迂遠な空論なのか
昨年,再び部落史にもどってきて,あらためて部落史とは何か,その意味,課題や役割とは何か,部落問題と他の差別問題との共通性と独自性,さらにその連関と全体性を日本の社会構造において考えてみたいと思うようになった。
まずは部落史研究の基礎的な枠組に関する書籍を再読しながら,最近の研究動向に関する書籍を読んでいる。その途上にて,見落としていた視点や論考に気づいたり,今まで深く読み込んでいなかった書籍に示唆をもらったり…20年余りの歳月を痛感しつつも決して無為な日々ではなかったと実生活による人間の成長を実感しています。
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机上に2冊の本がある。藤野裕子『民衆暴力』(中公新書)と黒川みどり『被差別部落認識の歴史』(岩波現代文庫)である。
『民衆暴力』は明治以後に起こった民衆による暴力行為を,新政反対一揆・秩父事件・日比谷焼き打ち事件・関東大震災時の朝鮮人虐殺という4つの出来事を通して考察している。
「はしがき」で藤野氏は本書の目的を,「歴史研究がそれぞれの事件を多様な角度から議論してきた道筋をたどり,民衆暴力を見る視点や考え方を研ぎ澄ませていくことである。個々の事実関係はこれまでの研究と重なるところも多いが,民衆暴力という観点だから可能になった本書の叙述によって,現在の日本社会を見直す手がかりが得られれば幸いである」と述べている。
私が興味をもったのは,私がライフワークの一つとして追究している「明六一揆」を含む「解放令反対一揆」を「新政反対一揆」として,民衆暴力の観点から歴史にどのように位置づけるのかを見てみたかったからである。
「暴力はいけない」という道徳的な規範だけで民衆暴力を頭から否定することは,そこに込められた権力関係や,抑圧をはね飛ばそうとする人びとの力を見逃すことになる。それだけでなく,抑圧された苦しい現状から一挙に解放されたいという強い願望と,差別する対象を徹底的に排除して痛めつけたいという欲望とが,民衆のなかに矛盾せず同居していたことも見逃しかねない。
権力への暴力と被差別者への暴力とは,どちらかだけを切り取って評価したり,批判したりすることが困難なほど,時に渾然一体となっていた。一度暴力が起きると,様々な感情や行為が連動して引き出されるためである。
「むすび」(同書)
私も同感ではあるが,本書では「被差別者への暴力」について「徹底的に排除して痛めつけたいという欲望」に集約した記述になっていて,「様々な感情や行為」の考察が不十分のように思える。岡山県で起こった「明六一揆」における民衆意識の奥底には,劣等感に近い感情(たとえば,同じ身分になることで,経済力・財力の格差・貧富の差が関係性の基準となることへの不安や不満,惨めさ)があったと考えている。それゆえ,従前の身分(自分たちとはちがう存在)や処遇にもどることを要求したのである。
分析・考察の不十分さを感じながらも,民衆暴力の観点から歴史事象を捉え直し,歴史過程のなかで位置づけ直そうと試みたことは十分に評価できるし,参考にしたいと思っている。
ただし,民衆の暴力行使は,国家対民衆の権力関係だけで捉えきれるものではない。実際に起きた歴史事象は,それほど簡単ではない。徴兵制に反対した血税一揆と呼ばれる事象のさなかに,被差別部落が襲撃されている。関東大震災時の朝鮮人虐殺は,国家権力が主導したにしても,民衆が手を下している。民衆を一枚岩に捉えることも,民衆の暴力が必ず権力だけに向かうと想定することも,こうした被差別者に向けた民衆暴力から目を背けることにつながる。
…歴史修正主義は,年々露骨になっている。この動きに流されないためにも,権力に向けた暴力と被差別者に対する暴力の両方を直視し,それらを同時に理解していく力が求められている。
人びとを暴力行使に駆り立てていたのは,いったい何なのだろうか。当時の日本は貧しかったから,あるいは教育程度が低かったからだと考える人もいるだろう。たしかに民衆暴力には経済的な要因がからんでいるのは間違いないが,それだけでは説明のつかないことも多い。当時の人びとが暴力をふるうには,相応の「論理」があったはずである。
ここでいう論理とは,ある行為を妥当だと見なす(必ずしも言語化されていない)思考の筋道のことである。論理には,個人の内面的な衝動だけではなく,そうした衝動がつくり出される時代背景や,その社会ならではの慣習・分化も含まれる。したがって,民衆暴力を掘り下げることは,今とは異なる価値観と秩序を持っていた社会や,人びとの意識や行動の様式を理解することにつながるのである。
「はしがき」(同書)
藤野氏が取り上げた4つの歴史事象(出来事)は,部落史・政治史・社会史・民衆史など専門ジャンルで論じられてきた。それを,「国家」「民衆」「被差別者」「暴力」の視点から個々の歴史的背景・社会状況・民衆(大衆)心理を検討しながら考察し,しかも関連をも検証しようとしている点は,実に興味深く,示唆に富んでいる。
畑中敏之氏も著書の中で,部落問題を部落史という枠組みの中だけで論じることへの批判を繰り返し展開している。私も以前より同様の疑問は感じていた。「部落史」の中に他の差別問題を入れ込むことも,中世の賤民・近世の被差別民・近代の部落民を歴史的継続(系統)で論じることも,部落問題のみを切り離して論じることにも無理を感じていた。従来のように授業で教えることの限界も感じていた。
畑中敏之氏は次のように主張している。
<「人間と差別」の歴史>というような全体の枠組みのなかで,「部落史」(部落問題の歴史)の捉え直し(自立と連携)をはかることである。
畑中敏之『身分・差別・アイデンティティ』
実際に,同じような視点で書かれた,ひろたまさき氏の『差別からみる日本の歴史』があるが,一読して,私も枠組みとしては同感である。ただ,細かい部分に関しては疑問も感じている。私は,現時点ではあるが,「社会史」として枠組みを考えている。その点で,藤野氏の本書も,新たな「社会史」「民衆史」を構築する上で貴重な視点の提供と考えている。
同様の観点から,黒川みどり氏の『被差別部落認識の歴史』も重要な視点を展開している。
本書は20数年前の『異化と同化の間-被差別部落認識の軌跡』の文庫版である。旧版が出版されてすぐに購入して読んだ記憶が蘇ってきた。当時,黒川氏に相当感化されていて,教え子が静岡大学に進学した際,必ず講義を取るように言った覚えがある。
近代における部落史を把握する指標として,黒川氏の「異化」と「同化」の視角や「人種主義」の視点を参考にした。特に,解放令から水平社までの期間において,部落に対する賤視観がどのように変容しながら深化と拡大,さらに統合(統一)されていったのか,また一般民衆と部落民衆の差別的関係がどのように変化していったのかを,時代や社会の影響との連関から考察している点も大いに学ぶことができ,私自身にとって近現代史における部落史像を把握することができた。ただ疑問や不十分さも感じていた。特に「国家(の政策)」「社会(大衆)心理」が社会構造の変化(資本主義経済の発展)の影響を受けて,どのように変質(変容)していったのか,他の差別問題(ハンセン病)などとの関係・影響はどうであったのか,などの考察には物足りなさを感じた。(黒川氏は他の著書で言及はされているが,相関関係の考察についてはまだ浅いように思える。)
今回の再刊では,最初の刊行から20余年を経た今の時点を述べた「補章 部落問題の“いま”-その後の20年」が書き下ろされている。その中に,気になる文章がある。
…同和教育・啓発は,人々のそうした葛藤(部落解放運動や「部落」という共同体の“誇り”を重々認めつつも,「部落の人間」というどうにも逃れることのできないものと真っ正面から向き合う)に思いを寄せることなく,部落解放同盟が“誇り”を前景化したのに便乗し,被差別部落が抑圧され悲惨な状態にあることを強調する語りから,被差別部落の芸能・食文化,共同体のもつあたたかさなどをアピールする「誇りの語り」へと大きく舵を切っていった。部落差別は時の権力者がつくり出したとする政治起源説は,同和対策事業という国策が実施されていったことによって存在意義が薄れ,またマルクス主義の退潮とも相俟って,徐々に後景に退いていった。それは,部落問題を社会構造のなかでとらえる視点の後退でもあった。1990年前後のことである。
たしかに“誇り”は,当事者の自己肯定感を育み,差別の原因ともなりかねない負のイメージに対抗する役割を果たしてきた。しかしながら教育・啓発の発信者がそれを積極的に受け入れたのは,一つには,ステレオタイプの「誇りの語り」を用いることによって,差別の歴史や実態に踏み込むことなく安全地帯に身を置くことができるため,と考えられる。しかし,丑松を呻吟させ,被差別部落の人々を今日にいたるまで長らく苦しめてきた「身の素性」を,そのような「誇りの語り」によって克服することができるのだろうか。
「補章」(同書)
当時(1990年~2000年頃)の同和教育は,まさにそのとおりであった。厳しい差別の中を生き抜いてきた姿を描くより,被差別民が生み出し発展させてきた芸能や文化のすばらしさや,捕縛役や刑吏役を務めることで治安維持に貢献したことなどを強調した授業を行っていた。
私自身は,そのような同和教育や啓発の流れに当初より違和感を感じていた。中世河原者が日本文化に及ぼした影響の大きさ,芸能を芸術の域にまで高めた功績,江戸時代の弊牛馬処理,皮革業,治安維持などの役割の重要性,それらを認めながらも,一方で彼らに向けられた差別の実態は厳然たる事実である以上,差別とは何かを語らないわけにはいかないと考えている。何より,被差別民の高い文化や芸術,社会への貢献と差別の実態はまったく別のものとして共存している以上,数学のようにプラスとマイナスを足してもゼロにはならない。
1969年に同和対策事業特別措置法としてはじまった特別措置法が,2002年3月をもって廃止され,残された問題は一般対策のなかで行われることになった。これまで「同和対策」「同和教育」が「人権」に置きかえられていったことも,部落問題のあり方に影響を及ぼした。人権問題のなかで対応するというたてまえのもと,長い歴史をもちながらも理解の難しく“やっかいな”部落問題はこれを機に避けられてしまう場合が少なくない。かつては教員免許取得に必須であった同和教育の授業も「人権教育」と名称が変更になったことによって,首都圏の大学などでは「人権教育論」などのなかからも部落問題はほとんど消え失せ,部落問題を何も知らないまま教員になる者が数多く生み出されている。
「補章」(同書)
黒川氏は「人権全般に視野を広げること」が「耳心地のよい,誰も傷つくことのない『人権』への部落問題の流し込み」につながりかねないと危惧する。しかし残念ながら,もはや危惧は現実となっている。
部落史を日本史のなかに位置づけることの必要性はかつて盛んに強調されもし,長年の部落史研究者の悲願であったが,果たしてそこから前進したのだろうか。封建遺制論のもとに行われた「天皇制と部落問題」と題した研究は,すでに部落差別解消論に立って部落問題研究から撤退するにいたり,そのあとには部落解放運動と結びつきながら部落問題に特化する研究が行われてきた。しかしそれすらも,歴史研究から現実の運動や政策への示唆を引き出すには迂遠と見なされて,部落史が取り上げられることは少なくなっている。
「岩波現代文庫版あとがき」(同書)
しかし,部落問題は未だ解消はされていない。部落史の課題も未だ解明されていない。
黒川氏は「補章」の最後に,現在のコロナ禍において「閉じた社会」がもたらす差別について次のように述べている。
なかでも気になったのは,感染の情報を把握していてしかるべき関係者にまでもひた隠しにしてしまうあり方であった。人権が守られるということは感染がわかっても差別されない社会をつくることであるはずだが,ひたすら感染の事実を隠蔽しようとする態度は,「部落民」であっても差別されないことを訴えてきた部落解放運動から何も学び得ていないことの証左ではないか。コロナ差別を支える社会の構造は,すでに丸山(真男)が指摘した「閉じた社会」=「村落共同体」そのものである。
この1年余りコロナ渦を過ごす中で,人々の心が荒んでいく様相を見てきた。深刻な経済不況と終わりの見えない自粛生活の中で,追い詰められていく人々がどのような心理状態に陥っていくかを冷静に見ていこうと思っている。なぜそう思うようになったか。それは,自粛警察へと走った人々の存在であり,感染者への排除・排他的言動であり,感染者捜しの行動であり,中国に対する執拗な「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」の攻撃的非難をネット上に繰り返し投稿する愚かさである。そのような彼らの姿を見る度に,黒川氏の言う「非当事者が差別はないといい切ってしまうことの暴力性,『他者感覚』の欠如,そのような土壌は日々我々が生きている社会のなかにある」を痛感してしまう。
危機的な社会状況だからこそ,「差別」がより鮮明に浮き彫りにされていく。そして,一人ひとりの人間としての真価が問われている。