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死者達の沈黙が語るもの

ハンセン病問題に関する検証会議が明らかにした成果と課題,これを我々も自らの課題として受けとめなければならない。
『検証会議-ハンセン病と闘った人達に贈る書』の「終章」が「検証会議」の成果と課題についてまとめている。

ハンセン病問題が人間の尊厳を踏みにじった人権問題であることは,遺体解剖・断種手術(ワゼクトミー)・強制堕胎(中絶)手術に象徴されるように明白な事実である。そして,その証拠がすべての療養所で製作された「胎児等標本」であり「病理標本」である。

本書の終章に,検証会議最終報告書「胎児標本等についての検証」に関して「死者達の沈黙が語るもの」と題した要約がある。抜粋して掲載する。

この題名にこそ,検証会議に託したハンセン病回復者の思いが込められている。彼らが声を上げなければ「死者」は無念の中でなおも沈黙の時を過ごしているだろう。
「死者」が長い沈黙の時を経て,療友によって蘇ることができ,そして語り始めた声に耳を傾けなければならない。知らなかったでは,同じ時を生きてきた責任,国家の政策に疑問を投げかけ,彼らのために行動しなかった責任が許されるものではない。

「知ったことに対する無責任は,悪ですらなく人間の物化である」という高橋和巳の言葉が心を打つ。あらためて自分には何ができるか,問い続けなければならない。

「『かわいい女の子だよ。髪の毛もふさふさしてあんたに似てるよ』看護婦はこういうと声が出ないように赤ん坊の顔を押さえた。顔にガーゼがかぶせられ足をばたばたさせるのを見た。それが我が子を見た最後だった。」
全国の国立ハンセン病療養所などには,こうした人工流産か人工早産などによる一胎児または新生児のホルマリンにつけられた標本がたくさん保存されている,とする「胎児等標本についての検証」の結果を報告書として検証会議は1月27日,厚生労働省に提出するとともに記者会見を行い,その内容が明らかにされました。
ハンセン病療養所は患者の隔離・撲滅を基本理念とし,所内での出産・育児を認めず,そのため妊振中絶・人工早産を実施。時には生まれてしまった新生児の命が,職員の手によって無理やり奪われた悲惨な光景も想像に難くなく,それを裏付ける相当数の証言が「らい予防法違憲国賠訴訟」において見られました。今回の検証事項の中で,この問題ほど,入所者の人間としての尊厳を傷つけ続けたものはないし,何故こんなことが起こったのか,厳しく検証する必要があった,ということです。
現在,胎児標本の残っている施設は六ヵ所,一施設あたり数量は一体から四十九体,合計百十四体であること,標本製作の時期は1924(大正13)年から1956(昭和31)年までの約32年であり,標本の製作年月日に関しては,不明が50%と半数を占め,明らかなものは昭和十年代が最も多く,昭和二十年代がこれに続くこと,ホルマリンに長期に保存されると胎児等の体重は大幅に減少し,産科学的胎齢とは合致しないと推測され,これに反し,体長はほぼ充分に保たれているように思われるので,体長を用いて胎齢を推測し,解析を試みたこと,その結果,二十九体は妊娠八ヵ月(32週)を過ぎ,そのうちの十六体は三十六週以後に産まれたと推測され,少なくとも25%以上が妊娠中絶ではなく,人工早産もしくは正期産であること,従って入所者の訴えのなかでの「出て来た赤ん坊が泣き,看護婦が『元気な男のお子さんですよ』と知らせ,そしてしばらくすると遠くで赤ん坊の泣き声が止んだ」などという証言が真実性の高いものであることが裏付けられた,ということです。
なお検証していくと,その多くは何ら人工的操作が加えられていない。研究または実験をしようと思えば切開瘡が残り,臓器を摘出した痕跡が残るはずであるが,残された胎児等標本の約80%にそれが認められない。さらに人工的操作の加えられたものには,胎児等に加えられた切開瘡が解剖の常識を逸脱したものが多く,なかには無慘にも両眼のみがくりぬかれたものもあり,胎児の尊厳,考え方によっては生命そのものの尊厳をいたく冒涜するものである,と。
胎児等標本を検証している間に,同時に保存されている病理標本および手術摘出材料に関しても検証する必要のあることが明らかになった。なぜなら,胎児標本等と類以の問題を有しているかである,ということです。
胎児等標本と同様,その保存管理の杜撰さが目につくが,その環境は至って不完全で,複数の施設において一つのポリバケツに多くの材料が雑然と保存されていた。
ハンセン病医学の歴史のなかでその中心に君臨しつづけた光田健輔が病理学者であった事実は大きな影響を与えたが,ハンセン病の病理を研究することで医師としてのスタートをきった光田は,常に精力的に病理解剖をこなしながら全生病院医長,同院長を経て愛生園園長に昇進。この病理学者・光田を慕って多くの医師がハンセン病にかかわるようになった。その光田の生涯を記した文章の中には,病理解剖の情景を賛美した記述がきわめて多く,たとえば「なかでも結核,腎臓,肺炎などの死亡率が高い。その遺体の一つ一つが私たち医局員の重要な研究材料として提供された。それは日曜日だろうと祭日だろうと敢行された」(桜井方策編「救癌の父・光田健輔の思い出」リーガル社刊)
先生(光田)は言われた。「ここには研究材料が無限にころがっているのですからね。ただそれを使う人がいないばかりにむざむざ放って置くだけなのだ」(神谷美恵子「新版人間を見つめて」朝日選書)など枚挙にいとまがない。
入所者には「解剖承諾書」への署名が強要され,半数以上の療養所で1980年頃まで,ほぼ全死亡例への病理解割が継続されている。これらの文章から読み取れるのは精力的に病理解剖がなされたが,亡くなった患者はあくまでも研究対象物として扱っている。病理解剖の目的の一つは,その成果を発表して医学,医療の発展に寄与することであるが,果たして膨大な数に上る解剖結果が,医師たちによってどれくらい発表され,世に問われたかを考えると大きな疑問が生じて来る。
また,病理解剖であれば,死亡の原因となった疾患を研究するため,主たる病変の認められる臓器およびその影響が及んだと考えられる臓器が切り出され,保存されるのが医学的常道であるが,ハンセン病療養所に保存されているのは体のほぼすべての臓器であり,保存の目的が全く理解不能で,この点でも医学的常識を極めて逸脱している。このあたりの倫理感の欠除も充分指摘されねばならない,ということです。
胎児標本のうちの生産児の死亡の可能性のある例については,検証結果をもとに在園者,全療協などの意見を踏まえ,厚生労働省が関係当局に対し検視の申し出か異常死体の届け出をするよう意見を述べるべきであること,国立ハンセン病療養所における倫理水準の低下は否めず,医療倫理の改善は当然要求されなければならないし,特に医療の中心にある医師たちの倫理面での教育は重大な課題であること,そして百十四体の胎児等標本,多くの手術摘出材料,二千体をこえる病理標本は何を物語っているのであろうか。今日まで我が国のハンセン病医療にかかわって来たすぺての者に対して「何をしたのか」と強く問いかけているのではないだろうか。たとえ,これらの遺体が丁重に供養され,懇ろに葬られたからといって,この事実は決して風化させ,忘れさせてはならない,と結ばれています。

「解剖天国」とさえ言われたハンセン病療養所の実態を生み出した源は,光田健輔である。彼のハンセン病撲滅への「善意」が「悪魔的な精神」を肯定する論理を生み出したのだ。目的が手段を正当化したのだ。
光田が正当化した方向と論理が,彼に続く医療従事者にも「自己正当化」を容易にさせたのである。何ら疑うことなく,すべては「ハンセン病撲滅のため」という大義名分によって「善意による肯定」が罷り通ってきたのである。解剖も断種も,堕胎そして殺人すら罪に問われることなく「肯定」された。

私はあらためて独善的な思考の恐ろしさを痛感する。思い込みによって麻痺させられる精神の歪みを恐ろしいと感じる。
医療従事者が何ら疑いをもつことなく遺体を解剖し,病理標本を作製したことも,中絶により命を絶ち,生まれた生命さえ抹殺し,さらにはホルマリンに漬けて保存し続けたことに,彼らは良心の呵責さえ覚えなかった。

自分の行為が他者にとって如何なるものであるかさえ気づかない「独善性」と「自己正当化」に終始する人間がいる。他者の声を聞こうともしない。傲慢さは,他者を傷つけても痛みさえ感じないのだろう。独善による独断的な批判など正当な批判ではない。

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藤田孝志
部落史・ハンセン病問題・人権問題は終生のライフワークと思っています。埋没させてはいけない貴重な史資料を残すことは責務と思っています。そのために善意を活用させてもらい、公開していきたいと考えています。