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光田健輔論(32) 善意と悪意(2)

以前にも引用したが、邑久光明園名誉園長牧野正直氏は論文『ハンセン病の歴史に学ぶ』の最後に重要な提言を述べている。

https://www.jstage.jst.go.jp/article/hansen/79/1/79_1_25/_pdf

最近、わが国のハンセン病医療の流れは光田健輔一人によって誘導されてきたものでなく、光田もその歴史に翻弄された一人であり、時代の流れこそが問題であったことを強調する論文が出ている。さらに国際的な流れの中で、世界の流れからの乖離を見るという日本独自の動きは、従来多くの人が主張しているようには多くなかった。それゆえ光田やその信奉者たちの責任は比較的軽いのではという議論がなされているが、これは根本的におかしい。このような論を発展させればすべての事象は時代の流れの所為で、その責任の所在が明らかでなくなる。極論すればかつてわが国の行なった太平洋戦争も時代の流れであるから仕方なかったという理論で、すべて容認することになりかねない。筆者は、歴史の一つひとつの事実に誰がどのように関わったのか出来るだけ明確にし、その責任の所在を明らかにすることこそが重要であると思う。それが何万人もしくは何十万人と言う被害者を出したハンセン病問題の検証の中できわめて重要なことであると考える。そしてその責任を問うことが大切であると思う。そうでなければ政治家も官僚も医療従事者もまた同じことを繰り返す可能性が極めて大きいと考えるからである。

牧野正直『ハンセン病の歴史に学ぶ』

同様のことを、荒井英子氏も『ハンセン病とキリスト教』の中で「…時代的正当性を擁護する発言が聞かれるが、それは歴史の一面しか捉えていない」と批判している。

しかし、ハンセン病国家賠償請求訴訟の勝訴判決、ハンセン病問題検証会議の最終報告から歳月が過ぎるにつれて光田健輔および後継者に対する批判は徐々に薄れている気がする。光田らの功罪がほぼ解明され検証されたことにより、先行研究とはちがうアプローチを試みようとするあまり、あえて彼らのプラス面を強調することで真新しい解釈を提示しようとしている感じがする。その結果、従来の見解を安易に否定することで独自な解釈を試みようとすれば、逆に光田らを正当化してしまい、牧野氏の言う「それゆえ光田やその信奉者たちの責任は比較的軽いのではという議論」に陥ってしまい、ハンセン病問題を後世に教訓として残す使命すらが弱まっていく。

悪意がなかったからといっても、それは決して「善意」にはならない。むしろ、「善意」で行ったことが、結果として「悪意」にさえなることもある。光田健輔による「強制収容」「絶対隔離」によって救われた患者も多いだろうが、それらの患者は光田の「善意」を賞賛するだろう。だが、逆に「人権侵害「人生被害」と思った患者にとっては、それは「悪意」でしかない。それは受けとめる側の主観でしかないと言う人もいるだろう。そうかもしれないが、それが他者に対して行使される「強権的な強制力」である以上、他者である一人ひとりの人生さえもが自ら選択できないのであれば、その「行為」は「善意」ではない。

「悪意」と同じく「同情」もまた無責任である。「同情」は第三者あるいは傍観者の立場からの一時的な感傷でしかない。

…感染力が弱いのに強制収容され、治療法があるのに終身隔離されたひとが「かわいそうだ」という論理を採用したくない。その論理の裏側には感染力が強く、治療法がない病気の患者は強制収容、終身隔離されてもしかたがないという論理が貼りついているからだ。ひとを隔離施設に収容するにいたる条件は、感染力の多寡、治療法の有無といった尺度だけでつきるものではなく、もっと慎重な議論が必要なはずだ。
…患者や関係者が長きにおよんだ運動の果てに勝ちえた予防法廃止の時点で「かわいそうな患者たち」が新たに「発見」され、悪法が「非難」されるだけでしかないというところにこそ、ハンセン病問題の本当の根深さがある…。

武田徹『「隔離」という病い』

実際、数年前の未知なるウイルス、「新型コロナウイルス感染症(COVID-19)」が世界中を席巻したとき、「ロックダウン」や患者の「強制隔離」が唯一の蔓延防止措置として実施された。ほとんどの人々が政府の対策を当然と信じて従い、マスク着用や外出を控えるなど自粛に積極的に協力した。連日、感染者数や死者数の報告と政府や医療関係者の見解がニュースや新聞の中心だった。感染者は執拗に感染経路を報告させられ、患者は病院や指定ホテルに強制的に隔離された。

マスコミや医療関係者は、近代において流行した疫病、スペイン風邪や香港風邪、SARSなどとの比較からコロナ感染症を語ることはあっても、ハンセン病を持ち出すことは皆無に等しかった。しかし、最も敏感に危機感を持ち、政府や厚生労働省の対策に警鐘を鳴らしたのは、ハンセン病患者であり、その関係者だった。我が身が体験してきた悪夢が再び繰り返されるかもしれないことを危惧したのだ。
それは「感染力が強く、致死率が高い」という理由によって「強制隔離」が正当化されることへの危機感であった。武田氏の言う「慎重な議論」がないままに時が過ぎていったことへの悔恨の思いだったのかもしれない。


「善意の皮を被った悪意」も存在する。人々が信用しやすい宗教や教育という衣に身を包んだ欺瞞も存在する。被害者を装った加害者も存在する。
特に現代の<ネット社会>という仮想空間では、真偽を確かめることが困難である。それを巧妙に利用して、他者を陥れたり、虚偽を真実であるかのように装ったりする人間が跋扈している。

一例を挙げれば、全国の研究者や教育者などから「攻撃」(誹謗中傷・罵詈雑言)を受けていると「虚偽の被害」を捏ち上げて、少しでも関心を引こうと繰り返し自分のBlogに書き続ける輩もいる。私は、部落史・部落問題においてはそれなりに研究者や教育者を知っているが、彼の名前が話題に出たことは一度もない。何より、彼を「攻撃」したとする研究者や教育者の氏名も具体的な内容など、彼は一切書かない。唯一は私の名前だけだ。虚偽や捏造であるから具体的には書けないのだろう。

光田健輔らが登場した明治から昭和初期、絶対隔離政策が推進され、「無らい県運動」が全国で展開されていた時期、圧倒的に情報量が少なかった。それは情報伝達手段が手紙やハガキ、電報しかなかった。書類も手書きであり、手紙を添えた郵送であったからである。
マスメディアとしては新聞報道とやや遅れてのラジオであった。実際に目で見て判断することがむずかしい時代であった。それゆえに、「噂」「デマ」の類いも含めて口伝えの情報伝達がほとんどであったと考えられる。信憑性を確かめる手段も乏しく、光田らが流した「強い伝染病」「不治の病」等々は、専門医あるいは政府の官僚など「上からの伝達」であることから庶民は安易に信じ込み、尾ひれさえ付いて広まっていった。社会に広まった差別や偏見と相俟って、療養所が唯一の「楽天地」という宣伝も「善意の装い」で広まった。

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藤田孝志
部落史・ハンセン病問題・人権問題は終生のライフワークと思っています。埋没させてはいけない貴重な史資料を残すことは責務と思っています。そのために善意を活用させてもらい、公開していきたいと考えています。