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空っぽの自分

どうもこんにちは。エンプティと申します。

エンプティ。empty。『空っぽ』、『欠けた』、『空虚な』。

なんて自分にピッタリなんだ!と思ったのが名付けの由来。要はただの自虐ネタ。語感がなんとなくカワイイというのもあったけれど。

皆さんゲームやSNSでユーザー名を決める時ってどれくらい考えますか?私はなるべく同じ名前を使い回したくない派なので、毎度毎度何が良いかとじっくり考えてしまいます。例えば「生バター」とか「ツタンカーメン」とか。
名前をつけるって素敵。今の本名に不満があるわけではないけれど、いつだって自分を再定義できるような感じがして、新しい自分になれるような気がしてワクワクする。

でもそんな「自分」とはなんだろう?


人に聞かれたくない質問というのがあります。
「趣味は?」
「普段どんな音楽聴くの?」
「休みの日何してるの?」
本当に困る。なんて返したらいいかわからない。何を聞かれてものらりくらり~なんて対応ができるわけもなく。「まぁ…色々ッス」と曖昧に答えて微妙な空気を作るハメになる。

プロフィールに書けるようなものが、自己を紹介する材料が何も無くて頭を抱える。浅いというか薄っぺらいというか、どうにも自分の存在が軽いように思えるのである。

エレキギターを多少弾ける。けれど腕前はてんで素人に毛が生えた程度だし、練習もメンテナンスも何もしていない。音楽もミジンコほども詳しくない。

映画やアニメやゲームもまあ好きな方だ。けれどそれはけして趣味といえるものじゃないし本当に好きな人に比べたらにわか同然だろう。推しの子もぼざろも知らないしウマ娘は因子周回なんざしていない。どれもTLに流れてくる情報をつまみ食いしてなんとなく知った気になってるだけ。

一応推しと呼べるキャラや人が存在する。けれどその熱量はいわゆる「オタク」「○○担」とかよりはるかに弱い。仮に次の日にその推しの存在がなくなったとて涙1つ流すことなく日々を過ごしていると思う。

やべえめっちゃ可愛い…
ライブ最高だった!
最近このバンドにめっちゃハマったわ~
──とかなんとか。
口ではSNSではこんなことを言いながら心の中は底無しの穴が広がっていて、水を注いでもすり抜けていく。火をつけても穴に吹き込む風で消えていく。

だから空っぽ、だからエンプティ。
それがこの名の由来でした。


そんなある日。
寝つけずダラダラと過ごす隣でたまたま流したラジオ。うるさすぎず眠すぎずの程よい抑揚の語りに耳を傾けながらスマホをいじっているとちょうど「空っぽの自分」という話題が聞こえてきた。

「やりたいこと好きなものがないなんて当り前じゃない。皆それを隠して取り繕って生きているものですよ」
就活中の学生からのお便りに対するその返答は、あまりにも突き放しすぎではなかろうか。そんなことを思いながら布団から身を起こして音量を上げる。
「人の中身ってね、粘土だと思うの。ゲームのスキルみたいに『有る』『無し』みたいなものじゃなく、誰でもある一定の素材が与えられててそっから自然に形作られていくんじゃないでしょうか」

ずっと”器”だと思っていたそれは、既になんらかのカタチになって確かな質量を持って自分の中に存在していたらしい。
アイデンティティとは。
空から降ってくるものでも自らが死に物狂いで取りに行くものでもなく、その核は最初から手の中にあるものだと。多分そういうこと……のはず。

詭弁だ。そんなもんどうとでも理屈がつけられる。
でも言ってしまえば今抱えている悩みだってその程度。


番組が終わり、ラジオを消して私服に着替える。薄いカーテンの向こうに見える空の色はだんだん明るみが増していき、時計を見なくとも一日の始まりを告げていた。
朝活なんてやったことないし何したらいいかわかんないしこれからのルーティンにするつもりも更々無い。

それでも。
とりあえず外に出てみた。
ただ、それだけ。


別に明け方でもなんでもない写真




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