「解放令反対一揆」考察(1):増長
上杉聰氏の『部落を襲った一揆』(新装版)及び『明治維新と賤民廃止令』を基本文献として,『備前備中美作百姓一揆史料』(第5巻)『近代部落史史料集成』(第二巻)『美作騒擾史料鈔』などの史料および『岡山県史稿本』など岡山県に関する史料を参考に,「解放令反対一揆」についてテーマごとに考察していきたい。
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私にとって最大の疑問は,農民がなぜ部落を襲撃したかである。その理由と背景を明らかにするキーワードの一つが「増長」である。
…又穢多廃止ノ為メ,新平民ガ近時傲慢ノ態度アルヲ見テ之レヲ憎ミ…
…諸事平民同様扱い呉れ候様申に付,既に慢心増長と存じ…
…穢多皮多御廃し以前より少々気高にこれ有り候処,今般の仰出られにて弥増長…
…我儘増長,百姓を軽蔑…
…平素新民共の傲慢を憤り候…
上記は,解放令反対一揆に関連する史料に見られる農民たちの部落に対する不満の声である。
「増長」を辞書で引くと,次のような説明が書かれている。
①次第にはなはだしくなること。だんだんひどくなること。
②次第に高慢になること。つけあがること。
このように,「増長」とは,生意気・傲慢・高慢・横柄な態度や言動を指す言葉である。
「増長」は,以前と比較しての表現である。
(たとえ徐々にではあったとしても)ある時点まではそうまでは思っていなかったが,ある時から自分の中に「増長している」と思う感情・意識が生まれたのである。
では,部落の何が,どのように,以前と比べて「増長」と思えるようになったのだろうか。
「増長」は,他と比較しての表現でもある。
では,部落の何を,どのように,誰と比べて「増長」と思えるようになったのだろうか。
「増長」は,受け取る人間(の側・立場)の感覚や意識に左右される。つまり,自分自身との比較によっても生まれる感情である。部落を自分と「比較する対象」と意識しなければ,それほどには生まれない感情である。
「気になる」から意識するようになる。相手が自分の視野に入ってくるから,相手のことが気になるのだ。関係がなければ意識することもない。
あるいは,意識する必要のない「関係」であれば,気になることもない。まして,「立場(身分・地位)の違い」が明確であれば尚更である。
自分との比較において,相手よりも何らかの「優位性(優越感)」が実感できるとき,人は相手を気にしないでいることができる。
同じ立場や内容,状況(であると自分が意識する場合)において,自分が相手を比較するとき,優越感や劣等感が生まれてくる。
何が自分にとって比較の「条件」(気になること)によっても異なる。
例えば学歴を気にする人間にとっては,経済力や職業はさして気にならないが,大学を出ているか,どこの大学かということが気になる。学歴に劣等感をもつ人間は,他の事柄で他者と比較して優越感を得ようとする。
このように,職業や収入,容姿など,その人間にとって気になることが他者との比較条件となり,それ以外の代替条件によって優越感を得ようとする。
優越感を得るために,劣等感を克服しようと努力する人間もいれば,他者を扱き下ろすことで自己満足する人間もいる。比較対象の相手にされないことが許せない人間もいる。
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では,部落をいつから,どのように,なぜ自分と比較するようになったのだろうか。