたもの、それ自体すべてがすべて素晴らしいわけではもちろんない。が、一度手を伸ばしてみると視界が大きく開けてくる。新しい物に挑戦するハードルがどんどん下がっていく。

 周りが好きだから、周りが好きじゃないから。この二つの呪われた物差しを捨てた先には全くの新世界が広がっていた。

 そんな矢先に出会ったのがアイドル、日向坂46。

 アイドルなんて最も敬遠な存在だった。

 もちろん、興味がなかったわけではない。元AKB48の入山杏奈ちゃんはドストライクなビジュアルだったし、今もインスタはフォローしている。一度友人の勧めで堀未央奈さんの握手会に行く寸前までいったことがあった。が、結局行かず終い。

 格好良い物を好み、追い求めてきた私にとって最も遠い存在、アイドル。

 それでも見てみようと思ったのはオードリーANNに急遽代打出演した松田好花ちゃんがきっかけ。

 アイドルらしからぬ落ち着きとオードリーリスペクトがこれでも伝わる姿勢。正直かなり驚いた。というか、私自身舐めていた。ごめんね松田この。

 その旨をつぶやくと驚くほどのリアクションをいただいた。

 ならばと、オードリーがMCだからいつか見なければと思っていた日向坂で会いましょうを見てみる。

 どえらい面白い。

 あちこちオードリーが頂だと思っていたがまだまだこんな番組があるんだなとびっくりしたね。

 そしてなにより彼女たちにハマる決定打はドキュメンタリー映画。

 アイドル好きの気持ち、正直私は今まで全く共感ができなかった。

 恋愛においては手の届かなそうな女の子ほど追ってしまう私だが、いざ本当に手が届かないとなると話は別。

 もちろん、なにかしら接点を持てるなんてハナから思っちゃいないが、結局は手に入らないものに全力を注げる人たちの気持ちが理解は示せても共感は全くできなかった。

 そんなアイドルに私はあの時と同じように心を揺り動かされた。

 ほとんどのメンバーが自分よりも年下。

 そんな子たちが一瞬の輝きの為に常に魂を燃やしている。それもその内なる煌めきを一切こちらに見せようとはしない。否、正しくは見せてはならないのかもしれない。それこそアイドルという独特な、輝かしい印象とは真逆だから。

 ただ隠しているだけではない。常に最大級の笑顔とサービスで表舞台に立つことを必要とされ、それが是とされている。ノエルギャラガーが見たらびっくりだろう。

 それが特に象徴的だった場面。2作目のドキュメンタリーで加藤史帆ちゃんが過呼吸で崩れ落ちるシーン。

 ドキュメンタリーとして作られたものではあるのだが、一番衝撃を受けた。

 輝かしいアイドルとは思えない焦燥しきった表情の加藤史帆ちゃん。自身がああなってしまうほどに賭ける思いが彼女にはあるのだ。並大抵の思いではない。画面越しでもその意志の強さと彼女の思いの丈がぐっと伝わる。アイドルに対してのイメ―ジを完全に破壊された。

 そこから補完するようにメンバーたちや、グループとしての生い立ち、背景を知っていった。

 そうなると必然的に彼女たちと向き合うべき視線が同じ高さになってくる。

 もう既に一人間として尊敬せざるを得ない。

 そうか、分かった。

 アイドルの魅力は確かにビジュアルやパフォーマンスにもあるだろう。でもその神髄は彼女、彼らのバックグラウンドにこそあるんだろう。

 ダンス、歌唱力。日向坂含め確かに現代のアイドルルのレベルは飛躍的に上がってきているがそれでもそれらを生業とする人たちにはやはり及ばないであろう。

 なのになぜ、彼女たちの歌が、パフォーマンスが、輝くのか。それは我々が彼女たちの思いを、その背景を知っているから。そして彼女たちのそれがより強く、共感を呼ぶものであればあるほど歌やパフォーマンスは輝きを放ち、唯一無二の物になる。そうなんじゃないだろうか。

 そんな偉そうなことを言ったものの、私の推しはキャプテンの佐々木久美ちゃん。理由はビジュアルがドストライクだからだ。



 閑話休題。

 それらはここまで私が様々な紆余曲折を経てこなければ辿り着けなかった答えだ。



 君を脅かして

 飛んでったあの虫は

 むしろ君を

 化け物だと恐れたのかも



 これは私の愛するバンドUVERworldの楽曲、ピグマリオンの一節。

 あなたが偏見で見下す「それ」こそ、あなたが最も必要としていたラストピースなのかもしれない。それもこれも好奇心と可能性を心に宿していることこそが大切なはずだ。それさえあればいい。私が身をもって、気づかされたことだ。

 果たして私は今、満たされているのだろうか、満たされていないのだろうか。わからない。でも、先述した通りその問いに答えなんてないのだろう。その都度変わればいい。

 あらゆるものは通り過ぎる。誰にもそれを捉えることはできない。村上春樹もそう言っていた。

  私は12月26日、生まれて初めてアイドルの、日向坂46のライブに行く。またいつかの感動を追い求めて。

 これからの彼女たち、そして新たな扉を開く自分自身が本当に楽しみだ。

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