幻想は、時として現実を超越する [ビューティフルマインド 感想]
90点
美しく尊いノンフィクション。素晴らしい作品に出会えた。
1947年アメリカとソ連は周知の通り冷戦状態にあった。主人公ジョンナッシュは数多いる学生の中から僅か2名にしか認められない名誉ある奨学金でプリンストン入学した希代のホープ。
数学の天才である彼は数学に対する論理的な思考を日常においても遺憾無く発揮。僕は退屈な授業になど出席せずに僕だけの完璧な理論を構築すると豪語。しかし、すぐに成果が出る事はなく、同じ奨学金で入学したもう1人の生徒は完成度の高い論文を書き上げていた事を知りさらに焦燥を募らせる。
奨学金で入った事もあり、周りからは疎まれ、小馬鹿にされる存在となっていた。
そんなジョンに教授が説得をするシーンがとても印象的。
テーブルで人に囲まれ、ペンを次々に貰うと同時に祝いの言葉を渡される人物を見つめるジョン。数学の世界で功績を残し表彰される者の風習らしい。そんな功労者を指して教授が、
「ジョン、まずは何か形を残すべきだ」
と、説得するのだ。
だが、そんなジョンにも唯一の理解者がいた。同部屋のチャールズ。ジョンとは打って変わって陽気な性格のチャールズ。正反対だからこそ打ち解けていった。
行き詰まりそうなジョンだったが、チャールズのお陰でその都度持ち直し、見事150年の常識を覆すレベルの論文を作り上げる。
その成果を見出されマサチューセッツ工科大の研究所へスカウトされる。
そうして5年の時が経つ。研究所では重大な任務は割り振られず飽き飽きした日々を送っていた。(そこで後の伴侶と出会うのだが…)
そんなある日、ジョンの暗号解読の腕前を買った政府の一員からソ連の陰謀を阻止すべく暗号解読をしてほしいと依頼を受けるジョン。
だがそこからジョンの人生は激変していく…
という話。
ここからはネタバレ踏まえなければ語れないので核心について触れていく。
最初見た時にまさかこんな話になるだろうと想像できたものがいようか。
20年前の映画だし、謎の組織がいて政府の怪しい任務に小難しく解決してく感じか〜。まあ我慢してみるか〜。くらいに私は思っていた。
まさか統合失調に苦しむ天才の人世譚だとは思わなかった。
確かにチャールズに重きを置いて振り返ると違和感は多々あった。
バーで同級生と話すシーンではチャールズだけ輪に入っていなかったし、研究所へ行く事が決まった時もチャールズを帯同させなかったのは違和感があった。チャールズの陽気な性格を踏まえるならば尚更であろう。
前半に、ジョンの成功と衰退、そしてようやく出会えた理解者チャールズと妻アリシア。これら全てをジョンと共に1時間近く歩んできた視聴者側にとっては、自らの唯一の柱ないしは光が「統合失調」という強烈なインパクトにより、ジョンと同じ様にあっさり崩された気持ちにさせられる。
雪の日に机を投げ出して笑い合ったあの日はなんだったのだろうか。夜空を見上げ、2人で星座をなぞった美しい夜は何だったのだろうか。チャールズやソ連の暗号だけでなく、ジョンとして歩んできた人生そのものが幻だったのだろうか。喪失感に包まれる。いや、ジョンや、アリシアの悲痛はこれ以上に想像し得ないものだったのだろう。
統合失調患者の苦しみをここまで我々にわかりやすく想起させるアイデアは恐ろしくもあり、素晴らしいとも思った。
その後の自宅裏の倉庫で再びジョンが幻に惑わされるシーンでも、ジョンの視点からアリシア視点に移り変わり、彩が失われる対比が無惨で見ていられなかった。
チャールズは幻でもアリシアは確かに実在した。彼はジョンを支えていく覚悟を決めていた。あの時描いた星座は今もアリシアの胸の中で輝いていた。
ジョンは幻と向き合いながら、かつていたプリンストン大学へ、かつての同じ奨学金で入学したライバルの下で、ジョンが拒んでいた授業へ参加し合間に講師として働く道を選択した。拒んできた全てを受け入れる覚悟をジョンは決めたのだ。
そうして時が経ち1994年。
なんと、ジョンが研究所へ来るきっかけとなった理論がノーベル経済学賞を受賞する事になったのだ。
この時、私は全てを察した。
その後、ジョンはあの時と同じテーブルにつく。そして次々とペンを渡されるジョン。なんて美しいシーンなのだろうか。久しぶりにボロボロ泣いてしまった。
このシーンの素晴らしいところは沢山ある。
ジョンの全てを受け入れ、幻と共に人生を歩む覚悟が生んだ素敵なプレゼントでもあり、医者やアリシア、強いてはジョンすらも厄介者として遠ざけていたチャールズがいたからこそ獲れた賞でもあるのだ。
彼の人生に無駄なもの、時間など何一つなかったのだ。
そこまで思いエンドロール見終えるまで涙が止まらなかった。
私は統合失調ではない。そして殆どの統合失調患者はジョンの様に美しい人生を描く事はできないのかもしれない。
それでもジョンがいた。チャールズがいた。アリシアがいた。という事実は脚色が加えられた話とはいえ確かに存在した。
その事実はきっとどこかで、誰かを、言葉や時を超えて寄り添い支えとなっているのでは無いかと私は思う。
幻想は、時として現実を超越する。
私は彼らの支えによって立ち上がれる日がいつかやってくる気がする。根拠や論理はない。が、確信している。
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