【ギリシャ神話】ミノタウロスはいつから斧を持つようになったのか

  今回は、前回の「なぜアリアドネは蜘蛛にされるのか」の調査中に、別件で調べていたことのまとめである。


 ミノタウロスは、ギリシャ神話の怪物の中でも知名度の高い存在だろう。そのモチーフはファンタジーやゲームでたびたび採用され、現代においても人気のモンスターと言える。
 ところで、ミノタウロスと聞いてあなたはどんな姿を想像するだろうか。
 牛の頭に人間の身体、半人半牛の化け物、迷宮の怪物。
 さて、そんな脳内のイメージの中に、斧はあっただろうか?
 
 ミノタウロスといえば斧、という人は多いのではないだろうか。ジャンプ漫画読者であれば、『遊戯王』で海馬瀬人が用いたミノタウルスのカードイラストを思い浮かべるかもしれない。不思議のダンジョンシリーズ『風来のシレン』には、「ミノタウロスの斧」という、それそのものな武器が登場する。『ダンジョンに出会いを求めるのは間違っているだろうか』はミノタウロスがよく登場し、その手には巨大な斧が握られている。
 他、画像検索すれば洋の東西を問わず、ミノタウロスは巨大な斧を、またそれに比べれば少ないが巨大な剣や棍棒を持っているイラストが検索結果を埋め尽くすだろう。

 ところがここでふと思った。
「元々のミノタウロスの神話、斧ないじゃん」
 
 ミノタウロスは、クレタ王ミノスの息子にあたるが、半人半牛という怪物の姿で生まれてきたため、迷宮に閉じ込められることになった。それからは迷宮に送りこまれた生贄を喰らっていたが、とうとうテセウスによって退治される。
 
 というのが神話のあらすじである。(偽アポロドーロスの『ビブリオテーケー』等)
 どこにも斧や武器を入手する余地がない。幽閉されている怪物が、そのサイズにあった武器を手に入れるというのは不自然だ。せいぜい家具をぶっこわして棍棒を作るくらいだろうか?
 
 いったい、このミノタウロスの斧というイメージは、どこからきたのだろうか。
 今回はそのあたりを見ていきたいと思う。
 


●古典芸術から19世紀まで

 まずは古代ギリシャやその他の絵画・美術品で描かれたミノタウロスを見ていこう。
 とはいえ数千年分の美術品すべてを確認するのは無理なので、見つけられるものをいくつかピックアップするにとどめる。

紀元前515年頃のアッティカ、バイリンガル式キュリクス(取っ手つき酒杯)の円形画
スペイン、マドリードの国立考古学博物館
© Marie-Lan Nguyen / Wikimedia Commons / CC-BY 2.5
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Tondo_Minotaur_London_E4_MAN.jpg?uselang=ja
紀元前500年頃のアッティカ、テラコッタ製アンフォラ
アメリカ、ニューヨークのメトロポリタン美術館
パブリックドメイン
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Terracotta_neck-amphora_(jar)_MET_DP229126.jpg
紀元前540年頃のアッティカ、黒絵式アンフォラ
フランス、ルーヴル美術館
パブリックドメイン
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Theseus_Minotaur_Louvre_F33.jpg

 これら古代ギリシャの工芸品では、ミノタウロスはほとんど素手であり、たまに石らしきものを握っている絵が何点か見られる程度である。
 次に19世紀までの作品を見てみよう。 

1世紀頃のイタリア、ポンペイのフレスコ画
ガビウス・ルーファス邸
パブリックドメイン
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Theseus_Minotaur_MAN_Napoli_Inv9043.jpg
16世紀、Maître des Cassoni Campanaの『La légende crétoise』の一部拡大。
フランス、アヴィニョンのプティ・パレ美術館
パブリックドメイン
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Ma%C3%AEtre_des_Cassoni_Campana_-_Th%C3%A9s%C3%A9e_et_le_Minotaure_(d%C3%A9tail_Labyrinthe)_-_1500-1525.jpg
1826年、Étienne-Jules Ramey の『Thésée et le Minotaure』大理石像
フランス、パリのチュイルリー庭園
パブリックドメイン
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Theseus_Minotaur_Ramey_Tuileries.jpg
1896年、『The story of Greeks』の挿絵
パブリックドメイン
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Theseus_and_the_Minotaur.gif

 やはり素手であったり石を握る程度のミノタウロスが多い。が、中には武器を持っているものもある。以下に付す。

15世紀、 サントメールのLambertによる『 Liber Floridus』(1120年)の複写本の挿絵
Copyright (C) 2000,2001,2002 Free Software Foundation, Inc. / CC BY-SA 3.0
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:LiberFloridusLabyrinth.jpg
1606年、Wilhelm Jansonとアントニオ・テンペスタの『Theseus and the Minotaur』
アメリカ、ロサンゼルス群立美術館
パブリックドメイン
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Theseus_and_the_Minotaur_LACMA_65.37.157.jpg
1769年、ニコラ・ポンスの『 Thésée tuant le Minotaure』
スイス、チューリッヒのETH図書館
パブリックドメイン
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Ovide_-_Metamorphoses_-_III_-_Th%C3%A9s%C3%A9e_tuant_le_Minotaure.jpg

(※右下に落ちた棍棒らしきものが見える)

 このようにミノタウロスが武器を持った姿で描かれるものもあった。しかしそれらは剣や棍棒であり、斧はまるで見られない。
 ではいったい何がきっかけで、ミノタウロスの武器といえば斧、という風潮になったのであろうか。

●手がかり

 さて、大抵こういうファンタジー界隈特有の傾向はD&Dに端を発することが多い。というわけで調べ始めたわけだが、海外の質問サイトでドンピシャ当たりを引いた。
 
 いわく「(D&Dのように)ミノタウロスが斧を持つようになったのは、アーサー・エヴァンズがクレタ島の遺跡を発掘調査し、両刃の斧(ラブリュス)を発見したのがきっかけ(要約)」だという。
 
 この質問と解答のページには完璧と言ってよいほどの情報が寄せられていたため、今回の調査はほぼこの内容の翻訳と確認だけで終わったと言っても過言ではない。
 ではこのまま時系列でみていこう。

●プルタルコス

 本題の前にラブリュス(Labrys)という語について触れておこう。
西暦一世紀頃の著述家プルタルコスは、『Moralia』の「Quaestiones Graecae」の45にてLabrysについて言及している。

「カリア(地方)のラブランダ(現ラブラウンダ)のゼウス像が、王笏や雷霆ではなく斧を手にしているのはなぜなのか?」
 
「ヘラクレスがヒッポリュテー(アマゾネスの女王)を殺した時、彼女の他の武器とともに斧を奪い、オムパレー(リュディア女王。ヘラクレスの奴隷時代の主人。のちヘラクレスの妻とも)に贈り物として与えたからである。
 オムパレーの後を継いだリュディア王たちは、それを聖なる王権象徴の一つとして用い、カンダウレス(王)の手にわたるまで代々受け継いできた。彼(カンダウレス)はそれを重要視せず、臣下の一人に持たせた。
 しかしギュゲスが反乱を起こしカンダウレスと争った時、Arselisがギュゲスの同盟者としてMylasa(現ミラース)から軍勢を率いて来て、カンダウレスとその臣下たちを斃し、他の戦利品とともに斧をカリアへ持ち帰った。
 そこで彼はゼウスの像を造り、その手に斧を持たせ、この神をラブランデウス(Labrandeus)と名付けた。リュディア人は斧をラブリュスLabrys)と呼んでいるからである」

Plutarch Moralia IV
Frank Cole Babbitt
p.233-235
1962

 リュディア王国のヘラクレス朝が、ギュゲスのメルムナデス朝によって滅ぼされた際のエピソードと思われる。
 ここではラブリュスがリュディア人による斧の呼称として記されている。どうやら元々はリュディア語であり、のちにギリシャ語へ取り入れられたようである。
 
 このようにラブリュスそのものは、(両刃の)斧を指す言葉であった。
 これが特にミノタウロスらクレタ島にまつわるものとしてのイメージが強まるのは、20世紀初頭の発掘調査によってである。
 

●アーサー・エヴァンズとクレタ島発掘調査

 アーサー・ジョン・エヴァンズ卿はイギリスの考古学者である。彼は1900~1905年に当時オスマン帝国領であったクレタ島(現ギリシャ領)の発掘調査を行った。彼らはミノア文明のクノッソス遺跡や、かの有名な線文字A、線文字Bの刻まれた多数の粘土板を発見したが、その中に両刃の斧もあった。
 この両刃斧は、斧そのものの発掘品だけでなく、工芸品の意匠や、遺跡の壁面などにシンボルとしても掘られていた。このことから、ミノア文明では単なる道具以上の、宗教的な意味ももつ存在だったと考えられている。
 
 この両刃斧=ラブリュス(Labrys)が、迷宮ラビリントス(labyrinth)の語源だったとする仮説は、発掘開始前(Maximillian Mayer,1892)には既に説かれていたようである。現代では異論もあるが、さりとて完全に否定もされていない。
 この説は多くの資料に記載されており、迷宮と斧を関連付けるような印象を読者に与えたかもしれない。ただその影響の実態はさだかではない。
 
 エヴァンズ卿らが発見したクノッソス遺跡は、その複雑な構造から、ミノタウロスの伝説に登場するダイダロスの迷宮を彷彿とさせた。そこに両刃斧のシンボルが刻まれていたことから、ここにミノタウロスと斧との関連性の萌芽が生じたのかもしれない。
 しかしただちにミノタウロスと斧が結び付けられることはなかった。時あたかも第一次世界大戦前夜であり、クレタ島の発掘調査の時点で周辺情勢はキナ臭いものだったようである。ミノタウロスと斧についての進展が見られるのは、次の大戦前夜となる。
 

●アリアドネかく語りき

 ミノタウロスが斧を持つ事例が出てくる前に、ちょっと寄り道をする。
 1939年。スペイン内戦が終結したりノモンハン事件が起きたりポーランド侵攻で第二次世界大戦の火蓋が切られる激動の年である。
 この年の2月というから本当に世界が大変なことになる直前だが、アメリカのパルプ雑誌『Golden Fleece』のvol.2 No.2に、Clyde B. Clasonの「ARIADNE SPEAKS」が掲載された。

 これはアリアドネを語り部にした物語だが、劇中でテセウスがミノタウロスの像をラブリュス型の斧で破壊するシーンがある。
 注目したいのは、まさにその場面を描いた挿絵が載っている、という点である。
 ここではまだミノタウロス(像)は斧を持たず、逆に斧によって破壊される側でしかない。が、ミノタウロスとラブリュス斧の両方が、近現代のイラスト内で同時に描かれているという例としては、確認したかぎりこれが最も古い例となる。そのためメモがてらここに記すことにした。
 
 ちなみに、シーンとしては「ミノタウロスの座像の頭部は中空になっており、首の後ろから唇まで穴があいていて、ラブリュス斧の柄が口から突き出ていた。テセウスはこれを引っこ抜いて像の頭を叩き落とした」となる。
 手には持っていないものの、ラブリュス斧がミノタウロス像に設置されていたわけである。手に持つ前段階と言って良いかも(?)
 また、作中でラブリュス斧は聖なるものとして扱われているが、これはラブリュス斧がミノア文明で重要視されていたことが、発掘調査によってわかった影響と思われる。これも発掘後に生まれた描写傾向の一つであろう。
 

●王は死なねばならぬ

 第二次大戦が終わってもミノタウロスは徒手空拳で描かれていた。かのウィアードテイルズの表紙でもその姿は確認できる。また1960年の映画『The Minotaur』でもミノタウロスは素手で登場する。

ウィアードテイルズ 1945年1月号
パブリックドメイン
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Weird_Tales_January_1945.jpg


 そんな中の1958年、メアリー・ルノールトの『The King Must Die』が発表された。
 やっとミノタウロスが斧を持った事例を紹介できる。長かった。
 まあここではミノタウロスは怪物ではなく人間だが。

『The King Must Die』はテセウスの神話を題材にした小説である。そのBook4(第四章)はクレタ島を舞台にしており、ここにミノス王の息子アステリオンが登場する。
 最近ではFateシリーズで有名になったのでピンときた人もいるだろう。このアステリオンは劇中でミノタウロスとも呼ばれており、つまりこいつが斧を持つ。
 もうすこし解説しよう。
 アステリオンは敵役としてテセウスと敵対する。第四章クライマックスで二人はいよいよ雌雄を決するのだが、その際のアステリオンの描写はなかなかに迫力がある。

 首から下は人間で、卑しいものだった。首から上は獣で、高貴であった。平静にして堂々たる、長い角とねじれた眉の、ダイダロスの見事な雄牛のマスクは、その厳粛なる水晶の目で哀れな群衆を見つめていた。
(中略)
 しばらく、彼は壁を背にして立っていた。そして腕をつきだして掴んだ。空中を黒い稲妻のごとき影が、彼のまわりで旋回した。彼は、王を喰らうもの、古代の守護者たるマザー・ラブリュスをその台座から引ったくったのだ。

 彼は雄牛の仮面(覆面?)をかぶり、聖なる斧ラブリュスを手にテセウスと戦う。が、戦いの果て、最期にはマスクと斧を奪ったテセウスによってトドメを刺されるのである。

 俺(テセウス)はミノスのマスクを持ち上げ、それを被った。厚く湾曲した水晶の目を通して、すべてが小さく、遠く、そしてはっきりと見えた。(中略)それからラブリュスを振り上げ、振り下ろし、その一撃につられて自分の頭と肩と身体が回転した。その力は自分の手を通してうずき、足元からの声は途絶えた。

 本作のアステリオン=ミノタウロスは人間であるが、雄牛の被り物をつけることで神話の怪物そっくりな姿となり、そのうえでラブリュス斧を手にテセウスと戦う。ここで興味深いのは、それを斃すテセウスもまた、トドメの瞬間には雄牛のマスクをつけていることである。つまりこの場面には2人の斧もつミノタウロスがいたことになる。
 
 エヴァンズ卿の発掘調査以来、ラブリュス斧は聖なるものとして描かれていた。それはミノタウロスが持つ物というより、むしろ倒す側の象徴だったのかもしれない。
 この『The King Must Die』でも、聖なるラブリュス斧は最終的にミノタウロスを斃す道具となった。しかしそれを成した者の姿のほうが従来的なミノタウロスの姿だったというのは、なかなかに暗示的である。
 
ちなみに『The King Must Die』は1972年に「王は死なねばならぬ」の邦題で和訳版が出ている。そちらを確認できれば、より内容を理解できただろうが、さすがに古すぎて入手も取り寄せも困難であった。お持ちの方がいたら是非とも本記事に対するツッコミを入れていただきたい。
 

 〇閑話休題

 ところでギリシャ神話の怪物、といえばレイ・ハリーハウゼンの傑作、映画シンドバッド三部作があるが、この第三作『シンドバッド虎の目大冒険』にミノタウロスが登場し、なおかつ武器をもっている。
 ただしそれは槍であり、惜しくも斧ではなかった。とはいえ映像で武器をふるい動きまくるミノタウロスというのもこれが初期例ではなかろうか。

(※映画のポスター右下にミノタウロスが描かれている)

●D&D

『The King Must Die』は、確かにミノタウロスが斧を持つ、確認できた限りでは最古例の作品であった。
 しかしそれだけでは広く人口に膾炙するきっかけにはならない。この時点ではあくまで人間が斧を持ったのであって、怪物としてのミノタウロスは斧を持ってはいないからだ。ミノタウロスといえば斧、のイメージを世界中に広めたのは別のものであろう。
 それではお待たせしました。だいたいコイツのせいでお馴染み、D&Dのお時間です。
 
 D&Dのミノタウロスは、D&Dの誕生年と同じ1974年の『Monsters and Treasures』にてさっそく言及されている。しかしここでは基礎的なステータスと「雄牛の頭をもつ人間。人間よりも大きく、人喰いである。常に攻撃し、視界内に獲物がいる限り追いかけつづける」という概説があるだけで、その武器等については言及がない。
 
 つづく1976年の『Lost Caverns Of Tsojconth』には、ダンジョン内で遭遇するミノタウロスの集団が記されている。

「ミノタウロス:(中略)シーフ以外のミノタウロスは全員、大きな棍棒(4HPダメージ)を持っている。最も大きな者は+3の斧を持つ。リーダーはアダマンタイト製メイルシャツ(5)を着用しているためアーマークラスは1であり、また非常に知性が高く、その巨体により8HPモンスターと評価されていることに注意」

 ここでミノタウロスはクラブ(棍棒)そして斧(Axe)を持つことが言及された。しかしこれはD&Dの1シナリオ内での記述にすぎない。あともう少し。
 
 そして1979年。AD&Dの『Monster Manual』(p.71)にてミノタウロスは我々のよく知る姿で登場する。

「ミノタウロスは通常、荒野や地下にある迷宮のような場所でのみ見つかります。彼らは残忍で、人喰いであり、とくには知性的でないものの、狡猾で優れた嗅覚を有しています」
(中略)
「戦闘では、6フィート以上の敵を角で突き刺したり、それより小さい敵に嚙みついたりし、前者の攻撃は2~8、後者は1~4ポイントのダメージを与えます。このクリーチャーは何らかの武器──通常、巨大な斧(ハルバードとして扱う)やフレイル(ダメージ+2)──も使用します」

 以上のようなミノタウロスの記述がされたが、それ以上に重要なのは、そのページにイラストが掲載されていることである。
 それは両刃の斧をもつミノタウロスの姿であった。
 ここにその画像を直接掲載することはできない。が、翌1980年に出たモジュール『Maze of the Riddling Minotaur』の表紙を、両刃斧を握ったミノタウロスが飾っている。古代ギシリャのラブリュスとは異なるものの、雰囲気は似ている。

  こちらのモジュールでは、挿絵に描かれるミノタウロスのほぼ全てが両刃斧を持っている。素手の怪物としてのミノタウロスは見られず、ここにミノタウロスの斧のイメージは確立したようである。
 
 なお。『The King Must Die』と、その16年後に誕生したD&Dの間に、どの程度の関連性があったのかは定かではない。D&Dが独自に、ミノタウロスに同じクレタ島のシンボルである両刃斧を持たせてみよう、と思いついたかもしれないし、ガイギャックス氏はじめD&D関係者が『The King Must Die』を読んだり影響を受けたりしたという証拠も証言も見つかってはいない。
 しかしD&Dは当時のファンタジー小説から影響を受けた設定が多々あり、その中にこの小説が入っていた可能性もゼロではない。また興味深いことに、『The King Must Die』はポール・アンダースンの『The Dancer from Atlantis』(1971)にて言及されている。D&Dがアンダースンの『魔界の紋章』などから影響を受けていることは有名だが、ガイギャックス氏らがアンダースンを経由して『The King Must Die』に触れていたかもしれない・・・と妄想することはできるが、やはりこれも確証が何一つない。詳細についてはガイギャックス氏の蔵書目録でも見ないことにはなんとも言えないだろう。
 

●まとめ

 時系列をまとめると
 
紀元前2000~1500年頃:クレタ島でミノア文明が栄える。
紀元前1600年以降:ミノア文明衰退から滅亡へ
紀元前1000年前後:暗黒時代
(ここまでにミノア文明で両刃斧が重要視された等の記録が途絶える?)
 
1900年アーサー・エヴァンズ卿がクレタ島の発掘調査を行う。
(クレタと両刃斧の関係性が再発見される)
1958年メアリー・ルノールトの『The King Must Die』発表。
1979年AD&Dに両刃斧を持つミノタウロスのイラストが掲載。
 
 といった感じになるか。
 D&D以降の世界中への拡散については語るまでもなかろう。一応、同時期にミノタウロスを扱いそうなT&Tなども確認してみたが、そちらは素手のミノタウロスしか見当たらなかったのでここでは割愛している。
 
 ひととおり調査した限りでは、ミノア文明や古代ギリシャの美術工芸でミノタウロスは両刃斧を握っておらず、やはりこのイメージは発掘調査後の20世紀中に生じたものだと考えられる。(牛と斧を同時に描いた図案はあれど、それは牛を屠る意匠であろうか?)
 とはいえ。今回の情報源となった海外の指摘も、すべて正しいとは限らない。もしかすると見つけられていない範囲、古典芸術や非英語圏の小説、D&D以外の黎明期TRPG界隈に、斧をもつミノタウロスが描かれているかもしれない。それについては有識者の意見を頂戴したいところである。
 

 ●おわり

 以上。
 今回は同じような疑問をもつ海外の方がいたおかげで、早々に概要を把握することができた。チョロいもんだぜ。
 しかしながら、この海外勢のやりとりが2019年だったのに対し、pixiv大百科のミノタウロスの記事で2015年にはもう神話に斧が登場しないことやミノア文明について書かれていた。またしても車輪の再発明をやっちまったわけだが、本邦の有識者もやはり侮れないなとしみじみ思う次第である。

 追記:なお、『Mazes & Minotaurs』という1972年のTRPGなるものが検索に出てくるが、これは「もし世界最初のTRPGがギリシャ神話を題材にしていたら」というIFのもと、2006年に発表されたパロディらしい。一応ここに記す。

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