【ギリシャ神話】なぜアリアドネは蜘蛛にされるのか
※はじめに申し上げておくと、今回の調査は不首尾に終わってしまった。詳しい情報をお持ちのかたは、なにとぞご連絡ください。
ギリシャ神話のアリアドネ(Ariadne)は、いわゆる『ミノタウロス』の伝説に登場する姫君である。
クレタ王ミノスの娘であり、ミノタウロスがいる迷宮に入ろうとする英雄テセウスに糸玉をわたし、彼が迷宮から脱出する手助けをする。というのが有名な逸話である。なお伝説のオチはハッピーエンドとはゆかず、テセウスと共に島を出た彼女は、途中の島で置き去りにされてしまいデュオニソス神の妻になったとも、あるいは首を吊ってしまったともされる。
以上がアリアドネ王女のあらましなのだが、どうしたわけか彼女は後代に蜘蛛と関連づけられることがある。
たとえば近年だと、漫画『ダンジョン飯』の作中設定では魔物の大グモについて、アリアドネ種という呼称が与えられている。
またファイナルファンタジーでは、蜘蛛の胴体に女性の上半身という姿の敵アリアドネが登場する。
蜘蛛ということで、ポケモンに登場するアリアドスを思い浮かべた人も多いだろう。
前述のように、元々のギリシャ神話のアリアドネに、蜘蛛にまつわるエピソードはない。確かに「アリアドネの糸」という、蜘蛛の糸へと連想できるキーワードはあるにはあるが、それだけで広く蜘蛛イメージがつくものだろうか。
事例数はけっして多くはないが、無視できるほど少なくもない。
このような共通イメージができあがっている場合、そこにはなにか爆心地となる事例がありそうである。
というわけで調べてみたのであるが……冒頭に述べたように決定的な原因は特定できず、中途半端なところで終わってしまった。マジで誰か詳しい人きてください。
●アリアドネとアラクネ
「原因は特定できなかった」という舌の根も乾かぬうちになんだが、原因の推測は立てられる。
同じくギリシャ神話に登場する『アラクネ(Arachne)』である。
アラクネは機織りの得意な女性で、女神アテナと機織り勝負をする。
アラクネが織り上げたタペストリーは、神々を侮辱する内容が描かれていたが、なおそれでも女神アテナのものより見事な出来栄えであった。
これに怒った女神アテナはアラクネを打ちすえるのだが、そのためにアラクネはのちに首を吊って死んでしまった。これを哀れんだ女神アテナはアラクネを蜘蛛に変えたのである。
以上が、オウィディウスの『変身物語』等に語られる、アラクネの概要である。
こちらは蜘蛛にまつわる代表的な例であり、アラクネはファンタジー界隈でも蜘蛛や蜘蛛の女怪のネーミングとしてよく用いられている。女神転生シリーズを知っている人ならばアルケニーという敵でご存知かもしれない。
なお蜘蛛にまつわる語(アラクニダ、アラネア等)は彼女が語源と思われがちだが、実際には彼女も含めて、元々は古代ギリシャ語で蜘蛛を指すarachneが語源のようである。
さて、アリアドネ(Ariadne)とアラクネ(Arachne)、同じギリシャ神話、同じ糸にまつわる話、あとよく似た字面の女性である。
どー見てもコレ混同されてね? と無根拠に思ってしまうのは禁じえない。
事実、調査中には明らかに両者を取り違えたとしか思えない記述がちょくちょく出てきた。
それが何らかの元凶によるものなのか、それともそれぞれの時代に偶発的に起きた単発事例なのかは、これから記していく中で見ていきたい。
●現代
今回は見つけた事例を、現代から過去へさかのぼって見ていこう。
なお、大概こういうファンタジー関連といえばD&Dが特異点だったりするが、アリアドネに関しては特にこれといった記述は見つからなかった。今回は無関係だろう。
その他、各種ゲームにおける蜘蛛のアリアドネに関しては、挙げればキリがなさそうなので重要なものを除き今回は割愛する。
前述のように日本の漫画やゲームで、蜘蛛化されたアリアドネが見られるが、探してみると日本より海外のほうが多くの事例が出てくる。
たとえばフランスのトゥールーズでは、「ラ・マシン(La Machine)」が制作した、アリアドネと名付けられた巨大な機械仕掛けの蜘蛛が、ミノタウロスら他の巨大機械と共に街を練り歩くパフォーマンスが行われていた。(2018年、2024年)
前述したポケモンのアリアドスは、登場がポケットモンスター金・銀(1999年)となる。
これ以前だと、某質問サイトの回答にて、1980年代後半のイギリスのTV番組「Creepy Crawlies」と「Knightmare」の中でアリアドネが蜘蛛の名前として用いられていたことが指摘されていた。
「Creepy Crawlies」は1987~1989年にかけて放送されたストップモーションアニメであり、劇中に登場する蜘蛛のキャラクターがAriadneと呼ばれている。(なお日本のデフォルメしがちなストップモーションアニメとは違い、本作のキャラ造形は顔以外けっこうリアル虫寄りの質感なため、動画を貼るのは控える)
「Knightmare」は子ども向けのアドベンチャー番組である。四人チームのうち、一人が目隠し状態でダンジョンに挑み、残りの三人がスタジオ内で指示を出してダンジョン攻略を目指すというもので、スイカ割りというか、リアルで行うテキストベースRPGといった感じである。
このダンジョン内に巨大な蜘蛛が登場するが、それがAriadneと呼ばれている。公式サイトによれば、シリーズ2(1988年)でアリアドネが、シリーズ4(1990年)で「アリアドネの隠れ家(Ariadne’s Lair)」が登場しているらしい。
このように80年代末にかけて、すでに海外メディアではアリアドネ=蜘蛛の概念が見られたようである。
ところで、見つけた資料の中に1975年の「Keys to American English」という本があるのだが、この中の穴埋め問題(p.140)に「Ariadne __ turned into a spider.」という一文があった。前後の記述から推測するに、おそらく空欄に入るのはmustであり、「Ariadne must turned into a spider.」すなわち「アリアドネは蜘蛛になったに違いない」という意味になるか。
元々の神話としては明らかにおかしい。単純にAriadneとArachneを取り違えただけの凡ミスにも思えるが、一文だけでは作者の意図がわからない。無視していいかどうかわからないが、とりあえずこういう事例がこの年代にあった、と一応ここに書いておこう。
(なんらかの小説の一節なのかもしれないが、ようとして知れない)
●フランス
調査中、フォロワーさんから有力な情報がもたらされた。
アリアドネ・アラクネ問題、「英語のすったもんだは、だいたい仏語と独語のせいだろ」と決めつけて仏語文献をあさってたら、ちょっと時代が下るけど、絞殺された刺繍人アリアヌ(アリアドネ)が蜘蛛(アラクネ)に変じるという小説を見つけた。
— 雷 (@thunderbolt914) March 1, 2024
(Schwob, M.『Cœur double』, Paris , 1891)
ちなみに「アリアヌ(アリアドネ)とアラクネを関連づけるのは、同時代のE・アラールやJ・ドゥセもやっていて、シュウォッブ独自の創作ではない」らしい。 (Berg, C. & Vadé, Y.『Marcel Schwob, d'hier et d'aujourd'hui』, Seyssel , 2002)
— 雷 (@thunderbolt914) March 1, 2024
フランスの作家、マルセル・シュウォッブが1891年に発表した『Cœur double』に収録されている『Arachné』では、アリアドネとアラクネの名前が登場する。(この『Arachné』自体は、1889年に「L'Écho de Paris」に掲載されたもののようである)
この短篇の中では、Ariane(アリアドネの仏語表記)とArachnéという名前が登場する。どうも刺繍家の名前がアリアン、蜘蛛の名前がアラクネのようである。
ちなみに同時代人のE・アラールやJ・ドゥセとは、Ernest AllardとJérôme Doucetのことであろう。Sabrina Grangerの『Le symbolisme du lien』によると、アラールは『L’Araignée rose』(1883)、ドゥセは『Danses』(1901)収録の「Gavotte」や「Danse de corde」に、アラクネとアリアドネの言及があるらしいのだが、これらはいずれも原文にあたって確認することができなかった。
シュウォッブの作品では、アリアドネ、アラクネ、蜘蛛の三要素が登場し、またアリアン(アリアドネ)は刺繍家という蜘蛛やアラクネを連想させる人物として言及されている。しかし本作はかなり幻想的で難解さもあり、作者の意図等について考察するのは難しい。
とはいえ、単に混同や取り違えをしたわけでなく、意図的にアリアドネとアラクネと蜘蛛を同一視している事例、と考えても良さそうである。
●学名
アリアドネと蜘蛛の同一視について、メディア方面で見てきたが、今度は直接クモに関連した事例を見ていこう。
アリアドネは、他のギリシャ神話もそうだが、生物の学名にも用いられている。元が有名な神話に登場する王女ということで、名前が採用されることに不思議はない。
たとえば「分類学の父」ことカール・フォン・リンネは、1763年にタテハチョウの一種、カバタテハに「Ariadne Ariadne」という学名をつけている。彼がなんでこの蝶にアリアドネの名前をつけたのかは、いまいち情報が見つからないので不明瞭である。写真を見ると羽の模様が迷路のようにも見えてくるが、そこからの連想なのだろうか。
他、植物のMazaea(アカネ科)のシノニムとしてや、アマガエルの仲間の学名としても用いられている。これらについても、なぜアリアドネの名前を冠するのかわからないが、今回の本筋とはあまり関係がないので今はスルーしておこう。
さて肝心の蜘蛛である。
1826年、フランスの学者ビクトル・オードワンは、エンマグモ科ミヤグモ属の学名をAriadnaと記した。
(これはラテン語のスペルで、古くは共和制ローマの詩人ガイウス・ウァレリウス・カトゥルスの詩に用いられているようであり、これは詩の内容からアリアドネのことだとわかる)
これもまた、なぜこのような命名をしたのかまでは特定できなかった。が、ともあれアリアドネと蜘蛛を直接関連付ける事例の中では、特に注目したいものである。なにしろフィクション作品の中だけではない、広く世界中に影響する学名として、アリアドネが蜘蛛とむすびつけられたからである。
まあもっともこれがその後の諸作品・諸記述に影響を及ぼした原因かと問われれば微妙なところである。そもそもミヤグモ属ってそんなに人間や社会や文化に影響を与えるような存在感のあるクモなのか・・・? という疑問がある。このあたりは現地に住んでる人にでも聞かねばわからんだろう。だれか詳しい人おしえてください。
●シェークスピア
いろいろ時代をさかのぼってきたが、次は一気に1602年まで戻る。
シェークスピアの戯曲「トロイラスとクレシダ(Troilus and Cressida)」である。これの第五幕第二場面にて、
「As Ariachne’s broken woof to enter.」
というセリフがある。「アリアクネの切れた横糸が入るような──」という意味になるか。
この、アリアドネとアラクネを足したようなアリアクネという語は、どうもこの戯曲でしか見られぬものらしく、後代ではおおむねアラクネに修正、つまりシェークスピアの誤記的な解釈をされることが多いらしい。(woof(横糸)という機織り用語があることから、アラクネのことを指していると判断されたのだろう)
ただし森井 祐介氏の『シェイクスピアと批評理論』によると、これはシェークスピアによる合成語であり、意図的にこのような表記になっているのだという。(これはヒリス・ミラー(J. Hillis Miller)氏ほかの論として記されている)
と、なると。これがアリアドネとアラクネを混同した最初期の事例にして、特異点となるのだろうか。なにしろシェークスピアである、その後世への影響力は絶大であろう。
ところがどっこい、そうとも言えない。
1867年のC. M. Inglebyの『The still Lion』には、次のように書かれている。
「If Shakespeare did confound together the two fables it was no more than his contemporaries did.」
「もしシェークスピアが二つの寓話を混同したのだとしても、それは同時代の人間と大差がなかった」
また例としてJohn Dayの『Humour out of Breath』(1608)を引用している。
「”in robes Richer than that which Ariadne wrought,”—」
「アリアドネが織ったものよりも豪華なローブを着て──」
これも明らかにアリアドネとアラクネを混同している事例であろう。
(※なおArchiveにこの『Humour out of Breath』はあったのだが、画像が不鮮明で該当箇所の確認ができなかった)
つまり、シェークスピアの記述が意図的だったかどうかはさておき、当時すでにアリアドネとアラクネの混同がされていた(あるいはアラクネをこのように表記するのが一般的だった)というのである。
となるとこれが最初期例だとは断言できなくなってしまった。さらに根は深い。
さて、調査はここで行き詰った。
これより古い資料をあたるアテがない。
ここからさらに古いもの、また英語以外の言語も含めての調査となると、膨大な時間を要し、本腰をいれた調査になってしまう。流石にそこまでやる気力はないので、一旦ここで切り上げることにした。
いったいどこまでいけば良いのか皆目見当もつかない。下手をすると英語どころかラテン語(ローマ帝国時代)まで遡る気配すらあり、あまりにも沼の底が見えない。
もう単純に「AriadneとArachneって字面が似てるよねー」が原因でいいんじゃないすかね。で、お茶を濁したくなるほどには、気軽に入って良い沼ではなかった。
●いらんこと
ここで話が終わればまだ良かったのだが、最後にひとつ問題が残っている。のでそれも書かねばなるまい。
本調査の目標であった「混同されるきっかけとなった特異点」的な資料や事例は、結局みつからなかった。
の、だが、「混同を促進する事例」は見つかってしまった。
1977年。アメリカの作家ジョン・スラデックは、ジェイムズ・ヴォー名義で「Arachne Rising」という本を出版した。
彼はこの本の中で「アリアドネの蜘蛛の糸」だの「アリアドネとアラクネは共にクレタの女神」だの「ふたご座(geMINi)とおうし座(TAURus)の合成語がミノタウルス(MINoTAUR)」だのといった、明らかに神話的にも言語的にもおかしなことを書いている。
実はこれ、どうもジョン・スラデックが仕掛けた社会実験的な本だったらしい。ようはもっともらしい事を書いて、それで人々がどれくらいそれを信じるかを検証したのだという。
(これが出版の本当の理由だったのか否かソースを見つけられていないので、実際どうだったのかはわからない)
まあ、「黄道十二宮には失われた十三番目があったんだよ!」「な、なんだってー!」な本を真に受けるやつがいるか、という話ではある。
ところがいたんだなこれが。
スラデックにしてみれば、安易に似非科学を信じる連中を痛烈に批判、あるいは嘲笑するための盛大な釣りのつもりだったのかもしれない。
しかしオカルトやスピリチュアル界隈はより斜め上を行っており、この本を根拠に堂々とアリアドネとアラクネの混同を書いた本を出しているのである。
連中がこの本のカラクリを素で知らずに引用しているのか、知った上で利用しているのかはわからない。どちらにせよ世に胡乱な記述を蔓延させているのは変わらぬことであり、さらにそれが孫引きされることで更に拡散されていく恐れも出てくる。
スラデック当人は実験のつもりだったのかもしれない。が、嫌な影響は残されてしまった。いらんことしおって・・・。(まあ彼も紛らわしいが、ろくに確認をしない引用先もどうかと思う)
●まとめ
時系列を整理すると
1602年:シェークスピアの「トロイラスとクレシダ」にアリアクネとある。
1608年:John Dayの『Humour out of Breath』でアリアドネとアラクネが混同。
1826年:ビクトル・オードワンがミヤグモ属にAriadnaと命名する。
1891年:マルセル・シュウォッブが『Arachné』を収録した『Cœur double』を出版。
1977年:ジョン・スラデックが「Arachne Rising」を発表。
1987年:イギリスの番組「Creepy Crawlies」で蜘蛛のアリアドネというキャラクター。
1988年:イギリスの番組「Knightmare」で大蜘蛛のアリアドネが登場。
1999年:ポケモン金・銀でアリアドス登場。
という感じになる。
こうしてみると年代に抜けが多すぎる。実際、検索に出てくる資料の大部分は真面目な神話解説本であり、そこにはアリアドネとアラクネの混同はない。アリアドネとアラクネ、あるいはアリアドネと蜘蛛の混同・同一視は、連続した流れではなく、現代以前では単発的に発生する事例のようにも思える。
思うに、アリアドネとアラクネという字面のまぎらわしさや、アリアドネの糸や迷宮という要素は、時代や文化に関係なく、個人のミスあるいはアイデアによって、蜘蛛と関連付けるに難くないものである。メディアの影響が強い現代をのぞき、それ以前における事例は連続性がないかもしれない(それにしては同時代の複数人が記述している例もあるので、そう断言するのも躊躇われる)
「シェークスピア時代には単なる名前の取り違えっぽいが、シュウォッブの時代になると意図的に同一視するようになる」などという仮説も立ててしまいがちだが、事例数が5件しかないとか間に2~300年も資料未確認の空白があるとか、問題が多すぎて仮説を立てるどころの話ではない。絶対的に資料が少ない。そもそも「アリアドネ、蜘蛛と関連されがち」という前提すら、個人の思い込みかもしれない。(リンネがチョウの学名に用いたように、蜘蛛にかぎらず関連付けられていると言ったほうが正しい可能性)
今後これをさらに探るとなれば、英語圏に限らず仏、独、ローマ、ギリシャあたりの範囲に、活字だけでなく写本資料も確認が必要かもしれない。無理です死んでしまいます。
本当にここから先は詳しい専門家に聞くしかない。
●おわり
以上。
「蜘蛛要素ないのに蜘蛛系モンスターにされるアリアドネ、風評被害すぎね?」という思いからはじめた調査だったが、その原因やきっかけを探るどころではない、深い沼が広がっていた。
(どうせD&Dあたりが震源地やろ、とタカをくくっていたらこの有り様である)
結局資料を羅列するだけして、検証も仮説もなにもあったもんじゃない、とっちらかったまま調査を終えることになったのは忸怩たるものがある。が、これをさらに追及しようとするとたぶん私の人生が2つは必要になるだろう。
とはいえ調査で出て来た情報をこうしてまとめておくだけでも、今後なんかの役に立つかもしれないので、それで良しとする。将来誰かが調査を引き継いでくれることを信じて(他力本願)