いちもつを忘れてきた女②
立ちションがしてみたい。
物心ついた時から小学生中盤あたりまで、私はずっと立ちションに憧れていた。
初めて挑んだのは4.5歳の頃。
今では考えられないが、当時は歩きタバコ、立ちションが当たり前のように横行していた時代。
ある時、父が初めて立ちションをする姿を見てそれはそれは衝撃を受けた。
刹那、「カッコいーっ!」と、幼い私は胸を躍らせた。
家で扉を開けっぱなしで用を足すのは何度か見たことがあったが、出かけの最中トイレでもないところで、開放感で満たされた表情を浮かべながら放尿する父の姿に神々しさすら感じた。
私もやろう!
立ちションデビューを決心した私。
とはいえ、いきなり1人で立ちションデビューするのは少々敷居が高い。
私は父が立ちションをする時を今か今かと待ちわびた。
そしてその時はきた。
いつものようにおもむろにチャックを開けはじめた父の横で、私は嬉々としてパンツを下ろす。
「なんだお前、バカだなあ!」
まさか本当に放尿するとは思ってもなかった父は、ガハハと笑いながら放尿を開始。
と同時に私も、父がめがけた場所に向けて華々しく初放尿…したつもりだった。
けれど私の放ったそれはめがけた場所に達することなく、両太ももを伝い、ジャバジャバと真下へと流れていく。
「な、なにしてるのっ!!」
慌てふためいた母が私を背後から羽交締めにした。
「嘘だろ?!バカモンがっ!」
放尿途中の父は、可笑しさと怒りをまぜこぜにして私を怒鳴りつけた。
「なんでエミにはできないのぉぉぉ〜!」
憧れていた立ちションを見事に失敗し、今更止められない放尿で両足とパンツをビシャビシャにした私は、絶望と悔しさでワンワンと泣き叫んだ。
地獄絵図である。
立ちションができないことに、私は結構なショックを受けた。
母親に立ちションをしたことはないのかと聞いた。
「ママも女なんだからできないでしょう?」
と言われたが、「なんで女はできないんだ」と全くもって納得がいかない。
その後、何度かこっそり試してみた。
外でやると大惨事になることはファースト立ちションで理解したので、家のトイレで立ち方や角度を変えて、何度も何度もトライしてみた。
そしてある日、不本意ながらなんとかできた。
なぜ不本意かというと、とりあえず便座には座らずできているというだけで、なんというか、とんでもなくおどけたアクロバティックな格好をしないとできなかったからだ。
こんなの立ちションじゃない。
父は真っ直ぐに立ったまま、スマートに立ちションをしていた。
する直前と、直後だけ少しガニ股になっていたが、あとはまさに「立ちション」と胸を張って言える姿をしていた。
ところが、私の立ちションスタイルはどうだ。
足は終始ガニ股。
片足を絶妙に上げ、体は最大限に左側に傾け、体勢が崩れないように歯を食いしばりながら、両手で股をかっ開いている。
こんな状態で、あんな開放感溢れる表情ができるわけがない。
「なんでできないのよぉぅ…」
家のトイレで1人また、静かに泣いた。
そして気づいた。
私がうまく立ちションでいないのは、『おちんちんがないからだ』と。
父にはあのホースみたいなものが付いているから、確実にしたい場所に華々しく尿を解き放てるのだ。
「ねえママ! なんでエミにはおちんちんがないの?」
「だからそれは女の子だから」
「なんでエミは女の子なの?!」
「…エミはママのお腹におちんちんを置いてきちゃったのかもねえ」
自分におちんちんがついていないこと。
立ちションができないということ。
私が生まれて初めて感じた不公平だった。
その後、実践こそしなかったものの、どうにかしてスマートな立ちションができないかというイメージトレーニングをする日々はしばらく続いた。
でも結局、身体の作り的にどうしたってあの、おどけたアクロバッティックスタイルでしかできないという結論に辿り着く。
ああ不公平だ。
おちんちんがないだけでこんなにも不公平さを感じるものなのか。
その後、いつの間にか立ちションへの憧れは薄らいでいったものの、今度はいちもつへの憧れが日々増していくのだった____
③へ続く
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