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Are you Happy?

幸せになりたいって、また口癖みたいに。

なんだかんだで今も生きている。
前回のnoteを遺書として公開することで、このまま今度こそ本当に死んでしまってもいいやという気持ちがあった。

死のうと思えばいつでも死ねるんだな、と実感してから気が楽になった。
今の仕事は割と楽しくやっている。周りの人にも恵まれていて、大好きな友達も寄り添ってくれる友達もいる。家族仲もまあ良い。

それでも希死念慮がそれら沢山の大切達を乗り越え襲ってきて、もうどうにもならなかった。

「死ぬことは怖いけど痛いだけだから、さほどできないことじゃないんだよ」

自死について考える時、どこかで読んだこの言葉を思い出す。
死というものに対してずっと焦がれて生きてきた私は、良くも悪くもこの言葉に背中を押された。

母親はよく「死ぬことは怖くないんだよ」って、私がまだランドセルを背負い始めた頃から言っていた。
「○○(死んでしまった私の兄)と天国でまた会えるから」といつも言っていたから、私にとって死ぬことはそんなに遠くの世界の話ではなく、怖さはありつつもどこか死を願っているところもあった。
自死の場合天国には行けない、って聞くけどそれ本当なのかな。

年齢を重ねるにつれて、死に触れる機会も何度かあった。
その度に人って本当に急にいなくなっちゃうんだなって。なんの前触れもなく、突然に。
人間も、他の動物も、急に私の世界から消えていく。その度に大きなショックを受ける。自分だっていつそうなるかも分からないのに。

ひとはね出逢うべき時に出逢うべきひとと出逢うの。そして別れもまた同じ

xxxHOLiC 壱原侑子

普段から死にたいと特別願い続けてきたわけではない。
生きる理由が終わりを迎えてしまったらいつ死んでもいいやと思いつつ、願わくば大切な誰かや何かと一緒に生きていけたらいいのにとも。
一緒に死のうと、それまで一緒に生きていこうと言えたなら、なんと喜ばしいことか。

おそらくタイミング次第で私はまた死を選んでしまうだろう。
幸い周りに恵まれ助けられ、直近はしぶとく生き続けられそうだ。

大切な人達、大切だった人達のことは、関係の最後がどんなに悲しい記憶であっても、どうか心身健やかに生きていてほしいと願っている。
私は私と関わってくれてきた人達のことを大切に思っている。
ハッピーでいてくれ。


この記事のタイトルをずっと考えあぐねていた。
いつも先にタイトルから決めて書くことがほとんどで、今回は先に文章を書いてしまったからか一層取り留めのない内容になってしまった。

先の記事以降、日常へ戻るリハビリをしている。
友達の助けを借りつつ、少しずつ食事も摂れるようになってきている。誰かと一緒にご飯を食べることの嬉しさよ。
音楽を聴くこともできずにいたけど、また徐々に聴けるようになってきた。

私は男女問わずアイドルが好きで、その中でも特に好きなモーニング娘。の曲「Are you Happy?」よりタイトルをいただいた。

私の初めての推しの卒業ソングでもあるこの曲がリリース時からずっと好きだ。
好きなものでも、努力をしていても、自分らしさを失ってしまったり向上できないのならば、離れたくなくても離れないといけないよね、ってことを歌っているらしい。

ひとは出逢うべき時に出逢うものなのならば、強さを持って別れを選ぶことも必要なのだと。必要ならまた出逢えるはずだから。

幸せかと聞かれたら、幸せではないとつい答えてしまいそうだけど、今までの関わりや縁に恵まれているから幸せだと言いたい。
幸せな記憶がたくさんあるから、いつか来るだろう終わりも怖くないよ。

空が明るくなってきたからもうそろそろ寝なきゃな。
私の人生の中にいる 貴方 も、幸せかと聞かれた時に幸せだと言えるよう。
幸せでいてくれ。

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