差別の連鎖(藤野豊)
『複音と世界』(2022.3月号)に、藤野豊氏の「部落問題をめぐる差別の連鎖」が掲載されている。
藤野氏は長く部落問題・ハンセン病問題の歴史的(時代的)背景について論究されており、丹念な史資料の分析と考察から問題の本質を的確に整理した著作を生み出している。私も藤野豊氏と黒川みどり氏の著書や論文から多くを教示してもらってきた。特に政治や社会の動向や変化が社会問題に関する社会や民衆の意識にどのように影響をあたえてきたか、それぞれの差別問題がどのように連関してきたか、などについて歴史的に明らかにされた論考は示唆に富んでいる。
藤野氏の本論文は、部落問題・ハンセン病問題が明治から昭和初期にかけて、対外関係の変化に応じた国策によって社会(民衆)の差別意識がどのように影響を受けて変化していったかを簡潔にまとめている。藤野氏の分析と考察をもとに整理しておきたい。
藤野氏が「転機」として指摘するのは、日清戦争の勝利である。この勝利により日本は台湾を植民地とした。アジアで唯一植民地を支配する国家となり、台湾の先住民を「蕃族」と呼び、未開民族として蔑視し、警察と軍によって支配した。植民地を支配し、未開民族を蔑視することで、「文明国」である自負が広がったと藤野氏は言う。
さらに、条約改正の実現により日本は欧米諸国とほぼ対等な関係をつくることができ、これによっても「文明国」の仲間入りができたと思うに至った。
「文明国」の自負は、新しい外交条約の発効により居留地制度が廃止され、欧米人が日本国内に自由に居住・移動できる内地雑居となったことに対して、国内整備を急がせることになった。つまり、「文明国」として欧米諸国に恥ずかしくない国内とする必要があった。それは、市中を徘徊する精神障害者・知的障害者、ハンセン病患者、貧困浮浪者(乞食)などを「文明国の恥」として一掃することであった。
ハンセン病患者の隔離を定めた「癩予防ニ関スル件」が公布されたのは1907年であるが、内地雑居を前にした頃より、ハンセン病患者への対応は帝国議会で論議されていた。公布の前年(1906年)には内相原敬は首相西園寺公望に意見書を提出し、日露戦争勝利後の日本を訪れた外国人に見られることは「国家の体面」を汚すことになると述べている。
日露戦争に勝利したことで、日本国内には「文明国」「一等国」であるという自負が満ちており、物乞いをするハンセン病患者の存在は「文明国」「一等国」に反するという認識が政府にも民衆の中にも広がっていたのである。
藤野氏によれば、横山源之助の『日本之下層社会』や各地で行われた「実態(状況)調査」に基づき、部落に対する差別意識も「文明国」を価値基準として新たに「貧困」「不衛生」「不道徳」が加えられ、その「根拠」として「特別な人種」「人種の違い」という認識が生まれたという。
俗説は他の俗説と結びつき、さらに過激な俗説、荒唐無稽な俗説になっていくにもかかわらず、さも<事実らしい>という信憑性を増していく。悪しき差別意識や偏見を纏いながら、人びとに広まっていく。人びとは「自分とはちがう」「自分に関係ない」という安堵の思い、「関係ないこと」を周囲に証明するためにも、俗説の流布に加担し、むしろ積極的に尾ひれをつけたり強調したりしながら流布していく。俗説は人びとの中に浸透していき、やがて「事実」として定着していく。
藤野氏は、部落差別とハンセン病の関わりについて、俗説が生み出した最悪の事例を紹介する。
このような「俗説」は私も幼い頃より幾度か耳にした覚えがある。部落問題やハンセン病問題に関わるようになってからは、「聞き取り」の中で、これらの「俗説」を根拠にした、より悪質で露骨な差別を受けてきたと多くの方から聞いた。
「差別」には、<差別自体を目的とするもの>と<理由によって差別するもの>がある。もちろん、明確に区別することはできないし、両方が混在しているケースもある。あえて強引に線引きをするならば上記に二分できる。
<理由によって差別するもの>とは、貧困・不潔・病気・人種・民族などの外的要因を「理由」とするものであり、その「理由」が消滅(解消)すれば「差別」がなくなる(する必要がなくなる)ものである。
それに対して<差別自体が目的>の場合、「理由」は二次的なものであって、根拠などあってないような言い訳に過ぎない。差別することが目的であり、差別することに意味があるからだ。特に、見下すような上下の差別ではなく、排除・排斥の差別では、「同じであること」を拒む意向が強く働くので、理由が消滅しても差別は持続する。
ハンセン病問題の場合、病気が治る=ハンセン菌が体内から消滅し、感染するリスクがなくなれば、排除・排斥・隔離の「理由」が消え、差別する根拠がなくなる。にもかかわらず、未だにハンセン病元患者やその家族への差別が残存しているのは、正しい知識が認識されていないからであり、身体的病変・外面的特徴に対する「偏見」のせいであろう。
では、部落問題はどうであろうか。まったく同じ人間、人種も身体的特徴にもちがいはない。にもかかわらず、その差別は強烈であり、頑強である。知識や認識の変更(修正)で溶解する程度ではない。目に見えない「ケガレ」に根拠を求め、その実体として血統・血筋を証拠とすることで差別を正当化する。「穢れた人間の血を我が血統・血筋に入れるわけにはいかない」という言葉で、どれだけの人間は引き裂かれ、人生を生命を失ってきたか。
なぜ差別が温存されてきたか、なぜ差別が構造化され社会の深部に根を張り拡大されていったのかを問うとき、もはや差別は個人の認識に帰結する問題ではなく、国家や社会の責任に転嫁される問題でもない。個人と集団、個人と社会、国家と社会などさまざまな関係が複雑に絡み合い、相互に多大な影響を与え合いながら、何が事実か何が虚偽かさえも曖昧になって、ただ一時の関心事として、あるいは無関心な他人事になっていく中で、差別感情は変容しながら残存し、何かを契機として噴出する。
表象的には差別など消え去ったかのような静けさの日常の中で、被差別者は他者の内面を推し量りながら、他者の心理や感情の背景にある認識を確かめることもできず、息を殺して生きていく。
差別がまちがいであり、悪でしかないことは誰もが自明のこととわかっていながら、その実は感情的に差別言動に走り、言い訳のような理由をこじつけて自己保身を図る。そんな現状において部落史にどれほどの力があるだろうか。差別をなくす運動、解放運動の理論的支柱にはなり得ても、歴史認識を変えたくらいでは差別者の心情を変えることはできないと思う。
この小論の最後に、藤野氏は次のように提言する。
さまざまな差別が複合的に連鎖したり混じり合ったりしながら絡まって、インターネットの秘匿性(匿名性)を狡猾に利用し、より広範囲に、より多人数に、より攻撃的に、より悪意ある差別的言動を繰り返すことが可能となっている現在、差別自体の質的変化を痛感する。
一例の挙げるならば、非常に軽い態度で重い差別的言辞を躊躇も悪気もなくネット上に発することができる。ネットの先に生身の人間が存在していることを想像すらしない。まるでゲームの中の不特定多数の敵を攻撃しているかのようである。自らの言動について「罪の意識」も希薄である。
このような現状を打破するためには、藤野氏の言うように、複合的な差別構造そのものを解体していく方策が必要である。それは、教育・法律・制度・体制などが連携した複合的な方策でなければ対応できないだろう。「モグラ叩き」のような対応では根元的な解決とはならない。
まして部落史の認識を変える程度では絶対に部落差別を解消することはできない。