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光田健輔論(53) 「三園長証言」の考察(2)

国会図書館に所蔵されている国会議事録より,いわゆる「三園長証言」を見ることができる。

「癩予防法」改正問題が浮上した昭和26(1951)年11月8日の参議院厚生委員会において,林芳信(全生園園長),光田健輔(愛生園園長),宮崎松次(恵楓園園長),小林六道(国立予防研究所所長),久野寧(名古屋大学教授)の5人のハンセン病の学者・専門家が諮問され,特に国立療養所の三園長は,この病気が極めて弱い発症力しか持たないことやプロミンの登場によりハンセン病が治る時代となっていたにもかかわらず,隔離の強化と患者への懲戒規定の強化を主張して法改正を強く求めた。これが「三園長証言」である。

今,あらためて「三園長証言」を読み返してみると,この証言が歴史的に重要な分岐点であったことがよくわかる。是非とも一読してもらいたいと思い,ここに全文をPDFで掲載しておく。

「三園長証言」は、最初に3人の園長による「意見」が述べられ、その後に「質疑応答」である。その内容を、犀川一夫は『ハンセン病医療ひとすじ』で、次の4点に要約している。

(一)わが国のらい患者の分布状況と療養所の問題
(二)らい予防および、治療の問題
(三)貞明皇后記念事業の問題
(四)国立らい研究所の問題
しかし、証言の主なる目的は「らい予防法」改正にかかわりがあった。
三園長は、治る時代を迎え、患者の治療と福祉の必要性を強調はしたが、「らい対策」に対しては、現時点では患者の強制収容の必要性を一様に述べ、そのうえ「強制収容」を強調、従来の「隔離行政」の維持、継続を証言した。

犀川一夫『ハンセン病医療ひとすじ』

私は、犀川の要約を参考にしながら「患者の分布状況と強制収容」「治療と療養所の問題(絶対隔離)」に関する3人の説明と意見を抜き出し、彼らのハンセン病観、患者観を明らかにしておきたい。
まず、「患者の分布状況」について、林は次のように述べている。

<林芳信>
我々が推定いたしますると、大体一万五千の患者が全国に散在して、そのうち只今は約九千名の患者が療養所に収容されておりますから、まだ約六千名の患者が療養所以外に未収容のまま散在しておるように思われます。でありますから、これらの患者は周囲に伝染の危険を及ぼしておるのでございますので、速かにこういう未収容の患者を療養所に収容するように、療養施設を拡張して行かねばならんと、かように考えるのであります。

林の示した「患者数」に光田も宮崎もほぼ賛同している。問題なのは、なお「未収容」の患者を「周囲に伝染の危険を及ぼす」と決めつけ、全患者を「収容」することに固執していることである。

ハンセン病の専門の医師として、この病気が極めて弱い感染力しか持たないことを熟知している彼らが、しかもプロミンの登場によりハンセン病が完治する時代になっていたにもかかわらず、なぜ、ここまで隔離にこだわり、さらに隔離の強化を主張するのだろうか。

藤野豊「『戦後民主主義』のなかのハンセン病患者」『歴史のなかの癩者』

次に、林は「収容」に関して、次のように述べている。

<林芳信>
在宅患者を療養所に誘致するということには相当な困難が伴いますので、…在宅患者に十分癩そのものの知識又療養所の現在の状態、それらのことを十分認識せしめ、即ち啓蒙運動が非常に必要でございます。一方又患者が療養所に入所いたしましても、家族のものが生活に差支えのないようにというふうに国家が家族の生活を保障するということが非常に大切なことでございます。而も病気の性質上、その家族から患者が出たということが世間に知れますというと家族が非常な窮地に陥りますので、世間に余り知れないような方法において家族を救済するということも、生活を保障するということも必要だと思います。

この林の意見は、当時においては、最も妥当である。彼の心中には「山梨県一家9人心中事件」が強くあったのかもしれない。

これに対して、光田にはそういった患者や世間に対する「配慮」は一切なく、ただすべての患者を強引にでも収容するための方策を訴えている。

<光田健輔>
…そういうような者に強制的にこの癩患者を収容するということが,今のところでは甚だそういうところまで至つていないのであります。知事が伝染の危険ありと認めるところの者は療養所に収容するということになつておりますけれども,次第次第に……元は警察権力の下にあつたのでありますけれども,今日は一つも経費がないと言つたらおかしいですけれども,主に保健所の職員に任せてあるようなのであります。これは以前よりは非常にこのために収容もむずかしいようになつております。この点について,特に法律の改正というようなことも必要がありましよう。強権を発動させるということでなければ,何年たつても同じことを繰返すようなことになつて家族内伝染は決してやまないと,…

光田が言う、「元は警察権力の下にあった」のに、今は「保健所の職員に任せてある」から「収容がむずかしい」とはどういうことか。これについて、藤野は次のように説明する。

…戦前は衛生行政は警察の管理下に置かれていたので、患者の隔離は警察官を動員しておこなわれたが、1948年4月、警察所管の衛生警察事務は全面的に衛生行政部門に移管され、同年9月には保健所法が改正され、さらに1948年1月までに都道府県に衛生部が設置され、以後、地方の衛生行政は都道府県衛生部と保健所が管轄することになったため、強権的な隔離がやりにくくなったからである。

藤野豊「『戦後民主主義』のなかのハンセン病患者」『歴史のなかの癩者』

宮崎松記も、警察から衛生警察事務が移管されたことについて、「質疑応答」の中で、次のように述べている。

<宮崎松記>
…これは以前は癩行政は警察行政の中に入つておりましたので,いわゆる警察権を以てかなり強制ができたのですが,現在は保健所関係になつております。…保健所とか市町村に委しておきましてはいろいろな事情が纏綿しまして,事実癩の仕事はできません。…なお患者が収容を肯じない場合が予想されますし,又現にあるのであります。そういう場合にどうするか,そういう人の意思に反して収容する法の裏付けがない限りはこれはできませんので,その点を一つお考え願いたいと思います。

宮崎は、強権を発動して「強制隔離」を遂行できる「人の意思に反して収容する法の裏付け」を求めている。つまり、従来のように「強制隔離」を認めた「癩予防法」の改正を要求しているのだ。宮崎は、光田と同様に、患者を<治療の対象>ではなく、<感染源>であり<隔離すべき対象>としか見ていない。それは、次の証言でも明らかである。

<宮崎松記>
…癩の数を出しますことは古疊を叩くようなものでありまして、叩けば叩くほど出て來るのであります。ただ出て來ないのは叩かないだけのことで、もう少し徹底的に叩けばもつと出て來るのではないかと思います。…從來どうして古疊を叩かなかつたかと申しますと、叩いて塵を叩き出すと、塵のやりどころがない。病床はいつも満員で、実は私どもの所も満員続きでありまして、折角きれいにしようとしても叩いた塵を持つて行く所がない。それで衛生当局は幾ら叩き出しても始末に困ると、むしろ叩かないでそつとして置いたほうがいいということを言われます。そう言われますと、受入側である療養所側は何とも言いようがないのでありまして、…

これが宮崎の患者観である。患者を「古畳」に隠れた「塵」のように表現できる人権感覚は、<感染源>から社会を防衛するという<大義>によって正当化される。それゆえ、出席した国会議員は誰も問題視しない。これが<権威>や<専門家>のもつ独善性である。

「質疑応答」の中でも、「強制収容」に関して、光田と宮崎は次のように答えている。

<谷口弥三郎議員> 
…沈澱しておる在宅患者である,…現在の法律では強制的にこれを収容することがなかなか不可能であるという…,実はこの前の小委員会をやりました当時,厚生省のかたあたりからの話を聞くというと,今の癩の予防法でも収容は強制的にできんことはない…,そう心配はないようなお話があつたり…,実際は如何でございましようか。

<光田健輔>
…なかなか応じないのです。もうこれは再三再四県庁でも手古摺つてしまいまして,手錠でもはめてから捕まえて,強制的に入れればいいのですけれども,今のなんではそれはやりかねるのであります。…伝染の危険のある患者に対してはこれを収容することができるというのですけれども,それがもうそういうようなちよつと知識階級になりますと,何とかかんとか言うて逃がれるのです。そういうようなものはもうどうしても収容しなければならんというふうの強制の,もう少し強い法律にして頂かんと駄目だと思います。

<宮崎松記>
今の現在の法律では私どもはこの徹底した収容はできないと思つております。それは今やつております今の法によりますと,勿論罰則は付いておりませんし,いわゆる物理的な力を加えてこれを無理に引張つて來るということは,これは許されませんし,結局本人が頑強に入所を拒否しました場合には私はできない,手を拱いて見ておらなければならない。幾ら施設を拡充されましても,そういつたいわゆる沈澱患者がいつまでも入らないということになれば,これは癩の予防はいつまでたつても徹底いたしませんので,この際本人の意思に反して収容できるような法の改正ですか,そういうことをして頂きたいと思つております。

光田も林も、戦前と同様、<予防>=<絶対隔離>の考えに固執している。そのために「強制収容」を可能にする強権的な法律に「癩予防法」を改正してほしいと要求しているのである。国会議員は、この<予防>という「目的」、国民をハンセン病の感染から守るという<大義>により「強制収容」は正当化され、患者の犠牲も仕方がないと納得したのである。だから、「癩予防法」の改悪は国会を通過したのである。光田らの「詭弁」によって正常な判断ができなかったのである。

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藤田孝志
部落史・ハンセン病問題・人権問題は終生のライフワークと思っています。埋没させてはいけない貴重な史資料を残すことは責務と思っています。そのために善意を活用させてもらい、公開していきたいと考えています。