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ツールがあるからこそ広がるコミュニケーションってなんだろう?【Find the Questuion#29】
みなさんこんにちは。エンパブリックの瀬沼です。
今回はFind the Question第29回の様子をお伝えしたいと思います。
今回はストリートピアノの撤去のニュースから「ツールがあるからこそ広がるコミュニケーション」について考える機会になりました。
頂いたお手紙はこちら
つい今日の朝、JR加古川駅のストリートピアノが撤去されたというニュースについて「海外と比較した日本のストリートピアノの"つまらなさ"」というタイトルの記事を読みました。
私なりの感想なので、記事そのままの言葉遣いではないかもしれませんが内容をシェアさせてください。
撤去については、利用者による迷惑な演奏など様々な理由もあってとのことだったのですが、面白かったのは、海外と日本のストリートピアノというツールの扱い方の違いというところで、海外では、ストリートピアノはまちの人と人つなぎ、出会わせるコミュニケーションの媒体として扱われているのに対し、日本では利用者(ピアノを弾く人)が一方的に技術を披露するための道具になってしまっていることも多いとのことでした。(SNSでもよく見ますしね...)
ピアノの設置場所も、海外ではその用途から人通りが多いところに置かれるのに対し、日本では駅の端っこや目立たないところに置かれていることも多いのだそうです。
でも、この設置場所問題は、設置者側の認識・メッセージング不足などの問題というだけではなく、利用者によってコミュニケーションツールではなく、道具となってしまったピアノは「そのように扱うしかない」という状況になってしまったとも言えると...
ピアノだけではなく、パブリックに開かれたスペースを使った素敵な取り組みは色々なところで始まっていると思いますが、設置者・利用者・そこに参画する人々という多様な人がいる中で、その場所・モノの意味やメッセージをどのように伝えて行けば良いのか、難しいなあと思いながらラジオへお手紙を送ってみました。
私自身、ストリートピアノがコミュニケーションのために設置されているとは知らなかったので、そうした使い方があることに驚きました。
しかし、ピアノというツールがあるからこそ生まれていく「弾く」だけでなく、「見守る」「手拍子する」「曲をリクエストする」「セッションする」などのコミュニケーションがなかなか生まれづらい状況になってしまっていることも今回のお手紙から感じました。
ただピアノというツールを置いただけではコミュニケーションは生まれず、どんな風に使ってほしいのか、どうしてそこにピアノを置いたのか。などを伝えることももちろん大切ですが、使う側も楽しめるときも、迷惑な時もお互いに伝えあえるような場がピアノを中心に生まれると素敵だなと思いを馳せていました。
海外だけでなく、きっと日本でもそのような素敵な場が生まれているはずなので、そうした場に遭遇したことがある方はぜひお手紙で教えてください。
次回は5月19日(金)配信予定です。
引き続き、みなさんからのお手紙もお待ちしております♪