先日、待望の著書、渋沢寿一さんの『人は自然の一部である』を手にすることができた。一夜で一気に読了し、今はじっくりと読み込んでいる。
渋沢さんと出会って10数年、折に触れて示唆に富んだ話を聞くことができ、いつしか<渋沢ファン>になってしまった。何より自然に対する見方や考え方が大きく変わった。
自然はそこあるものであり、人間はそれを利用するものとしか思っていなかった。「自然との共存」を頭では理解した気になりながら、まったくわかっていなかった。人間中心の傲慢さに気づきもしていなかった。
日生で<里海>に出会い、その発想の原点である<里山>に辿り着いた。導いてくれたのが渋沢さんであり、彼が理事長である<共存の森ネットワーク>の吉野奈保子さんである。
本書で渋沢さんは、まるで自伝のように自分を語っている。自らの原点、分岐点、発想の転換など、自らの半生を通して、日本人が本来受け継いできた<ものの見方や考え方>を鮮明に伝えてくれる。
今でこそ<里山>という言葉が環境保護や気候変動への対策、さらに人類の生き残る道などの代名詞として脚光を浴びているが、元々日本人が自然と共生してきた概念である。同様に、柳哲雄氏が提唱した<里海>もまた、<里山>から学んだ概念である。自然から奪い尽くすのではなく自然と共に生きるために、自然に働きかけながら守りながら生きていく、それが<里山>であり<里海>の考え方である。
高校時代、梅原猛の『哲学の復興』などデカルト哲学を中心とした西洋近代文明原理の批判に強く影響を受けて、一時期、梅原猛の著作を読み耽った。それから40数年、勤務先で<里海>と出会うまで、すっかり梅原猛の提唱(警鐘)を忘れてしまっていた。
机上に、当時読み漁った彼の論文などを集録した『梅原猛著作集7 哲学の復興』があるが、あらためて読み直して、気候変動による異常気象など環境破壊の「ツケ」が押し寄せてきている現在、自然が人間の身勝手な欲望への復讐を始めた現在を予見していたのだと痛感する。
1960~70年代、梅原たちは「警鐘」を鳴らし続けていた。その声に耳を傾けた人間も少なからずいたが、物質文明の豊かさと科学技術の進歩の中、いつしか忘れられていった。私もその一人であったことを恥じている。
渋沢さんの本書、第1章「森と人との関わり」の冒頭、次のような、アメリカ人の活動家の言葉が紹介されている。1997年、エクアドルの震災復興に向けた各国NGOによる環境街づくり会議の席上での発言とある。
本書を紹介することが目的ではない。渋沢さんの実体験から得た至言の数々をわずかの抜粋で伝えられるはずもない。それでも私は多くの方に読んでもらいたい。これからを生きるために、この地球を子孫のために守るために、何をまちがえているのか、何に気づき、何をすべきかを知ってほしい。
第2章「幸せとは」に「SDGsの光と影」と題した小項目がある。
確かに最近の社会科の教科書では、SDGsや環境問題に紙面が多く割かれている。しかし、それは「知識」としての紹介でしかない。「課題」の提起でしかない。授業もまた「解説」に終始する。遠い他所の国のできごとであって、知識は無関心で終わる。悪者探しで消えていく。
渋沢さんは「環境問題は心の問題」であると言い切る。
渋沢さんは、2012年に国連持続可能な開発会議「リオ+20」でウルグアイのホセ・ムヒカ大統領(当時)が行ったスピーチの一節を引く。