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番非人

『明治維新と被差別民』(北崎豊二編著)に所載されている「非人番制度の解体」(北崎豊二)「近世移行期における兵庫津の諸賤民」(高木伸夫)を興味深く読んでいる。明治維新前後の非人番や「穢多目明し」などの変遷を明らかにする必要を感じている。友人である山下隆章氏の論文「高松藩における『かわた』身分の下級警察役とその実態」(『しこく部落史』創刊号)が参考文献として引用されているので,彼の他の論文もあわせて再読している。

史料から明らかになるのは,穢多・非人などの下級警察役の実態が各地域で異なっていることである。
しかし,これらの史料から,差配や任命権・命令権,給米(報酬)などを考察すると,支配構造における職務としては武士身分の末端ととらえることもできるが,社会構造や社会関係(身分制における関係)からは「役負担(役目)」を命じられる「賤民」として藩や町村から雇われた(使役された)ととらえることができる。職務内容から判断するか,社会関係から判断するかで見解も異なってくるように思う。

近来穢多共無何と風俗悪敷百姓町人ニ対し法外之振廻有之,不似合之身形等いたし,百姓町人ニ紛し候事共間々有之,就中百姓家・町家へ無差別戸口より内へ立入,合火等もいたし,且は村廻り方等閑之事共有之趣相聞,既ニ所ニ寄胡乱之もの立入候儀も有之,畢竟勤分を簾略ニ相心得候故之事ニ而不届之至ニ候,身分之儀は安永之法度従公儀被仰出も有之,其後も度々申渡置候之処,兎角相弛,重々不埒之至ニ候,自今御用向忽而勤分は勿論平日不似合之身なりいたし百姓町人ニ紛し候様之儀有之か放,又は廻り村方ニおゐて賊難都而不束之儀有之候得は,糺之上急度相咎,体ニ寄品物自分詮議申付候之聞,此旨得と相心得廻村方は勿論其外たり共申合,平生心を付合盗賊悪党都而胡乱者致徘徊候ハ,急度遂穿鑿可申出,且平生家内子供ニ至迄身分を顧,衣類髪餝等迄古格を相守法外之増長無之様重畳可被申付候
「杵築藩(万年記)天保七(1836)年

この史料から,「衣服統制」の意図や「目明し」役の位置,百姓や町人との関係などがわかる。
特に気になるのは,「戸口より内へ立入」と「合火」を「不届」と厳しく咎めていることである。「合火」は「ケガレ」との関係から忌み嫌われた行為であるが,ここでは「合火」を百姓町人に「紛れ」ることであり,それは「法外」なことであると藩がとらえていることや,「合火」の実態(事実)があるということが興味深い。
しかし,これだけで「ケガレ」意識がなかったとか(従来の解釈がまちがっているとか),あるいは「合火」を禁じたのは「御用」(職務)のためであるなどと考えることは早計である。なぜなら,史料の後段を読めば,「御用」(目明し)役をきちんと勤めることと「身分」に応じた生活や身形を守ることは別のことだとわかる。そして昔からの「きまり」(古格)を守って「増長」しないように言い渡されている。

穢多・非人など「賤民」(被差別民)が治安維持にどのように関わっていたかは、各地方・地域によって実態は大きく異なる。解釈も異なる。
また、彼らの「役務」を現代風に「下級警察役」と同列に論じてもよいかどうか、これについても考察する必要がある。
まして治安維持(下級警察役)を勤めていたから「武士」身分であるとか「支配側」であるとか一概に断じるのは、あまりに荒唐無稽な論考である。

史料の解釈は難しい。歴史的背景や社会関係などを十分に把握して考察しなければならない。語句や文意だけで結論づけるのと整合性を損なってしまうことになる。

部落史・ハンセン病問題・人権問題は終生のライフワークと思っています。埋没させてはいけない貴重な史資料を残すことは責務と思っています。そのために善意を活用させてもらい、公開していきたいと考えています。