部落史ノート(14) 「賤民史観」とは何か(6)
数回にわたって「賤民史観」に関して、『現代の眼』に掲載された沖浦和光と網野善彦の対談「賤民史観への序章」をもとに「賤民史観」「賤民史」についてまとめてみた。ここでは、あらためて「賤民史観」および「賤民史」について若干の私見を述べておきたい。
菅孝行の著書『賤民文化と天皇制』(沖浦との対談も収録されている)の「あとがき」に、次の一文がある。
この一文からも「賤民」に対する従来の否定的な認識を改めて見直そうとする菅の真意が明らかである。「賤民」を<みじめで、あわれで、気の毒な差別されてきた人々>などという差別的に見下す意図はまったくない。むしろ、「賤民」によって日本の文化・芸能・技術などが進歩してきたのであると、従来見落とされてきた役割を高く評価している。
確かに一時期(約30年ほど前まで)は江戸時代の「穢多・非人」などの被差別民(賤民)を<最底辺におかれ、厳しい差別を受け、貧困で悲惨な生活をさせられた>という歴史認識が「通説」とされてきた。学校現場でも、社会科の教科書もそのように記述され、同和教育においても、「士農工商・穢多非人」の身分制ピラミッドで教えてきた。そのような歴史認識を生みだした歴史観もあった。それは皇国史観でありマルクス主義歴史観(唯物史観)であったと私も思う。だが、現在では、部落史研究の進展により、被差別民、賤民に対する歴史認識は大きく異なってきている。教科書記述においても(十分ではないが)大きく変わってきている。
しかし一方で、菅のこの一文で気になることは、「賤民」の果たした文化的・芸術的な役割を称賛しようとも、それは後世の人間による評価である。当時において、その優れた作庭やすばらしい芸能は将軍や貴族から褒め称えられていたとしても、彼らの立場・社会的地位は「賤民」であった。それは周囲が判断していたと同時に彼ら自身も自覚していたのである。賤視し、賤視されていたのである。この事実こそを問題とすべきと私は考える。批判すべきは、「賤視観」が当然であった社会であり、差別を支えた思想であり、差別を利用した支配者・支配体制である。
『賤民文化と天皇制』(菅孝行)に再録された沖浦和光との対談であるが、『現代の眼』よりも内容が大幅に増えている。これは増補したのではなく、『現代の眼』に掲載するに際して、相当に割愛されたところや、特に後半は「未発表」であったものを収録したからであろう。会話が中途で切れていたり飛んでいたりして違和感があったのが納得した。
本書には、沖浦との対談のほか、目次によれば「部落差別と天皇制」「賤民文化の精神世界」「賤民とは何か」「差別意識と差別構造」など興味深い論考が並んでいるが、まずは沖浦との対談を再読して、改めて「賤民史」についてその核心を明らかにしておきたい。特に、「賤民とは何か」「差別意識と差別構造」については私の大いなる関心事でもあるので、菅の論考をもとに考えをまとめていきたい。
沖浦との対談で『現代の眼』に収録されていない後半部分は、世界史的視野からの差別意識や差別構造に関する論議である。明治維新以後のアジア観の偏りと脱亜入欧の歴史の<背景>として、特にインドを例に西欧の「アジア観」(東洋の停滞)を鋭く批判する。さらに帝国主義への批判を通して国家権力と身分制の問題など、マルクス主義理論を媒介に解明と批判を展開している。それは国家権力の形成が身分制を構築することとつながり、民衆支配に身分差別を利用したことは世界に共通するものであると論じている。例えば、植民地支配にカースト制を利用していったように。
時代を反映しているのか、沖浦や菅のバックボーンの思想が影響しているのか、いわゆる左翼思想・マルクス主義からの批判的考察が主である。論旨の展開がやや一方的すぎる感じもするが、現在に通じる<差別論>に関する提言は的を射ている。
なぜ対談の後半が国家論、世界史的考察、市民社会論に発展したか、要するに「賤民制」を遡って解明する必要性や部落史を体系的に明らかにする必要性が、現代の問題を解決するためだからである。部落差別を解消するために部落史が必要なだけではない。あらゆる差別は国家権力による身分制構築および民衆への身分思想の浸透によって成立しているからである。
部落史・ハンセン病問題・人権問題は終生のライフワークと思っています。埋没させてはいけない貴重な史資料を残すことは責務と思っています。そのために善意を活用させてもらい、公開していきたいと考えています。