活かすも殺されるも差別。
随分前のことだが、“普通すぎるからこそ苦しい”って感じの心情をリリックに乗せたラッパー動画がオススメに流れて来た。
なんだろう、もはや“普通とか特別とかそれ自体が差別の助長のような気がしてきたな。”と、当時瞬間的に感じたことを記憶している。
情報過多によって比較対象は無限増殖、それゆえ比べるのは良くないと言いつつ比べてしまったり比べられてしまったりする社会だ、
嗚呼、鬱。
…と、書きつつも結局はそれを活かすことが出来れば普通過ぎようがそれをリリックにしてマイク握ってラッパーして共感をあぶり出せるってことで。そしてその先には漏れなく希望や夢や憧れを他者に与えることが出来る可能性があるってな訳で。それっていうのはどんな事柄に対しても可能性があることだなと感じた。
私達は単純に可能性しか無いのだ。
差別とは実に悲しいものだけれど、当たり前だが視点を変えれば特色なのであって強みでもあると言う事を忘れずにいたい。
こんなに比較対象が多く、目に余る社会だからこそ。それだけ人の目につきやすくある種仲間/共感を見つけやすくもあるネットワークの中で。いい意味での差別化としてせめて自分自身を高めていけたらいいなと思う。
P.S.
振り幅がある≒共感と同じだけの反感があることも忘れずにネ。