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誹謗中傷の背景(8) … 対処法(1)

「誹謗中傷・罵詈雑言」に対する効果的な対処法はあるのだろうか。被害に遭った者は誰しもが切実に願うだろう。だが,残念ながら,現時点ではない。
確かに,ここ数年,ネット上の誹謗中傷による芸能人などの自殺によって社会問題として危機感が高まり,法整備および厳罰化も急がれてきた。しかし未だに不十分感は拭えない。

では,どうすればよいのか。どう対処すればよいのか。

まず直接的な対応はしないことである。このシリーズでも述べたように,相手は「愉快犯型」であり「自己顕示型」「ルサンチマン型」である。どのタイプでも共通しているのは,相手の「反応」を待っているということである。「反応」することを楽しみに網を拡げているのだ。
真面目に「正論」などで注意喚起しても,うまく(姑息に)擦り抜けて,さらに挑発的な書き込みを繰り返すだけである。「正義論」など通用する相手ではない。自己中心的な解釈で,元アイドルのラーメン店に誹謗中傷を行った男性のように,「親切での忠告」「みんな(社会)のため」「噂や情報が悪い」と開き直るのが落ちだ。決して自らの非は認めないだろう。何より自分は悪くないと思い込んでいるか,悪意から(わかっていながら)の攻撃なのだから。

どれほどイヤな思いをしようと,悔しさに心を痛めようと,書かれ続けても,「無視」「無反応」に徹することしかない。反応すればするほど,向きになって反論すればするほど,悩めば悩むほど,困れば困るほど,彼らは面白がり,注目を集めることに快感を得て,更に過激な誹謗中傷・罵詈雑言を書き散らす。「遺恨」を晴らすことができたと溜飲を下げるだろう。真面目な社会常識など通用しない偏狭で偏屈な人間だから,誹謗中傷・罵詈雑言を行っても平気なのだ。自分が正しいと思い込んでいる以上、「諫言」など逆効果でしかない。

実に悔しいことだが,悪質性や被害(心身・実害)の大きさによるが,公的機関(警察・人権擁護局など)あるいは弁護士に相談して法的措置をとる意外にはないだろう。その際の壁が「個人情報保護」であり,「言論の自由」である。この壁を壊すためには,証拠の積み上げしかない。書かれたものを的確に「保存」していくしかない。

先ほどの元アイドルのラーメン店に対する誹謗中傷の狡猾さは,彼女の新店舗で使用する麺の取引先に送ったメッセージに「反社」との関わりに言及したこと(「裏に反社がいるのは事実なようです」)である。取引先は「そんなこと(反社とのつながりは)無いだろうと自分で思ってても,例えば1%でも2%でも,そういう可能性があて,そのお店が浮上して話題になった時に,そこの会社とのお付き合いをしてた,そこに卸していたお店はここです,という可能性もあるじやないですか」と,燃え移ることがないと思いながらも飛んでくる火の粉は払うしかないと苦しい胸の内を述べている。(何ともやりきれなさを感じてしまうが…)

ネット上での情報は真偽の判別がむずかしいことを逆手にとっての誹謗中傷・罵詈雑言である。取引先の製麺所にとっては,昨今の世情からも「反社」を避けたいのは当然だろう。「反社」というキーワードは最もダメージを与えやすいワードの一つであろう。このワードをあえて使ったところに,この男性の狡猾さと悪意を感じる。ただの「愉快犯型」ではない。

この男性がなぜそのようなメッセージを送ったのか。男性は,以前にツイッターでも,このラーメン店主に誹謗中傷を繰り返していて,それをブロックされたことがきっかけだと話したという。つまり,ブロックされたことへの「恨み」「憎しみ」があり,その「復讐」として今回のメッセージを送ったのだ。「ルサンチマン型」である。

さらに,この男性は「ツイッターでは,それほどひどいことは言っていない。本当のことしか言ってないし,そこまで傷つけることは言ってない。そんな深刻なことはつぶやいていないですよ」と取材に答えている。これも「ルサンチマン型」の特徴である。相手にされた(ブロック=排除された)行為ばかりが「恨み」「憎しみ」となって鬱積されていき,「復讐」の機会と手段は考え続け,相手のことや社会常識などは一切考えていないのだ。
この男性は取引先の会社とも面識があり,実名でメッセージを送ったという。「(情報を鵜呑みにしての)善意」だったということから,「自己顕示型」も含まれている。

このような人間を相手にするのは,時間と体力,知力の「無駄」以外の何ものでもない。思い煩うだけ損である。


ネット上は,ある意味で「仮想空間」でもあるので,どのような「虚像」「虚構」も創り出すことができる。いかなる人物にも「成り済ます」ことができる。「嘘八百」を捏ち上げても、遠くに住む人間、あるいはその相手を直接に知ることができない人間には、<真実>を知る術がないのだ。どれほどの「虚偽」を書かれても、ネット上では<真実>に摩り替えられてしまう。だから、ネット上を飛び交うデマやトンデモナイ説、陰謀論が真しやかに信じられていくのだ。巧妙で狡猾な<文章術>を駆使すれば、どのようにでも「虚飾」が可能なのだ。

攻撃(誹謗中傷・罵詈雑言)を受けてもいないのに,受けた被害者を装う人物もいる。
事実,私は幾度となく「ウィルス攻撃を受けてPCが壊れた」と加害者を伺わせるように書かれ続けた。巧妙に「断定」を避けながらも、文章を捏ねくり回して、尾鰭を付けて、読む人間に<真実>だと思わせていく。

その人物にまったく関係ないことを書いても,自分に対する誹謗中傷・罵詈雑言だと決めつけて,被害を受けたと喚き立てる。かつて歴史上のできごと(「西の丸事件」)についてブログに紹介記事を書いたら,その史実のように、私がその人物を「殺しに来る」とまで書かれた。

男性が女性を装うことも,家族や知人を思うように創り上げることも,善人であるかのように振る舞うことも,虚実入り交じった架空の話題を捏ち上げることも,「嘘」を「本当」に見せかけることも,ネット上では簡単なことなのだ。虚飾が自在に行えるのがネットの世界だから。

高尚なテーマや難解な内容,専門的な学術用語や学者の著書からの引用を多用している論文だからといって,その内容が必ずしも<真>であるとは限らない。自説を展開する際に他説を批判するのは学問的論文としては当然だろう。しかし,他説の批判に留まらず,その著者の人格や人間性にまで言及して批判(非難)するのは,どう考えてもおかしいことだと気づかなければならない。目的は他説の批判であって,他者の人格や人間性を否定することではないはずだ。まして,他者が書いた著作や論文,講演録の内容だけで,その人物の人格も人間性,日常生活,家族などのプライベート,さらに仕事の様子など決してわかるはずがない。それを臆測だけの独断で否定するのは,烏滸がましいとしか思えない。

私ごとになるが,20年ほど前に5年間に渡り、誹謗中傷・罵詈雑言の数々をほぼ毎日投げつけてきた(ブログに書いた)相手は,私の講演録だけで,その中で語った話やエピソードだけで,私が父親を見下しバカにしている「学歴差別者」だと、家族に対する私の心情について非難してきた。あるいは,会ったことすらないにもかかわらず,一度も見たこともない私の仕事(教師としての授業や生徒との関わりなど)に関して愚弄を繰り返した。まるで仕事の様子や内容を見てきたかのように書いて批判したが,臆測と推測,独善的解釈による偏見や先入観から独断しているだけである。信憑性を図るために、私が述べてもないことを引用符を使って、私の言葉にしてしまうなど姑息な筆法を多用して書く。知りもしない他者の「人間像」を批判するなど,誹謗中傷・罵詈雑言を意図していない限り,通常の感覚ではできないはずだ。

直接的な対処法としては法的措置しかないだろう。ネット上だけでなく著作物すべてにおいて,誹謗中傷・罵詈雑言は適用される。確固たる証拠を元に提訴するしか,法治国家である以上,方法はない。その上で,徹底的な「無視」しかない。関わらないことである。意図して目にしないようにすることで、犬の遠吠えと同じく、関知しないことだ。

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藤田孝志
部落史・ハンセン病問題・人権問題は終生のライフワークと思っています。埋没させてはいけない貴重な史資料を残すことは責務と思っています。そのために善意を活用させてもらい、公開していきたいと考えています。