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光田健輔論(63) 「三園長証言」の考察(12)

光田健輔を、ミッシェル・フーコーの<牧人権力>の図式をもとに考察したのが武田徹である。武田の考察を『「隔離」という病』より抜粋して引用する。

この「個別化を行うものとしての権力」をフーコーは「牧人権力」と呼ぶ。

…ヘブライの牧人たちは家畜に対して支配力を及ぼす。牧人は慈愛の精神をもって羊の群に接する。個々の羊を相手取り、群を安全に確保する。牧人は献身的にその仕事にあたる。

…光田たちが近代日本を「一等国」にしようと焦って隔離政策を進めた、という解釈はまちがっていないが不足がある。欧米という鏡におのれの姿を映して、彼らはより良き牧人になる道を選んだのだ。彼らは献身的に行動すればするほど全体=国家に貢献することになる。
他にも日本のキリスト者のハンセン病救済の活動もまた「牧人」的だった。無癩県運動を支援し、多くの患者を療養所に送り込むことで「救おう」としていたのは日本MTLだった。

哀れなハンセン病者を導こうという熱意は旺盛だが、患者が用意された秩序に逆らうようなことがあると突然攻撃的になる。群からはぐれようとする羊を、彼らは牧人としてけっして許すことができない。牧人は個々を思いやるが、それはあくまでも群の支配を意識したうえでの行動なのだ。だから群の秩序のためには個性・人間性といったものは犠牲にされる。

武田徹『「隔離」という病』

光田の言動は、確かに<牧人>である。光田の患者に対する<両義的な対応>も説明がつく。意に従う患者には限りなく優しくもあり、意に沿わぬ患者には限りなく冷酷である。愛生園という牧場で患者という羊を支配しようとした。光田に羊を慈しむ牧人の姿を見た後継者や患者は<慈父>と尊敬を込めて呼ぶが、監禁室に入れられ、草津(特別病室)に送られた患者は<隔離の鬼>と怨嗟の声を投げつける。


療養所入所者は「三園長証言」をどのように見ていただろうか。星塚敬愛園の入所者月田まさし「ハンゼン氏病の盲点 宮崎恵楓園長、光田愛生園長証言の批判」を検証してみたい。

二園長の参院厚生委員会での証言は、私たちハンゼン氏病者とその家族の人権を無視し、生活と生命をおびやかす内容である。…
…ファシズムは人間の権利、自由、文化、幸福への追求を拒否し、悲しい一等国の体面を保持するために、ハンゼン氏病者の強制隔離政策を断行したのである。生活、治療の裏付けは申訳だけに止どめ、つまり一定の土地におしこめそこに諦めの世界を作らせ、精神病者的生活に一生を終わらせることにあったのである。救らいの、美面祖国浄化の根本は、私たちとその家族の絶望と暗黒あらゆる悲劇の上に築かれていたのである。…
人類の中心であるヒューマニズムは、強者の特権に従属して不幸な力なき者に、一方的犠牲を要求する圧迫主義に変貌しようとしているその代償は、絶望、暗黒あらゆる悲劇となって、ありふれた社会の一面として葬られるのである。

『ハンセン病文学全集』5評論

「らい予防法改正への、私たち数年来の悲願は宮崎恵楓園長、光田愛生園長によって改悪への線上にある」と書き始めた月田は、「過去の圧迫と屈辱」とともに「二園長の意図」を明らかにしていく。彼は当事者として彼らの身に起こってきたハンセン病政策の事実と、それを実施してきた光田らの意図を的確に分析している。

<強制収容法文化について>
関係者は入所勧誘の誠実はなく、いたずらに必要以上の宣伝、患者の手まね、足まねまでして、社会人にハンゼン氏病は世にも恐ろしい伝染病なりと恐怖心をあたえた。そのため療養所では秘密を保ち偽名し罪人のようにおびえている。

今また、その結果を、収容に応じない者は手錠をはめてまで、の強制収容を案じている。つまり宮崎園長の証言のように、確信をもって患者の隔離を断行出来るような理論の裏付けをして頂きたい、のような療養所運営と園長自身の矛盾と無能の尻ぬぐいを法規の強化にたよって、断行しようとしているのである。

あくまでも収容の前提となるものは、療養所の物心両面の充実と、治療の完全、療養所の実態の普及、家族の生活保護でなくてはならない。科学の進歩によって、不治から全治、絶望から希望への今日、強制収容の法文化は時代錯誤であり、近代科学を科学者が否定するナンセンスである。

『ハンセン病文学全集』5評論

至極もっともな意見である。今では「常識的な意見」とさえ思える。ここで月田が指摘しているのは、プロミン以後の特効薬による効果と国際的動向を無視して、戦前の「強制隔離」「絶対隔離政策」をむしろ強化しようとする光田や宮崎の姿勢である。

自治会史や患者の著書、月田以外にも『ハンセン病文学全集』に所収されている評論や文学作品の数々を読みながら常に実感するのは、入所者の勉強熱心と努力によって培われた見識の高さである。入所者の部屋を訪ねて驚くのは、本棚や床に積み重なる書籍の多さである。
初めて長島愛生園の金泰九さんの部屋を訪れた時、壁一面の本棚にびっしりと収められたさまざまな書物であった。ハンセン病に関する書籍や雑誌、資料はもちろん、政治から文学まで読み込んでの博識に裏打ちされた意見は傾聴に値した。

彼らは自らの病と向き合い、歴史的な流れを熟知し、ハンセン病に関する医学的知見や政治や社会の動き、療養所の将来などを真剣に考えていた。何より自分たちがなぜ強制収容され、隔離され続け、差別や偏見を受けてきたかをよく知っていた。それは、彼らの講演のすばらしさに如実にあらわれている。

月田の論文を続けよう。

<逃走罪について>
これは狂気の沙汰である。二園長の人権と良識をうたがわざるをえない。
病人はあくまで患者であって、罪人ではない。ハンゼン氏病は微弱な伝染病であり、隔離する科学的根拠はなくなったと言われている今日、社会的に法的に罪をおかさない人間を、一体誰が罰すると言うのだろう。

<懲戒検束規定について>
ファシズムの残骸を固守しようとするものであり、科学者の良心を権力に置きかえようとする時代便乗主義である。…ハンゼン氏病療養所の特殊性?を看板に、園長は権力の上に君臨しようとしているものである。それは私たちの人間性も常識も自主性をも否定して、骨抜きな生活にしようとしていることである。

私たちは忘れてはならない。あの草津の特別監房事件、生き地獄の悲惨を!これは権力の残虐性を物語る好例である。
私たちは、人権を侵害する事件は、あくまで司法権に依存し、所内の秩序を乱すような小さい問題は、患者の自治の良心で解決出来ると信ずる。…自治制度確立によって、あの種のような紛争は防止出来ると信じている。

<家族の優生手術について>
ここまでくると、光田園長のハンゼン氏病学説の顛倒を実感する。伝染病だから、強制収容することが出来るようにと主張しながら家族の優生手術を施行するようにと来ては、ハンゼン氏病は場所と条件によって伝染病になったり、遺伝病に定義されたりする。これは科学者たるものの良心と信念の欠如を意味し、日本のハンゼン氏病療養所長の、学説の根拠薄弱を証明していると言えよう。

表面は、療養所運営への協力を感謝し、職員入園者共同で社会を啓蒙すると誓いながら、その実は、証言のように二面政策を取っていたのだから、私たちがいくら社会に訴えても、社会は依然として無知と不認識であったのも無理もないことである。

『ハンセン病文学全集』5評論

当事者である患者として、また園長を日常的に接している(あるいは間接的に見知っている)入所(園)者としての立場から、戦前から戦後のこの時期までを実際に知っている者として、月田の言葉は重い。まさしく正論であり、良識的な疑問を呈している。だが、残念ながら、月田は光田や宮崎の「意図(目的)」にまで至っていない。

「三園長証言」で明白になったのは、光田や宮崎が「癩の根絶」ではなく「癩患者の絶滅」を「意図(目的)」してハンセン病対策を行っていたことだ。そう考えれば、月田の言う「科学者たるものの良心と信念」など端から彼らにはなかったことも、「二面政策」を平気で断行できたことも理解できるだろう。

私は医学に関しては専門的なことはわからないが、以前より不思議に思っていたのは、ギネスに載ってもおかしくないほどに解剖を行い、患者の四肢や胎児の標本を残し、犀川らの証言では何時間も弟子の医官たちと議論したという研究熱心な光田健輔は、何をそれほどに研究していたのだろうか。病理学者として癩菌の発見方法(「光田反応」)たハンセン病の「類型」を研究していたのだろうか。

「三園長証言」でも「癩病研究所」の設立を希望しているが、なぜ「治療」「治療薬」の研究が進展しなかったのだろうか。私にはそれが未だに疑問なのである。療養所勤務の医官が少なからずの論文を残していることはわかるが、論文の題名からは治療方法に関する研究は少ないように思える。二次障害や他の病気に対応した「治療」が優先されていたからだろうか。

部落史・ハンセン病問題・人権問題は終生のライフワークと思っています。埋没させてはいけない貴重な史資料を残すことは責務と思っています。そのために善意を活用させてもらい、公開していきたいと考えています。