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弾左衛門の「士分編入」

部落史に関する論文を読んでいると,気になるのが「引用史料」である。
引用元の原典史料から判断しないとわからないこともあり,引用されている史料そのものを読んで確認しておかなければ気が済まなくなる。

大学や県立図書館まで行って確認する時間と労力を考えると,大部で高額であっても購入するしかない。そう思い,入手可能な史料集はできるだけ買い求めてきた。

『近代部落史資料集成』や『日本庶民生活史料集成』から『愛媛部落史資料』など必要な各県の部落史関係史料,『市政提要』『藩法集』など岡山県関連の史料,研究紀要に収録されている史料集など必要と思うものは集めてきた。やはり,史料は辞書と同じで,手元に置いておくと参考・参照できる強みがある。

今回,黒川みどり氏の『近代部落史』を読むにつれ,幕末から明治初年の「移行期」を再確認したくなり,弾左衛門の去就も含めて関連書を読んでいたとき,やはり関係史料が必要になった。

そこで,いつか買い求めようと思っていた『史料集 明治初期被差別部落』(部落解放研究所編)を古書店より購入した。さすがに大部であり読み応えのある史料が多く収められている。

近代の部落史に言及した論文には必ず引用・参照される史料集だけあって,内容も充実しており,興味深い史料ばかりである。

本書についての紹介は,『部落解放研究』52号(1986年10月号)に掲載されている「『史料集 明治初期被差別部落』と近代の部落史」(渡辺俊雄)および『部落解放研究』50号(1986年7月号)に掲載されている近世の部落史研究の立場から(牧英正) 部落史研究の前進のために(上杉聰)に詳しい。
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本書において,特に興味を引かれているのが,弾左衛門に関わる史料群である。

弾左衛門の「身分引き上げ」に関しては,松本良順の自伝や塩見鮮一郎氏の『弾左衛門とその時代』などをもとに拙文を書いてきたたが,まだ十分ではないと思っている。
今回,本書で原典史料を参照しながら,巻末の解題を読むことで,新たな理解を得ることもできた。
それが「平人」の意味である。本書の解題よりまとめておきたい。

司馬遼太郎氏は『胡蝶の夢』において「弾左衛門身分引き上げ」は「士分格」に取り立てられたと提起している。その根拠を5つほどあげているが,その一つが「弾内記身分引上一件」(『日本庶民生活史料集成』第14巻)に,弾は「平人」に引き上げられたという記述である。司馬氏は「平人」とは「賤民以外の普通の者」を指す意味であり,士族も含めるとみている。

本書の史料2にも,北町奉行から弾への「申渡」に「平人」と記されている。

通常,「平人」の語は「農工商」の身分を指して使われるが,穢多非人等に対立する“それ以外の普通の人”という意味で使用される場合がある。当時頻出する同種類の用語では「素人」(「白人」しろうと)というものがある。この場合,「素人」の反対語は「玄人」ではなく「賤民」である。こうした表現は,現在でも「白人」の変化した語として「白」(しろ)などと言われ,被差別部落からそれ以外の「一般民」を指す言葉として使用される場合がある。

また,「平人」を単純に「平民」と解釈することも,この場合困難である。というのは,「平民」という語が「農工商」を指すものとして公式に使われ始めるのは明治二(1869)年のようであり,翌三年になってはじめて,正式な身分名として確定されると考えるからである。
つまり,身分引上げ当時,「平人」という身分は存在せず,ただ士・農・工・商など具体的身分があっただけである。幕府が「平人」という用語を使用したのは,きわめて含みの多い措置であったことに注目すべきと思われる。
したがってこの場合,「平人」は,「賤民以外全体」を指すと考え,司馬氏のように“弾左衛門の醜名をとり除き,常人にした”と解釈することは不可能ではないようである。

以下,「士分取立て説」を裏付ける根拠について列挙しているが,これら解説と史料を読んでいくと,弾左衛門が「士分」(与力格にあって最低位)に取り立てられたことがほぼ事実とわかる。

慶応四(1868)年1月の弾左衛門と直属手下60数名が「平人」(「士分」)に身分が引き上げられたということは,それ以前は「士分」ではなかったという証左である。つまり,弾左衛門以下穢多・非人は下級であっても「武士」身分ではなく,身分においては「賤民」であった。それゆえに,「穢多」という「醜名」の「除去」を繰り返し歎願しているのだ。


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藤田孝志
部落史・ハンセン病問題・人権問題は終生のライフワークと思っています。埋没させてはいけない貴重な史資料を残すことは責務と思っています。そのために善意を活用させてもらい、公開していきたいと考えています。