言葉はいつも、大事な時に足りない。
今日、市の主催する無料イベントで、出張ポエマーたちが出店していた。みんなそれぞれアルファベットがヒュッヒュッっと飛び出して紙にパチパチとインクをつけていく、いわゆる伝統的なタイプライターを持参していた。無料で、キーワードだけ伝えるとオンリーワンの詩を書いてくれるとのこと。少し並んだけど頼んでみた。テーマを聞かれて、何にしようか少し迷って、ちょっと前に飲んでいた「コーヒー」にした。軽くインタビュー形式で質問をされ、その答えを元にものの5分で詩は完成した。ぜんっぜん思ってたより凄かった。言葉を操るってこういうことか、と感動すら覚えた。タイプライターで打ってくれた詩はもらって帰ってきたので、そのうち額に入れて飾ろうと思っている。
同じ日の夜、インスタを流し見していたら、前からフォローしているの子のお母さんが、その子の代理でストーリーを上げていて、「彼は大丈夫、みんなの気持ちは伝えている」と文字だけの投稿。
この子は昔一緒に仕事をしたことがある人で、当時はまだ未成年だったら「この子」って言っているけど、今はれっきとした大人で、プロのダンサーだ。
この子は、一緒に仕事をしたちょっと後に何度かみんなで集まったり、一度だけ一緒に飲みに行ったことがあるくらいで、最近は全然連絡を取っていないし、本当にインスタで活躍を眺めているくらいの間柄だ。友達と呼べるような距離感では全然ない。けど、いつも応援していたし、彼が出演するショーを見に行きたいと思っていた。
一昨年、この子は自殺を図った。自分で自分に銃を向けて、左肩を撃ち抜いたそうだ。
幸い大事には至らず、傷も癒えて去年大きなショーに毎日出演していた。ダンサーなら誰もが羨むようなすごいショーだった。
でもこのショーも閉幕し、インスタの更新頻度がずいぶん減ったな、と思っていた矢先の今晩のストーリー。詳細を聞かずとも、何があったのか想像できてしまった。
こんな時、どんな言葉をかけたら良いのか、本当に分からない。
でも今、何か言わないと手遅れになることがあることも、ここ数ヶ月痛感している。
ここ3ヶ月程、知っている人が3人亡くなった。それぞれ間柄も違うし、亡くなった理由も違うけど、どれも最後のお別れはできなかった。私が何か言えたら、違う世界線を今眺めているのだろうか。
一番最近亡くなった方は去年の11月、私の携帯に留守電を残していた。忙しくて電話に出られなかった、というのは言い訳で、会話を避けていた。話したくないと思っていた。この人が嫌いというわけではなかったのだけど、少しボケが進んでいて会話が支離滅裂としていたり、恐らく悪気はないけど変にチクッとくることを言ってくる人だった。病気をしていて、体の自由が効かなかったり色々と思い通りにいかないことがフラストレーションになっていて、それが言葉に滲みでているのだろうと思う。何より、私の前職に関わる人で、「また一緒に仕事をしよう」と誘われるのがとても苦痛だった。今はその世界から離れたところにいたかった。だからこの人との会話、しいては関係に距離を取っていた。今は自分の心に余裕がないから、心が元気になったら連絡しようと思っていた。でもそれはもう叶わない。
だからさっき必死で、例のインスタの子にメールした。彼に何があったのか事実の確認をしようがないから、20%くらいの確率でまったく見当違いのことを送ってしまったかもしれない。彼のお母さんが続報を投稿してくれるまで待つことも考えたけど、でももしかしたら次の投稿はもう彼がこの世にいないという連絡かもしれない。だから今送らなくてはいけなかった。
本当に、何を伝えたらいいのか、分からなかった。
「一人じゃないよ」なんて口が裂けても言えないと思った。だって私自身が信じていない、そんな言葉。嘘をつくことになると思った。だから、『「一人じゃないよ」とは言えないけど君のことを思っているよ』と伝えた。そして私のエゴであっても、生きていて欲しいと思っていることも。
そもそも送ったメールをあの子が読むのか、読める状況なのか、読みたいと思うのか、まったく分からないけど、私のできる限りは今、想いを伝えることで、それを受け取ってくれるかどうかは、どうすることもできない。
次の日、この子から返信があった。正確には、この子のスマホを使って、この子のお母さんが返信をくれた。「あなたが誰だか分からないけれど、送ってくれた美しいメッセージを本人に伝えます、きっと励みになるから」と。まずはこの子の生存確認がとれた。嬉しい。そして、まさか本人以外の人に読まれるとは思っていなかったけど、私が必死に絞り出した言葉を美しいと言ってくれる人がいた、本人の励みになると一番近くにいる人が思ってくれた。あぁ勇気を出して言葉を紡いでよかった。本当によかった。なんだか救われた。
昨日もらって帰ってきた詩を、改めて読み返してみた。当初程の感動はなかった。なんならちょっとクサいというか、少しチープというか。でも、なんかそれを含めて愛おしかった。貶しているのではなくて、即興ポエムだ、そりゃ長い間練り上げた詩ではない。後世に伝えたい傑作ではないかもしれない。けど、あの日、あの場所で、手を伸ばせば届く距離で作ってくれた詩だから良いんだ。インタビューだけされて、後日詩が届いたら、きっと感動しなかったんじゃないかと思う。あの瞬間を言葉にしてくれたことに価値がある。だから、言葉を伝えるのは、いつも今なんだ。大事な時程、今じゃなきゃなんだ。
今言葉を伝えられたことに、励まされた。自分の行為で自分を励ませるなんて、なんてクローズドループなんだ。エコかよ。長い間、失敗することが怖くて、取り返しのつかない事を言ってしまいそうで慎重になりすぎていたのかもしれない。だからこの今これを書いている気持ちも、完結していないし、オチもないんだけど、誰かが読んでくれることを願って、「公開に進む」を押す。