【アフリカ】価値ある刃、ウォシェレ【通貨】
今回は5年くらい前に調べたことをまとめなおしたものです。
ゲームや小説でウォシェレ(Woshele、Oshele)という名前を聞いたことはあるだろうか。
本邦のファンタジー界隈の武器名としてはマイナーな方だとは思うが、知っている人は知っている名前かもしれない。
話は後にして、百聞は一見に如かず。以下の動画を見てほしい。
まず思ったであろう。クソでけぇな。
大人の上半身くらいの大きさがあり、複雑な形状をしている。武器のようだが一体どうやって使うんだコレと当惑するかもしれない。
英語の読める方は、動画の説明で理解してもらえたかもしれないが、実はこれは貨幣、お金である。
かつて、中央アフリカで流通していた鉄製の通貨。それがウォシェレだ。この形状は、アフリカの手投げナイフ(スローイングナイフ)を模しており、他にもこうしたナイフや剣を模した鉄製通貨が存在する。
お金にしてはデカすぎねぇかと思われるだろうが、ウォシェレはそうした通貨の中でも最上級の価値があり、普段使いではなく、おもに大きな買い物や取引の際に使用されるものだったという。
ところで、そんなアフリカのお金が、どういうわけか日本のファンタジー界隈では武器の呼称に使われている。
たしかに形状は手投げナイフそのものだが、巨大さといい、平たいだけで刃もついてない形状といい、とても実際に使用できる代物ではない。
ウォシェレとはなにか。そしてなぜ通貨であるウォシェレが、武器名として扱われるのか。今回はそのあたりを探っていこうと思う。
なお混乱を避けるため先に書くと、ウォシェレを作成したアフリカの民族名について、日本ではンクツシュ(Nkutsh)族と書かれることが多い。のだが、資料等ではBankutu、Nkutu、Ankutsu、Kutu…と表記揺れする。どうもバントゥー語族のテテラ語に属する民族(Nkutu語族)らしい、ということまでは読み取れるが、これらが発音表記のバリエーションなのか、接頭辞が違うだけなのか、それとも名前ごとに小部族にわかれているのか、まるでわからない。そのため本記事では各資料に書かれたスペルをそのまま用いることにした。名前が違ってもだいたい同じ集団を指してます。たぶん。
この時点でだいぶややこしい。その他の情報も確認等が大変であり、基礎知識ゼロで触れて良い沼ではなかった。軽率さをわりと後悔している。
●ベルギー領コンゴ調査行
まずは海外資料を見ていこう。
見つけられた限り、ウォシェレの名前が最初に出てくるのは1910年のEmil TordayとThomas Athol Joyceによる『Notes ethnographiques sur les peuples communément appelés Bakuba, ainsi que sur les peuplades apparentées, les Bushongo』である。
フランス語なので和訳にまったく自信が無いが、おおむね「一般的にBakubaと呼ばれる民族、および縁戚の部族であるBushongoについての民族誌的記録」といった感じになるか。
本書冒頭によれば、1907年10月から1909年9月(※出発地イギリスとの往復日数込み)にコンゴで行われた、人類学者Emil Torday率いる大英博物館の調査隊の記録のようである。
さて1910年頃というと、かつてアフリカ中央に位置していた旧コンゴ王国は、当時フランス(現コンゴ共和国)とベルギー(現コンゴ民主共和国)とポルトガル(現アンゴラ)の植民地となっていた。本書の調査行地図にはロアンゲ(ロアンジェ)川や、カサイ川とサンクル川の合流地点、その北のルケニエ川が描かれている。これらは当時のベルギー領コンゴに含まれる。(まあ本書の扉頁に思いっきりCONGO BELGE(ベルギー領コンゴ)と書かれているので言わずもがなだったが、一応確認しておくのだ)
そしてBankutuの表記は、ルケニエ川両岸に記されている。
(この縮尺では表示されないが、東のLodjaから西のKoleを通るかたちでルケニエ川が流れており、この区間をTorday遠征隊が通った模様。南のBena Dibeleを流れているのがサンクル川)
ウォシェレの話に入る前に、本書の興味深い記述を紹介したい。
タイトルにもあるBushongo族について、その名は「peuple du Shongo(Shongoの人)」の意だと推測されている。ではそのShongoとは何か、というと、これはBushongo族が用いていた手投げナイフらしいのだが、調査当時すでに廃れてしまっていた。
しかしこの手投げナイフを模したものが、Basongo Meno族とBankutu族のあいだで流通通貨として用いられていた。おそらくBushongo族がこれらと戦闘になった際、手投げナイフのShongoも用いられ、その存在が伝わったのだろう。しかしBasongo Meno族やBankutu族は、それを武器として扱うのが困難だったか、あるいは新しい武器を使う気がなかったのか、Shongoを通貨として用いるようになった。金属製、ということで一定の価値があったのだろう。そしてShongoが流通するようになると、それを模した手投げナイフ型貨幣も新しく作られるようになった。(以上p.43より)
金貨や銀貨、そして銅貨(銅銭)がお馴染みの日本人にはピンとこないかもしれないが、ここでは鉄そのものに価値があり、貴金属のように取引されていたようである。そしてBasongo Meno族とBankutu族はその取引する鉄の延べ棒のこともShongoと呼んでいたという。(p.94)
(※注:ここの文章は前後がまぎらわしく、鉄の地金の通貨をShongoと呼んでいたのが「Basongo Meno族とBankutu族」なのか、それとも「Bushongo族とBakongo族」なのかわかりづらい。ここでは文脈から前者と判断した)
以上のように、手投げナイフ型の貨幣は、本物の手投げナイフから発生したものだと考察されている。
そして、そうした鉄製貨幣の中に、ウォシェレが紹介されているのである。
例によってフランス語なので和訳に自信がない。が、だいたいの意味は読み取れよう。
本書でウォシェレが言及されているのはこの二か所のみである。一つは単純な外形のスケッチと解説。一つはBankutu族とBasongo Meno族の間で流通している通貨の名前の一つ、として。
ここから、ウォシェレはBankutu族とBasongo Meno族が用いていた(そして文脈からBankutu族が作成した)通貨だと読み取れる。より詳細についてはわからないが、ここからは別の資料も見ていくことにしよう。
〇閑話休題:シャンバ・ボロンゴンゴ王
次にいく前に、本書にちょっと面白い記述があったので紹介したい。
Bushongo族の手投げナイフであるShongoが当時すでに廃れていたことは先に書いたとおりだが、どうもそのきっかけになったのがBushongo族の伝説的な王、 Shamba Bolongongo(17世紀頃)にあるようだ。
彼は若い頃に部族の外の世界をまわり見聞を広め、即位後は人道上の理由で、兵士の武器のうち投げ槍や弓矢、そして手投げナイフのShongoの使用をやめさせ、(投擲しない)ナイフだけにしたという。(禁止されたのは投擲武器ばかりであり、「罪なき人間を誤って殺すことがないように」という禁止理由によるものだろう)
これでは軍が弱体化しそうなものだが、当時はBushongo族(クバ王国)の最盛期であり、その威信は影響下にある諸族にも広まっていたらしい。丸腰であっても「私はBushongo(人)だ」と言うだけで襲われずにすんだ、というから凄まじい。また、それでもBushongo人が殺害された時にはShamba王が軍を率いて殺害側の村を攻め、農場や家屋を破壊したものの「男も女も子供も死なせてはならぬ。彼らは皆Chembe(神)の被造物、生きる権利をもっている」として死者は出さず、服従と賠償金と人質を出させるにとどまったという。
このように人道的で平和的な王であり、その尊敬は歴代王の中でも最も大きいものだったようである。
もっとも、本書ではShongoを廃止した理由として「(シャカ・ズールーのような)白兵戦をさせるためか」や「森の国ではこのような(投擲)武器は役に立たなかったからでは」とも考察している。それはそれで単なる理想主義者ではない、ちゃんとした合理性をもった王だったのかもしれない。
(以上p.25より)
Shamba王の業績についてはかなり端折ったので、興味がある方はぜひ原文を読んでもらいたい。(私の誤読が判明するかもしれないので)
●貨幣レート
次に見るのは同じくTordayとJoyceの『Notes ethnographiques sur des Populations habitant les bassins du Kasai et du Kwango oriental : 1. Peuplades de la forêt. -2. Peuplades des prairies.』(1922年)である。「カサイおよびクワンゴ東部の盆地に居住する住民の民族誌的記録:1.森林居住者 2.草原居住者」になるだろうか。
本書ではウォシェレの価値について、Bankutu族での通貨比較表が掲載されているので、それを引用しよう。
「女性一人」ってなんじゃい、と思うかもしれないが、他の箇所を読むかぎり、これはどうも結婚に際しての女性家族に対する結婚持参金ではないかと思われる。
(※正確には、女性一人という労働力を失うことに対する補填金になるらしい)
ここではBankutu族での通貨レートを扱っているが、ウォシェレ1つの価値は、おおむね奴隷5人分、結婚持参金の半分、と考えることができるだろう。
(※通貨のうちAchoaだけ詳細不明。これのみ写真が掲載されておらず、またWeb検索でも引っかからない。現在では名前が違う?)
●飛ばしてみた
今度は同じ1922年の、『CONGO:revue générale de la Colonie belge( Algemeen tijdschrift van de Belgische Kolonje)』(p.181)収録の、J. Maesによる『Armes de jet des populations du Congo Belge』(ベルギー領コンゴの住民の投擲武器)を見てみよう。
ここではベルギーのコンゴ博物館に収蔵されているものを中心に、アフリカの手投げナイフについて記しているが、後半で異常な形態のナイフを4例あげている。その4例目がウォシェレについてである。
ここではウォシェレの具体的な数値が記されている。標本ごとに差はあれど、大きさは60~75cm、柄部分の幅は4~6cm、三つのブレードはおよそ幅28cm。
あらためて数字で見ると、手で投げられるとは思えないほどデカい。こんなもん片手で持てたとして、狙って投げられるものだろうか。
ところがどうも実際に投げて確かめたらしい。
大きさはともかく厚さはそれほどでもないようで、5メートルは(不安定に)飛んだらしい。そしてちょっとした障害物にぶつかっただけで簡単に丸まってしまったとか。所蔵品ぶっ壊してないかそれ?
この記録結果を見るに、ウォシェレはとても武器として使えたとは考えられない。Maesは他の手投げナイフの投擲記録も記載しているが、最大射程100メートル、精度良好射程40~50メートル、ほか短くとも15メートルなどの数字が見える。ウォシェレの5メートルはとても使えたもんじゃないし、当たったらこっちが負けてしまうものは武器とは言えんだろう。
ちなみに、本書ではウォシェレについて「Bankutu族の中でも高貴で年老いた名士である「Kolomo」だけが、ウォシェレを身に着ける権利を有していた。Kolomoは協議や式典に立ち会うたびにこれを着用し、この地域全体でウォシェレは威厳と権威の象徴と見なされていた」とも書いている(p.191)
ただしこの記述には「DubreucqとNicoleの情報によって確認された、私の個人的な所見によれば」という出だしがついており、この風習を著者Maesが直接確認したのかどうか不明瞭である。後世の資料でもこの記述はあまり引用されていないように思え、これを信用すべきか否か自分にはわからない。
●希少性?
次は1949年のAlison Hingston Quigginによる『A Survey Of Primitive Money - The Beginning Of Currency』(原始的な貨幣の調査。通貨のはじまり)を見てみよう。
本書のウォシェレに関する記述はTordayを引用しており、ほぼ踏襲ではあるが、その中にTordayによる『Causeries congolaises』という1925年の書籍名が見られる。以下はその部分。
手投げナイフは、他の品物に加工するための素材として用いられたらしく、ゆえに現存するものには百倍もの付加価値がつくほど希少性があったのだという。(そんなものをMaesは投げてみたのか)
ところがである。『Causeries congolaises』の中身は直接確認できなかったものの、Google Booksのスニペット表示を根性出して覗き見たかぎり、引用元とされるページに書かれていたのはTordayによる「」部分のみであり、この希少性云々については書かれていなかった。
Quigginはどこからこの希少性に関する記述を持って来たのだろう? 次の資料と共にそれを考察してみたい。
●希少性? その2
次は年代を飛んで2011年のCharles Opitzによる『Odd & Curious And Traditional Money』を見る。
これは世界の様々な通貨を膨大な写真つきで逐一解説している。その中のウォシェレの項目を引用してみよう。
Wudjweとは、Tordayらが記したBudjuと同じもののことだろう。(おそらくSpring(1993)の表記から引用?)
ここで気になるのは「通常使用するには一個丸々だと高すぎたので、小さな断片に分割されていた」という記述である。
参照に挙げられている文献のうち、Christopher Springの『African Arms And Armour』(1993)と、上述のQuiggin(1949)には、このような記述は見つけられなかった。となると残るRoberto Ballariniの『Armi bianche dell'Africa nera: Black Africa's traditional arms』(1992)に書かれているのではないかと思われる。
このBallarini(1992)は、中身を直接確認することはできなかった。ただ、かろうじてGoogle Booksのスニペット表示があったので根性出して覗いてみたのだが、確かにそこには「通常は使用のため小片に砕かれており、裕福な酋長のみが個人的な宝物庫に無傷のまま保管することができた」と書かれているようである。
ところがBallariniはその段落の引用元をTorday(1922)しか併記していない。Torday(1922)のWosheleに関するページにはこの分割についての記述は見られず、Ballariniがどこからこの情報を得たのかは、ここだけではよくわからない。
しかしTorday(1910)の方には似たような記述が、ウォシェレとは無関係の別のページにある。
ここでは古のshongoが現存していないことについて書かれている。別のページによれば、最後のshongoは調査隊が訪れる以前、19世紀後半まではあったという。
鉄の需要による消失や、大酋長など、QuigginやBallariniの記述によく似たワードが出ているが、それでもこれは鉄製通貨の祖となったShongoについての言及であり、ウォシェレのことではない。はずだ。
とすると。QuigginやBallariniは、Torday(1910)のこのshongoの記述を、ウォシェレと混同してしまったのだろうか。
先のQuiggin(1949)の引用文を見返してもらえればわかるが、実はQuigginはshongoとwosholeを同一のものとして書いている。なのでQuigginはTorday(1910)からウォシェレだけでなくshongoの記述も引用し、合体させてしまった可能性がある。
で、Ballariniであるが、そちらの参考文献リストにはないものの、文中でQuiggin(1949)について言及しているようなのである。するとBallariniがQuigginの混同表記につられて書いてしまった可能性もゼロではなくなってしまう。
そして各書とも引用元が他にないのなら、Torday(1910)⇒Quiggin(1949)⇒Ballarini(1992)⇒Opitz(2011)と引用を続けたことによる伝言ゲーム的な変化が起きたのかもしれない・・・と邪推してしまうが、確証はない。
ともあれ、この希少性に関する記述は、その根拠がどこにあるのか不明瞭なので、取り扱いには注意が必要だと考える。
〇高価の理由考察
ウォシェレの価値が高いのは希少性ゆえ、という説は、上記を見ているとどうにも怪しい(バラバラにしたら全体の財産が激減するだろうし)。ではそれ以外に最高価値になった理由はあるのか? となると、それはそれで根拠がよくわからないのが正直なところだ。
鉄そのものの価値の、何倍もの価値がつくからには、そこには何らかの付加価値があるはずだ。それはなにか。Maesのいう権威の象徴だろうか。
これは個人的な推測も含むが、ウォシェレを鍛造した鍛冶職人の業も、その価値に関係していそうである。ご覧のようにウォシェレは巨大で、複雑で、そして繊細である。三つあるブレードのそれぞれから、細いフィラメント状の突起構造が伸びており、雑に扱えばポッキリ折れてしまいそうだ。
通貨や儀式に用いられる手投げナイフは、往々にして装飾性が強い。作るのが難しければ、その完成品の価値は高くなるだろう。ウォシェレにもそうした技巧的貴重性があったのかもしれない。しかし実際はわからない。
●国立アフリカ美術館
アメリカのスミソニアン博物館群の一つ、国立アフリカ美術館の公式ホームページには、『Blades of Value』のページにウォシェレが掲載されている。
ここでもTordayを引き合いに出しつつ、ウォシェレの特徴的な形の製造方法について簡単に触れている。
いわく、まず三つのブレードをそれぞれ個別に造り、この時点で先細りの突起構造をつける。それから三つを鍛造溶接して、その複雑なシルエットを形成したのだという。
この製造方法については特に出典が明記されていないものの、興味深い記述である。
その他、このページにはアフリカの鉄製貨幣について書かれているので、是非一読をおすすめしたい。
〇日本へ
さて、ここまで長々と主要な海外資料を見てきたわけだが、いずれもウォシェレに関して一貫して述べている。
・Bankutu(Nkutshu)族が作成した。
・手投げナイフ型をした通貨である。
・鉄製通貨のなかでは最高価値である。
まあ身も蓋もないことを言えば、どの資料もだいたいTordayを引用しているので、似たような記述になって当然といえば当然なのだが。
さりとて、ウォシェレが通貨ではない、と否定する資料が皆無なのも確かである。Tordayの考察(Shongoに由来する説など)に肯定的・否定的な文献は多々あれど、いずれもウォシェレが貨幣である点については異論が見られない。
じゃ、どーして本邦ではウォシェレが武器名になってしまっているのか。
そのあたりを見ていく前に正直にぶっちゃけよう。よくわからん。
●武器事典
日本にウォシェレを最初に紹介したのが誰だったのかは不明瞭である。
しかし一般に広めた本というと、恐らくコレが影響力の強かった書籍の中の一冊ではないかと思われる。
1996年の市川定春による『武器事典』(新紀元社)である。
ここに該当箇所を引用しよう。
中略した部分も含めて、貨幣や通貨といった言葉は用いられていない。
しかし全体の記述は(「戦士のあかし」という部分以外は)これまで見てきた資料とさほど乖離していない。挿絵に描かれているのもウォシェレの標本の姿そのものである。
(なお14?世紀という表記については、中略部分にて旧コンゴ王国に触れていることから、そこから推測した年代であって特に何かしらの資料に基づいてはいないのでは、と自分には思われる)
となるとこの記述は一体どこから来たのだろう。
巻末の参考文献を見るに、アフリカの武器に関係しそうな書籍は、マール社の『武器』(1982)、C. Springの『African Arms & Armor』(1993)、H. J. Fisherの『The Cambridge History of Africa(1~4)』(1975)あたり。
このうち、ウォシェレの記述の大元になったのは、Christpher Springの『African Arms & Armor』と思われる。
これは直接中身を確認できなかった。ただGoogle Booksのスニペット表示を根性出して覗き見たところ、p.82に、ルケニエ川とサンクル川、Nkutshu族のスペル表記、など、市川(1996)版と共通した部分があることがわかった。同ページはウォシェレについて触れており、TordayやMaesの記述を引用しつつ批判も加えている。ただし大きさは3フィート(約90cm)、重量記載なしと、市川版のそれとは異なる。
では、このSpring(1993)版がウォシェレを武器扱いした元凶なのか。というと、これもどうも変である。覗き見るかぎり、同ページにはTordayによる通貨としてのウォシェレの記述が引用されている。本文検索では「Currency blade , woshele , of the Nkutshu people」(Nkutshu人の通貨の刃、ウォシェレ)という、恐らく図表の説明文らしき文字列も出てくる。
もしこれらの記述が記載されていたならば、市川氏はそうした通貨要素を無視したことになる。というかそもそも、ウォシェレを通貨ではなく武器と見なしていなければ『武器事典』という本のラインナップに採用しないだろう。
だがその理由はなんなのか、という点がいまいち判然としない。Spring(1993)版の批判部分はTordayもMaesも否定しているように取れなくもないし、そのせいで通貨要素をバッサリ切り捨てたのかもしれない。あるいは他の参考文献を基にしているのかもしれない。しかし全ては憶測にすぎず、現時点ではこれ以上判断できる材料はない。
〇日本での受容
市川氏の『武器事典』は、膨大な数の武器を掲載した大書である。当時の人々が参考文献として大いに活用したであろうことは想像に難くないし、そこでウォシェレを武器として受容していった可能性も低くはないだろう。
しかし市川版のウォシェレはまだ原型を留めているほうだった。
この後、どういうわけか日本でのウォシェレという名前は、アフリカの投げナイフ(ばくぜんとした概念)を指す呼称の一つとして用いられるようになる。
ためしに日本語で「ウォシェレ」と画像検索してみよう。冒頭の動画にあげた本来のウォシェレとは異なる、まったく別のアフリカ投げナイフが出てくるだろう。
なんでこんなことになっているのか、皆目わからない。2009年頃には存在が確認できる武器系wikiのウォシェレのページには、市川版から引用したとわかる解説文に、市川版の挿絵とは全然違うナイフの画像が掲載されているが、これが元凶の一つだったりするのだろうか。(そのくせ市川版を参考資料に挙げているのはどういうことなんだ)
個人サイトや個人SNSでの誤解ならまだしも、出版物にすら全然違うナイフのイラストがウォシェレの名前で掲載されているのを見つけた時には、もうどうなってんだコレと天を仰いだ。
検索に出てくる絶対数は少ないものの、日本での認識が変な方向にいっちゃってる感じがする。どうして・・・。
●鳥の頭
話がここで終わるなら、「海外の資料と比べて日本での受容なんかおかしいね」でいちおう事は済んだのだが、今回のまとめ作成のための再確認中に新しい情報が出てきた。ので、それも記載せねばなるまい。
1990年、Jan M. J. Vansinaの『Paths in the rainforests』には、次のようなことが書かれている。
ここで語られているのは、現在のガボン共和国周辺に住むコタ族やファン族などが用いたというサイチョウの頭型のナイフのことであろう。Ivindo渓谷とはガボン北東部に流れるイヴィンド川と思われる。
このナイフは、日本では「オンジル」という名前で知る人もいるだろう。Perrois Louisの『Art ancestral du Gabon』(1985)によると、ファン族ではオンジル(onzil)、コタ族ではOseleあるいはMuseleという呼称だという。
形態はまるで異なるが、コタ族でのその名前(osele)はウォシェレ(woshele)と似通っている。
ここで一つの懸念が生まれる。すなわち、ウォシェレとは手投げナイフ一般を指す言葉なのか? ということだ。
これまで様々な資料を見て来たが、結局ウォシェレという名前が、本来なにを意味する言葉だったのか、いずれにも書かれていなかった。ひょっとすると、これは「手投げナイフ」を指す言葉であり、日本での使われ方は、そう間違ったものではなかったりするのだろうか?
はっきり言って、それは杞憂だろう。仮にそうだったとして、「Nkutshu族が作った」といった市川版を踏襲する説明が付随すれば、それはTordayらが書いてきた通貨としてのウォシェレを指すべきであって、その他の投げナイフに用いるのは不適当であるはずだ。
とはいえ、一概に日本での記述をバッサリ斬り捨てることもできなくなった。こうなるともう、それぞれの日本語資料の著者にインタビューでもしないと、その真意はわからんだろう。
ただ。本書はあくまで「よく似ているが同じではない名前、まったく似ていない形状」の事例なので、実はそこまで深刻に考えなくて良い気もする。他人の空似未満の話とでもいえよう。
本当に頭を抱えたのは次である。
●急に出てくるアザンデ
最後に爆弾を一つ。
今回の調査を締めようとした矢先に見つかったのが、1983年のManfred A. Zirngiblによる『Seltene Afrikanische Kurzwaffen (Rare African short weapons)』である。
これもGoogle Booksのスニペット表示や、これを引用しているWebサイトから中身を覗き見たものなのだが、ここではアザンデ(ザンデ族)の手投げナイフの呼称として、「pingha」と並んでウォシェレ(woshele)を挙げているようなのだ。
アフリカ各地の手投げナイフとされたものは、現在ではその多くが実際に投げるためのものではなく、通貨や儀式に用いられたものだと認知されている。その中にあって、ザンデ族は実戦で用いたことが幾つかの資料で記されている。
今回提示した資料でいえば、Maes(1922)では「我々(ヨーロッパ人)がやってくるまで、アザンデの主力の戦争武器は投げナイフであり、侵略先の部族との戦いで優位に立てたのは、この武器を使用したことにあると、私には疑いの余地なく思える」(p.182)とあり、Quiggin(1949)では「開けた平原に沿って渦巻く(?)スーダンにおいて、ザンデ族のピンガは有用かつ野蛮な武器です(In the Sudan, whirled along the open plains, the Zande pinga is a useful and barbarous weapon.)」とある。
また『Swords and Hilt Weapons』(1996年版)でのChristopher Springによる「15 AFRICAN HILT WEAPONS」には次のように書かれている。
このようにピンガ(pingha)またはクピンガ(Kpinga)は、ザンデ族が用いた手投げナイフのことである。
のだが、どうしたわけかZirngiblはこれの呼称欄にpinghaと並んでwosheleを併記している。説明もなく。
なぜそう書いたのかはわからない。確かにクピンガとウォシェレは、形状としては三枚刃で近いといえばやや近いデザインをしている。しかしそれ以外の特徴はまるで違う。使用する民族も地域も、アフリカ全体からすれば近いほうだが、それでも1000km以上距離がある。
この記述が何らかの根拠あってのことなのか、単なる誤記なのかはわからない。なんにせよ、1983年に図表つきでこのような記載がされたことは事実である。軽く検索した限りでは、クピンガとウォシェレの同一視は、幸い(?)さほどヒットしないし、本書以外の引用元も出てこないので、やはり誤記なのではと思う。しかしこうした書籍がなんらかのかたちで日本に影響を与えた可能性は否定できない。ひょっとすると本邦での混乱の原因の一端だったりするのだろうか。
(実は先に挙げたOpitz(2011)の引用部分をよく見ると、ウォシェレを使用する部族名の中にZandeの名前がある。参考文献には本書も記されており、Opitzが影響を受けた可能性が高くなっている)
たったの一単語でありながら、厄介な悩みをもたらしてくる爆弾である。
●まとめ
時系列順にすると。
1907年:Torday率いる調査隊がベルギー領コンゴに向けて出発。
1909年:Tordayら帰国。
1910年:Torday & Joyce『Notes ethnographiques sur les peuples communément appelés Bakuba, ainsi que sur les peuplades apparentées, les Bushongo』
1922年:Torday & Joyce『Notes ethnographiques sur des Populations habitant les bassins du Kasai et du Kwango oriental』
1922年:J. Maes『Armes de jet des populations du Congo Belge』
1949年:Quiggin『A Survey Of Primitive Money - The Beginning Of Currency』
(他、おおむねTordayやMaesらの著作から引用した資料多数)
1983年: Zirngibl『Seltene Afrikanische Kurzwaffen (Rare African short weapons)』
(なぜかクピンガの呼称にwosheleを併記)
1990年: J. Vansina『Paths in the rainforests』
(コタ族の鳥型ナイフに対する呼称osele等への言及)
1996年:市川定春『武器事典』
(武器扱いであり、通貨の記述なし)
といった感じになる。(Tordayからの引用のみ本の大半は省略)
20世紀前半はTordayらの著作を基にした資料が続くのだが、近年のそれほど学術的ではない方面(概説本やオークション本やWebサイト)で急に混同や混乱が出てくる印象である。
これはウォシェレに限ったことではなく、たとえば上述したザンデ族のクピンガが、TV番組『Forged in Fire』でまったく違う投げナイフの名前として出ていたりする。(こちらはダイヤグラムグループの『武器』(1980)でブワカ族の投げナイフとして掲載されていたデザインに非常に近い)
どうも国内外を問わず、アフリカの手投げナイフとされるものに対して、ちょいちょい混乱が見られる。
とはいえ、絶対的に正しい呼称と形態が紐づいているのか、というのも難しい。
これら手投げナイフが通貨として用いられるからには、流通によって遠くへ運ばれることもある、という点が厄介になってくる。つまり「作る部族」と「使う部族」が違うわけだ。これはTorday(1910)の時点で「(鉄製貨幣を)Bankutu族が作りBasongo Meno族も使う」という例が示されている。
また中央アフリカはコンゴ川の流域範囲が広大であり、河川流通を用いれば、物品の到達可能距離は飛躍的に伸びる。
実際、M. L. Felixの『Kipinga: Throwing-blades of Central Africa』(1991)に付録されている手投げナイフの分布地図を見れば、見事に河川毎にその特徴が分化しているのがわかり、伝播における河川の影響が見て取れる。
人から人へ渡っていった投げナイフが、遠く離れた土地にたどり着き、その地域特有の呼称で呼ばれたとする。するとそれの名前はどっちだろう? 造られた地域での呼称か? 流通している地域での呼称か?
この点が資料群からはわからない。ここまで読んで気づいた方もいるかもしれないが、今回紹介した資料はほとんどが欧米人による記録・記載である。現地人視点での考察は今回見つけられなかった。ウォシェレが本来どういう意味の言葉なのかもわからずじまいである。
物体としてのウォシェレと、呼称としてのウォシェレは、はたして完全に一致しているのだろうか。
いずれにせよ、標本を採取する際に、そうした呼称の混乱・混同が生じてもおかしくはない。そしてそれが書物に反映されてしまい、遠く日本へ伝わってしまう可能性も・・・。
個人的な感想を言えば、ウォシェレについての一次資料的記録・記述は、Tordayとそれを引用した資料以外に見つからない。であれば、最低限確かだと言えるのはその範囲(Nkutsu族が作った最高価値をもつ鉄製貨幣)のみである。それ以外の推測と可能性は結局憶測にすぎない。Zirngibl(1983)という例外についても、それを何から引用しているのか不明な以上、現状これを正しい情報として信じるわけにはいかない。
無論、きちんとした新資料が出てくればこの限りではない。だがそれが探しても出てこないのだからしょうがない。結局いつも私が頭を抱えながら言っている呻き声に尽きる。すなわち「出典を書け!」だ。
●おわり
以上。
今回は5年くらい前に一度調べたことを、まとめなおそうとした・・・ら、予想以上に追加情報が出て来て沼に沈められそうになった。
あまりに長くなったため、ウォシェレにまつわる歴史的背景の説明を省く羽目になってしまった。アフリカの鉄製貨幣と流通や経済や鍛冶技術とヨーロッパとの関係なども紹介したかったのだが、無念である。
それらについては、国立アフリカ美術館公式サイトの『Blades of Value』のページや、Chris Evans, Göran Rydénの『‘Voyage Iron’: An Atlantic Slave Trade Currency, its European Origins, and West African Impact』などに書かれているので、興味のある方はそちらを是非お読みいただきたい。
最後に、検索中に見つけたメキシコの新聞『El Nayar』1965年6月5日に、ユーモアのある一文があったので、それを紹介して終わりとしよう。
──参考文献──
全てを確認できたわけではないので興味がある人は読んでみてください。そして本記事へのツッコミをお待ちしています。
Torday& Joyce『Notes ethnographiques sur les peuples communément appelés Bakuba, ainsi que sur les peuplades apparentées, les Bushongo』1910
Torday & Joyce『Notes ethnographiques sur des Populations habitant les bassins du Kasai et du Kwango oriental : 1. Peuplades de la forêt. -2. Peuplades des prairies』1922
J. Maes『Armes de jet des populations du Congo Belge』(『Congo : revue générale de la Colonie belge = Congo : Algemeen tiidschrift van de Belgische Kolonje』収録)1922
Torday 『Causeries congolaises』1925
A. H. Quiggin『A Survey Of Primitive Money - The Beginning Of Currency』1949
ダイヤグラムグループ『武器』1982 マール社(1980版の邦訳)
P. Louis『Art ancestral du Gabon』1985
C. Spring, M. D. Coe『Swords and Hilt Weapons』1989, 1993, 1996
M. L. Felix『Kipinga: Throwing-blades of Central Africa』1991
R. Ballarini, P. G. Cerrini『Armi bianche dell'Africa nera』1992
C. Spring『African Arms & Armor』1993
C. Opitz『Odd & Curious And Traditional Money』2011
M. A. Zirngibl『Seltene Afrikanische Kurzwaffen (Rare African short weapons)』1983
J. Vansina『Paths in the rainforests』1990
市川定春『武器事典』1996
──以下、今回の引用等に不使用のもの──
P. O. SIGLER『The Primitive Money of Africa』(『The Numismatist』1953収録)1953
P. R. McNaughton『The Throwing Knife in African History』1970
B. W. Blackmun『Blades of Beauty and Death: African Art Forged in Metal』1990
C. E. Kriger『Pride of Men: Ironworking in 19th Century West Central Africa』1999
E. Bassani, M. Bockemühl, P. R. McNaughton『The Power of Form: African Art from the Horstmann Collection』2002
『African Art à Prestigious Swiss Collectio』2020