見出し画像

「近代」の解体と差別構造

田中等氏は、著書『ハンセン病の社会史』の「はじめに」において、次のように述べている。

右に記したおもしろくない言説の典型をとりあえずひとつだけ例示しておこう。
たとえば-「今、日本におけるハンセン病患者の隔離の歴史は…新たな研究が幾重にも重ねられ、その通史はほぼ明らかになった。なぜ、強制隔離がなされたのか、なぜ、強制断種や強制堕胎がなされたのか、なぜ堕胎された胎児は標本とされたのか、なぜ、戦後も強制隔離が続けられ、ハンセン病患者の基本的人権は無視され続けたのか、こうしたさまざまな「なぜ」については、ほぼ解明されたと言ってよいだろう。…次なる課題は、日本の歴史の総体のなかに、ハンセン病患者への隔離の歴史を位置づけることである」(『戦争とハンセン病』)と言い切るのは、…日本近現代史の研究者の藤野豊である。
…その藤野の議論の基調であるが、…氏の問題構制の珍妙さは、一読して解るように(ハンセン病患者隔離の)「通史はほぼ明らか」で、かつ「『なぜ』については、ほぼ解明された」にもかかわらず、「次なる課題」として「日本の歴史の総体のなかに、ハンセン病患者への隔離の歴史を位置づける」としていることである。
さて、「全体史の展望、つまりさまざまな『差別』が社会全体のなかでそれぞれどのような意味をもち相互に関連しているかということが明らかにされないと、個別史の研究もすすまない…その全体的な構造と矛盾の究明がなにより重要でないか」(「日本近代の差別構造」、日本近代思想大系『差別の諸相』1990年)とするのはひろたまさきの問題提起である。そして、僕が考えるには、このような目下の歴史学の切実な観点を的確にふまえるならば、「日本の歴史の総体(全体)のなかに」未だ位置づけられていない「通史」や「さまざまな『なぜ』」が、なぜどのようにして「解明」されたものか疑問というほかない。“時代”のゲシュタルト的な連関相を考えるならば、部分を欠いた総体(全体)も、全体を欠いた部分の「解明」も、歴史認識の問題としてはありえないはずだから。

田中等『ハンセン病の社会史』

まず田中氏の藤野氏への批判が的確かどうか、私には疑問である。田中氏は藤野氏のこの一文を「議論の基調」と断定し、藤野氏の「問題構制の珍妙さ」を批判するが、田中氏が指摘する「問題構制」とは何か、どういう意味か判然としない。(あえて「構制」という用語を使う必要性くらいは明記してもよいのではないかと思うのだが…)

田中氏は藤野氏の一文を引用する際に「…(略)」としているが、最初の「…」は「こうした当事者の研究を基盤として、そのうえに」である。「こうした」が指示する内容は、「全国のハンセン病療養所の入所者自身により著されたそれぞれの療養所の入所者自治会の歴史」「強制隔離により学ぶ権利を奪われたひとびとが、資料を調査、分析し、膨大な隔離の歴史を叙述した、その成果として示された書物」である。
もう一つの「…(略)」は「では、過去の歴史的検証は、これで十分かと言えば、決してそうではない」である。なぜ、田中氏はこの一文を「省略」したのだろうか。

田中氏が「省略」した一文を加えれば、藤野氏は「当事者の研究を基盤として、そのうえに新たな研究が幾重にも重ねられ」たことで「その通史はほぼ明らかになった」と述べているのであり、しかも「歴史的検証は」十分ではないと認めた上で「次なる課題」を提示しているのである。

藤野氏の「議論」のどこが「珍妙」なのだろうか。田中氏はその理由(根拠)として、ひろたまさき氏の「問題提起」を援用して、ハンセン病問題を「日本の歴史の総体」に「次の課題」として位置づけようとする藤野氏を批判する。すなわち、「ゲシュタルト的な連関相」(わざわざゲシュタルトを持ち出さなくてもよいと思うが)として、本来は「通史」に「位置づけながら」の「解明」でなければならないにもかかわらず、それを「部分(個別)」のみで研究し、「総体(全体)」を「次の課題」としていることを批判しているのだろう。

続けて、田中氏は「藤野のテクストの中身=本文」を「歴史事実の羅列」でしかなく「新規性のある歴史認識の枠組みが呈示されているわけではない」、つまり「“時代”(「近代」日本)の『全体』構造も、社会システムも明らかにされておらず、それ自身が『近代』的である人権概念を視軸に、ハンセン病にまつわる史実をひたすら綴っているに過ぎない」と批判している。

私は藤野豊氏の著書から多くを学んだし、同じくひろたまさき氏の著書からも多くの示唆を受けてきた。まず、田中氏が批判のために借用したひろたまさき氏の『差別の諸相』であるが、引用している一文だけではひろた氏の真意は伝わらない。むしろ田中氏が藤野氏を批判するために、その部分を援用したように読み取れる。

私もひろた氏の『差別の諸相』の解説「日本近代社会の差別構造」は幾度も読み込み、「差別構造」を解明するための指標とさえ思っている。田中氏が引用している前後の文も含めて、ここに引用してみる。

個別史が全体史へと展開しがたい理由の一つは、「差別」の多様性によるものと思われる。「差別」はさまざまな領域でさまざまな現象をもって現われ、それぞれに「特殊性」を主張するものであるから、まず個別史の研究として展開するのは当然であり、それは今後もはってんさせなければならないが、個別史の研究がその「特殊性」を強調すればするほど「賤視の根源」が前近代の歴史に求められる傾向をもつことにもなるのであり、それは全体史への展望を困難にしかねないであろう。それにもかかわらず全体史の展望、つまりさまざまな「差別」が社会全体のなかでそれぞれどのような意味をもち、相互に関連しているかということが明らかにされないと、個別史の研究もすすまない段階に来ているのではないか、ことにさまざまな「差別」があらたに連鎖していくことになる近代社会においては、その全体的な構造と矛盾の究明がなにより重要でないかと思われる。「賤視の根源」が問われるのも、「差別」の比較史や社会史の研究がみられはじめたのも、あるいはまたいろいろな被差別者集団の相互の連帯運動の動きも、そうした研究段階に来ていることを物語っていよう。

ひろたまさき「日本近代社会の差別構造」『差別の諸相』

田中氏が省略している一文「段階に来ているのではないか、ことにさまざまな『差別』があらたに連鎖していくことになる近代社会においては、」を含めて引用文の前後を読み通せば、ひろた氏は田中氏が藤野氏を批判している根拠となるようなことは言ってはいない。
個別の「差別」が相互に連関していることを明らかにする必要がある段階に来ているし、さまざまな「差別」が「連鎖」する近代社会においては「全体的な構造と矛盾の究明」が重要であると提言しているだけである。

事実、ひろた氏は『差別の視線』所収の「差別の視線と歴史学」(成田龍一のインタビュー)の中で、『差別の諸相』の編集意図や構成にふれながら自身の考え方を述べている。

つまり、従来の個別史的な研究も大事だけれども、差別現象を全体としてとらえる研究、そういう歴史研究が欠けていたのではないか。…だから差別全体史を思考しながらも、そのための諸相を見取図的に示せれば、ということになったんです。

全体としてとらえようという視点は従来にもあったので、それは差別の原因を封建制によるものだとか、支配政策によるものだという考え方ですね。その解決の処方箋は、封建制をなくし近代化すること、分裂、支配されないために平等になり団結しようということになります。これに対して、「近代」こそが差別を生みだすのではないか、その「平等」こそが曲者ではないのか、というのが私の、史料をずらっと並べていくうちに到達した視点だったといえるでしょう。

私は近代社会というのは、差別からの解放の契機をつくりだしつつも、他方で差別を深化させると考えていますから…さまざまな差別的な現象が、それ自体は特殊的個別的でありながら、「近代」の視線によって全体として一貫した問題がみえてくるのではないかと思います。つまり、差別は、「近代」によって再編成されるというか、あらたな原理によって生みだされるのであって、封建制あるいは封建遺制に回収すべきではないというのが私の立場なんです。

ひろたまさき「差別の視線と歴史学」『差別の視線』

田中氏が本書に「日本『近代』の解体のために」と副題を付け、「近代」あるいは「近代社会」の原理(「人間主義」「人権」など)が差別を再生産させているとして、「近代」そのものを「解体」する必然性を提言している。

西欧を規範とする近代的な「強い国家」づくりのため、その基礎となる標準的な層としての「国民」(市民)をつくる「踏み石」として、異なった特徴をもつ「他者」=「非国民」をつくり出して差別するシステムを作動させたものと考えられる。要言すれば、近代日本国家は、こうした差別の構造を社会のなかにかかえ込み、そこでの被差別マイノリティー(少数者)の存在を条件にしてはじめて成立したものといえる。そういった意味でハンセン病問題は、本質的には「近代」という時代が生んだ「病」であり、医療問題を超えたところで「近代」が残した「後遺症」と見なして間違いないといえる。

田中等『ハンセン病の社会史』

では、田中氏は、どうすれば「差別や偏見」を再編成あるいは再生産してきた「近代(社会)」を「解体」することができると述べているのか、多分そうであろう文章を抜き出してみる。

…根本的には「人間」かどうかの「判定機関」である市民社会とそれを構成する市民意識が変革されなければ、差別・排除の問題はいつまでたってもなくならないと思う。…ややもすれば自明のものとされている日常の規範や価値観までも、ときには疑ったり批判したりすることも求められているのではないだろうか。市民一人ひとりの、そのような不断の努力とたたかいの積み上げこそが、ハンセン病のみならず、国家と「共犯関係」をとり結びながらあれこれの差別を再生産していく「人間」(をふるい分けする)社会を解体し、新しい「水平」社会をつくる力になるのである。

…個別の人と人との間に作用する権力関係、言葉を換えれば、僕ら市民社会の日常の細部にまで及んでいる非対称(差別)的な他者関係を、僕ら一人ひとりが検証し合い、それを主体的に克服する努力を行なっていくことなしによりよい社会の展望は生まれないと思う。そういった観点からすれば、ハンセン病問題へのアプローチに際して同情や憐れみ、あるいは宗教的な使命感や政治的な関わり、またそれらから結果される当事者の絶対化などを排した関わり方がきわめて肝要なこととなるであろう。みんなの力を合わせて、市民社会に横たわっている差別構造を解体するたたかいを、力の限り推し進めていくことが、今後とも強く求められていると言えよう。

田中等『ハンセン病の社会史』

最後の一文を読んで、結局は「市民団体」「市民運動」への結集を呼びかけているだけで、従来とあまり変わらない提言で終わっているように思える。つまり、「特定の学者・専門家・文化人のヘゲモニー(主導権)」ではなく、「僕たち“市民”による、ハンセン病問題の百家争鳴の総括論議」が必要だと言いたいのだと感じた。

「はじめに」で大上段に振り上げた「批判」と「提言」の結末に些か拍子抜けしている。藤野氏の著書と研究姿勢を「歴史事実の羅列」と扱き下ろしているが、私からすれば、田中氏の本書も五十歩百歩である。本書に「新規性のある歴史認識の枠組みが呈示されている」とも思えないし、「“時代”(「近代」日本)の『全体』構造も、社会システムも明らかにされて」いるようにも思えない。


本書は藤野氏などの先行研究で明らかにされた「史実」を時代の流れに沿ってまとめた前半(Ⅰ~Ⅲ)と関連する項目(諸相)ごとに課題を整理している後半(Ⅳ~Ⅴ)で構成されているが、私にとっては目新しい史実も考察もなく、わかりやすく整理(構成)されているという感想である。どちらかと言えば、左翼思想(マルクス主義・労働運動を基盤とした)による市民運動、既成権力に抵抗する反権力運動の視点からの「現状」批判と「将来構想」の提言をしていることは評価できると思う。

田中氏がひろたまさき氏を引き合いに出した藤野豊氏への批判だが、藤野氏自身がひろた氏の「問題提起」を重要視しており、黒川みどり氏と共著で「差別史」の試みを行っている。
例えば『近現代部落史-再編される差別の構造』(2009年)『差別の日本近現代史-包摂と排除のはざまで』(2015年)などにおいて、ひろたまさき氏の「日本近代社会の差別構造」に言及している。さらに、ひろたまさき氏自身が『差別からみる日本の歴史』(2008年)を著して、さまざまな個別史の連関を重視しながら全体史を俯瞰的に構成する「差別史」を描くことを試みている。

黒川みどり氏も『近代部落史』(2010年)の第6章において、ひろたまさき氏の問題提起を取り上げて言及し、「おわりに」で、次のように述べている。

私はそれを(島崎藤村が「身の素性」という言葉で表現した、曖昧ではあるが執拗に部落差別につきまとっているもの)たんに日本的特殊性に封じ込めてしまうのではなく、近代社会のなかの他のマイノリティに対する差別とも対比しながら、それらと同列に考察することで、部落問題研究に新しい地平を開きたいと考えてきた。近年、人種主義というタームを用いながら論じてきたのも、そうした問題意識に拠っている。
しかしながら一方で、近代部落史の全体史、いわゆる通史を自分なりに描き切ってみたいという思いも強くあった。…本書では、そうした(人種主義という視点)問題意識を根底にもちながら近代社会を見据え、その中で部落問題がどのような位置づけを与えられてきたのかを描き出すことを心がけたつもりである。

黒川みどり『近代部落史』

藤野氏も黒川氏も、田中氏が批判する前からひろた氏の「問題提起」を受けとめて、それぞれの研究の中に生かしているように私には思える。上記した彼らの著書を読めば納得できるはずだが、田中氏はたぶん読んではいないのであろう。

誤解のないように言っておくが、私は田中氏その人を批判しているのでも、本書の内容を批判しているのでもない。確かに、感情的になった表現や説明が不十分な部分もあるが、ハンセン病史の「通史」としてはわかりやすく記述している。また、後半での「ハンセン病の諸相ー『近代』を問う」では、やや一方的な決めつけも見受けられるが、ハンセン病問題を「優生思想」「文学」「宗教」「天皇制」等々との関わりから多角的に考察することを通して「近代」「近代社会」を問う試みは評価できる。

だが、田中氏自身が藤野氏を批判しながら「課題設定」したはずの<「近代」の解体>に関しては不十分としか思えない。
本書からは、ハンセン病問題が「日本の歴史の総体(全体)のなかに」位置づけられているとは思えないし、田中氏が藤野氏に問いかけた「なぜ」がどのようにして「解明」されたかという応答は見えなかった。さらに、「“時代”のゲシュタルト的な連関相を考えるならば、部分を欠いた総体(全体)も、全体を欠いた部分の『解明』も、歴史認識の問題としてはありえないはずだから」と述べている以上、田中氏がどのように「解明」しているかを期待したが、私には満足なものではなかった。

あえて言えば、ひろたまさき氏の『差別からみる日本の歴史』や藤野氏と黒川氏の『差別の日本近現代史』の方が「連関相」の「時代背景」を明らかにしようと試みている。近現代史を差別問題とその時代的社会的背景から解明することが必要と考えるし、それこそが私が追究していることである。

部落史・ハンセン病問題・人権問題は終生のライフワークと思っています。埋没させてはいけない貴重な史資料を残すことは責務と思っています。そのために善意を活用させてもらい、公開していきたいと考えています。