【アルスター物語群】Luaineへの求婚とAthirneの死【和訳】
ディアドラにおけるマナナン要素
アイルランドの三大悲話(物語の三つの悲しみ)の一つ『ウシュネの子らの最期』は、ヒロイン・ディアドラ(デアドラ)とその思い人ノイシュ(ナイシ、ネーシ)の悲恋を描いた物語である。
これは「ディアドラ」伝承の一形態であり、この二人の物語には様々なバリエーションが存在する。
佐野哲郎氏の『デアドラの物語 : アイルランド伝説の一側面』(1977)いわく、「ディアドラ」の物語としては『ウシュネの子らの放浪((Longas mac nUislenn)』が八~九世紀頃、『ウシュネの子らの最期』は十五世紀頃のものらしい。(p.3)
それぞれの物語におけるノイシュの最期は『~放浪』が「槍で身体を貫かれる」、『~最期』が「捕らえられて兄弟と共に首を刎ねられる」となっている。前者はあまりにも無情な死であり、後者はそこがクライマックスというのもあってか言及も充実している。
さて、『ウシュネの子らの最期』の、ノイシュを含めたウシュネの三兄弟が処刑される場面において、唐突に登場するマナナンの剣がある。
「マナナンみずからノイシュに与えた切れ味抜群の剣」らしい。
この剣がいつ、どうやってノイシュに与えられたかの説明はない。というかマナナンの名前が出てくるのもここが最初で最後のようである。
もっとも、マナナンはドラえもんのごとく、物語に必要な魔法ひみつ道具を提供してくれるデウスエクスマキナ(=ご都合主義)的な扱われ方をされる時もあるので、単なる「すごい剣」に箔をつけるためだけのマナナン形容詞的な働きをしているだけかもしれないが。
とはいえ、ノイシュとマナナンに「みずから渡した」と言えるだけの関係性が本当にあったのかどうかは気になるところ。しかしディアドラ本編にそのような記述は見当たらない。
近代の作家による作品には入手場面を描いたものもあるが、中には「ある夜、ノイシュが目覚めると天幕の外の草地に月光のごとく輝く剣が突き刺さっていた(※要約)」(Robert Dwyer Joyceの『Deirdré』(1876)p.107)という、雑にも程があるし、手渡しですらない作品もある(ただしこの作中では手渡し言及がないので一応整合性はとれている)
できれば一次資料でノイシュとマナナンの関係性について言及した資料が欲しい・・・。と思っていたところ、O’Curryが『the Atlantis』第三巻で『ウシュネの子らの最期』を取り扱った際に、その後日譚にあたる物語について言及しており、そこにマナナンの名が出てくることがわかった。
ようやく本題に入ろう。今回掲載する和訳は、このディアドラ後日譚とされる『THE WOOING OF LUAINE AND DEATH OF ATHIRNE(Luaineへの求婚とAthirneの死)』である。
■概要
この話の前に、『ディアドラ』のあらすじも書いたほうが良いだろう。
アルスターの王コンホヴァルの妻となるべく育てられたディアドラであったが、ウシュネの息子ノイシュを思い人として選び、ノイシュとその兄弟二人(と家臣ら)と共にアイルランドを出奔し、アルバ(スコットランド)へ逃亡する。
やがて家臣から諫められたコンホヴァル王はディアドラとノイシュら三兄弟を許し、帰国をすすめるが、これは罠であった。
帰還したノイシュら三兄弟は死に、ディアドラはその哀しみのうちに亡くなる。
(ちなみに、彼らを故郷まで護送するも、同じく罠にはめられて護衛を完遂できなかったフェルグスが、このことでアルスターを見限りコナハト側について、後日『クアルンゲの牛追い』でクーフーリンらと敵対することになる)
以上が「ディアドラ」のあらましである。バージョンによって細部は異なるが、だいたいこんな流れになる。
その後日談となるのが「Luaineへの求婚とAthirneの死」なのだが、こちらのあらすじは以下。
コンホヴァル王はディアドラの死によって悲しみに沈んでしまった。
これをみたアルスターの英傑たちは、新たな妻を娶ることを勧める。
そこで白羽の矢が立ったのがLuaineという娘であった。
娘の父親も承諾し、王と彼女は婚約する。
しかし王の詩人Athirneとその息子たちが彼女に横恋慕し、Luaineから拒絶されると風刺によって彼女を辱め、その不名誉と恥辱のあまり彼女は死んでしまった。
Luaineの死により、コンホヴァル王とアルスターの英傑たちはAthirneへの報復を決め、詩人とその一族を滅ぼした。
話の本筋はこのような流れだが、肝心のマナナンについては余談パートにて登場している。
■出典
今回の和訳に使用したテクストは、1903年の『Revue celtique 24』に掲載された、Whitley Stokesによる英訳である。
さらにその底本については、「14世紀頃に書かれた『Lecanの黄書』と『Ballymoteの書』から引用している」(p.270)とされている。
なおStokesは物語中に挿入される詩を大胆に省略しているため、その部分については和訳できていない。(「96行ぶん省きました」とかしれっと書いているし、そのうち省略した行数や省略したこと自体についてもだんだん書かなくなっていく)
■和訳
『Revue celtique』 vol.24(1903)pp.270–287
Whitley Stokesによる英訳からの重訳。
Conchobar :アルスター王
Luaine:Conchobar王の新たな妻として見出された娘
Athirne:宮廷詩人
Domanchen:Luaineの父親
Bé-guba:Luaineの母親
Derdriu:Conchobar王の妻となるべく育てられた娘。故人
Náisi:Derdriuの思い人。故人
AnnliとArdan:Náisiの弟二人。故人
Manannán:マン島と島々の王
Gaiar:NáisiとDerdriuの息子
THE WOOING OF LUAINE AND THE DEATH OF ATHIRNE
「Luaineへの求婚とAthirneの死」
(※和訳注
Clothru:Medbの姉妹
Sadb:『ブリクリウの饗宴』でコナル・ケルナッハの傍にいった王女
Emer:クーフーリンの妻
Medb:ご存知コナハト女王
Mugaine:コンホヴァルの妃ムーアンだと思われる。この物語において彼女がどうなっているのかは不明だが、ディアドラの後日譚にあたることから、かなり前から不在なのだろうか)
※和訳注:ゲール文字原文にはラテン語文部分があるのだが英訳されていない。
英文の末尾のあたりからラテン語訳を諦めているのかもしれず、dea en以降の和訳は不可能の可能性がある。
また、ゲール文字原文では≪son of the sea≫の部分は「mac lir」である。
(和訳注:ここで省略されている詩は、O’Curryが『the Atlantis』第三巻で転写と英訳を掲載している。後述の解説を参照)
※和訳注:
Gaiarの父ノイシュの代償は支払われたが、その弟二人の死については和訳に不安がある。
英訳の「 and the two others, Annli and Ardan, were left against Conchobar's honour.」をそのまま訳せば「後の二人、AnnliとArdanは、Conchobarの名誉に反して残された」となり、ノイシュの死の代償は支払われたが、その弟二人の死については王の不名誉としてそのままになった、といった感じになるか?
「left」の解釈に迷いがあり、これが「名誉に反して残された(不名誉になった)」なのか「名誉に対して解放された(不名誉ではなくなった)」なのかで意味が180度変わってくる。
状況的に、弟二人分の代償を支払っていないのであれば、不名誉な状態はそのままとなるのが自然に思える。
しかし省略された詩と比較すると、それでもなお判断に迷う。後述の解説を参照。
※和訳注:「glám dicinn」とは風刺による呪いのようなものと思われるのだが、いまいちどういったものか調べきれていないため、詳細は不明。
eDILによれば「glám」が風刺の意。「dicinn(dícenn)」は終わりや最終的といった意。「glám dicinn(dícenn)」で「即興の風刺」の意になるらしい。また「韻律の呪い(悪口)の一種。風刺された者の顔に傷や水ぶくれができると信じられていた」とある。
※和訳注:
コナル・ケルナッハ:いわゆる勝利のコナル
クーフーリン:ご存知アルスターの大英雄
ケルトハル:槍ルインの持ち主
ブライ・ブルガイド:ブライ・ブリウグ(Blaí Briugu)と思われる。ホステルの持ち主であり、ゲッシュの関係でケルトハルに殺害される。
ドゥルタハトの子イーガン:ノイシュ兄弟にとどめを刺したやつ
カスバド:ドルイド僧。ディアドラの誕生に関わった人。
センハ:裁判官かつ詩人? ドルイド?
※和訳注:Causcraidは、「Corpus of Electronic Texts Edition」の「The Long Warning of Sultaim(Táin Bó Cúalnge from the Book of Leinster)」によるとコンホヴァルの息子のようである。
ゲール文字原文では「Cumscraig costadach」となっているが、「costadach(costudach?)」は管理人や近衛などの意らしい。(英訳のcustodianは「管理人、守衛、保護者」) 王子であるからには何らかの役職に関するものだろうか? 判然としないためここでは広く意味がとれる「守護者」とした。
■要約
コンホヴァル王「ディアドラが死んで悲しい」
アルスターの英雄たち「新しい奥さん探しましょうよ」
コンホヴァル王「そうする」
女使者「ぴったりの娘さんが見つかりました」
父親の承諾も得て、二人は婚約する。
マナナン「こんな時になんだが、ノイシュとディアドラの仇討ちに来ました。自分、彼らの子どもらの養父なもので」
アルスターは大艦隊に略奪されるが、なんやかんやあって和平。
一方その頃、王の詩人が娘に横恋慕する。
詩人とその息子たち「一緒になってくれなければ風刺の呪いをかける!」
娘「私は王の妻となるのです。お断りします」
詩人が風刺で娘の顔に三つの出来物をつくり、その恥辱のあまり娘は亡くなる。
娘の死を知るコンホヴァル王とアルスターの英雄たち。
コンホヴァル王「どうする」
アルスターの英雄たち「処しましょう」
詩人は一族もろとも滅ぼされる。
■解説(と感想と覚え書き)
英訳にはたびたび「magnates of Ulster」(アルスターの大物たち)という表記が登場するが、途中で列挙される名前を見ると、「magnate」は貴族(諸侯)的な意味というより、有名な戦士や英雄たちを指しているようである。そのため、ここでは「アルスターの英傑たち」と訳した。
この物語では、ノイシュとディアドラの間に息子と娘がいたことになっている。彼らの逃避行のうちアルバ(スコットランド)滞在が16年とされているので、さして不自然な設定ではない?
「ディアドラ」では完全に悪役だったコンホヴァル王が、この話では開幕早々ディアドラの死で哀しみに沈んでいるのだが、どう見ても「だいたいおまえのせいやろが!!」という感が否めない。
ただまあ、王にしてみれば「不吉な予言のせいで殺されそうな赤子(ディアドラ)を、自分の妻にするという名目で助けたのに、若武者と駆け落ちされた」という面目丸つぶれ案件なので、その点は哀れである。
というかコンホヴァル王、王妃ムーアンもディアドラも、そしてこの話のLuaineも、いずれも間男のせいで失うというエピソードが付きまとっている。しかもLuaineの場合、彼女本人は王を裏切っていないのに、である。三度もこのような目に遭うコンホヴァル王、マジで女運(と間男運?)が無さすぎでは。
この物語には他のエピソードでも活躍する英雄たちが多数登場するが、その中でフェルグスとドゥブタハは登場せず、アルスターと敵対中であることが語られている。彼らがアルスターから去る経緯となった「ディアドラ」の後日譚というだけあって、そこの時系列がしっかりしているのが興味深い。
「葬送の競技」とは、故人を偲んで行われる競い合いのこと。死者に捧げる運動競技といったところであろうか。しかし具体的にどのようなことを行ったのかは本文中に言及がないので不明瞭である。逆に言えばわざわざ書くほどでもない、よく知られた風習だったのかもしれない。
宮廷詩人Athirneは他の物語(『The Siege of Howth』など)にも登場する人物であり、いろいろと悪名高かったようである。そうした話では彼の要求がどんなに無茶苦茶でも大抵は受け入れられており、アイルランドにおける詩人の力(と畏怖)がどれだけ強かったか、垣間見えるようである。そんな彼も今回ばかりは遂に一族郎党もろとも滅びるわけだが。
それでもその(完全に自業自得な)死を悼む詩が最後に挿入されるあたりにもまた、詩人という存在と地位の大きさが感じられる。
●ノイシュの弟たちの死について
マナナンとの和平に出てきた「父ノイシュの代償」というのはエリック(eric)のこと。これは殺人に対する賠償で、加害者が被害者遺族に金銭等を支払うというものである。
前述のように、ノイシュの弟たちの死については「王の不名誉として残された」と解釈した。彼らのエリックを支払っていないなら、その不名誉は据え置きと考えるのが自然であるからだ。
が、省略された詩の中での言及部分を見ると、少し迷いをおぼえる。
これはO'Curryが『the Atlantis』第三巻(1862年)に掲載した(今回の翻訳元でStokesが省略している)詩の、エリックに関する言及部分の原文と英訳である。
ここで迷うのは詩の四行目、弟である『AinléとArdan』が、三行目の『不名誉に対する十分な償い』の「不名誉」と「償い」のどちらにかかっているかである。
「弟二人の死という不名誉に対する、十分な償いとなる」
(ノイシュのエリックを支払えば、その弟二人の死に対しても十分な償いになる)
と
「不名誉に対する、実に十分な償いが弟二人の死である」
(ノイシュのエリックとは別に、弟二人の死は、あなたの不名誉に対する報いとなる)
とでは、正反対の意になってしまう。
詩と文の整合性を取ろうとすると
1:
(詩)「父の死のエリックを支払うことは、『弟二人の死という不名誉』に対する十分な贖いでもある」
(文)「二人の死は王の名誉に反して解放された(不名誉ではなくなった)」
2:
(詩)「父の死のエリックを支払いたまえ。弟二人の死は、不名誉に対する十分な報いとなろう」
(文)「二人の死は王の名誉に反して残された(不名誉となった)」
のいずれかの解釈となる。
恐らく正しくは2であろう。
実はこのO'Curryの英訳には少し意訳気味と思われる部分があり、英文の「dishonour(不名誉)」は原文では「honour」の意ではないかと、自分には思えるのである。
英訳の「dishonour」にゲール文字原文で相当するのが「thenigsiu」だが、この件で助言をいただいたケルト神話翻訳マン氏いわく、
つまり「 honour」を強調した語と考えられ、「dishonour」の意ではない。ゆえにO'Curryの英訳は、原文では「名誉」だったのを「不名誉」とした意訳ではないか、と考える次第である。
(O'Curryは、今回で言えば12節目の「Conchobarの名誉(honour)」という部分についても「Conchobarの不名誉(dishonour)」と英訳しているのだが、ここのゲール文字原文は「enigh Concobair」であり、どう見ても「enigh(名誉)」と書かれている。このためO'Curry教授の英訳は逐語訳ではなく意訳気味に見える)
すると詩の三行目は「あなたの名誉に対する実に十分な報い」となり、そうなるとその「報い」とは四行目の「AinléとArdan(の死)」のことである、と推測される。
(「二人の死」という凶事が「名誉」にかかるのは不自然だろう。よって1の解釈はふさわしくない)
まとめると
「ノイシュの死に対するエリックは息子Gaiarに支払われた。弟二人(の死)は王の名誉に対する十分な報い(報復)となった」
という解釈が妥当のように思われる。
しかし上記の考察が本当に正しいのかは、所詮素人判断による推測のため、いまだ確証を得られていない。
(自分にこういった詩のルールに関する知識や根本的な英語・ゲール語能力が欠けているため、こんなグダグダ長ったらしい考察を必要としたが、そのへん詳しい人がいたらご助言くだされば幸いです)
■マナナンについて
この物語では、マナナンは神格ではなく人間の王として登場している。
ノイシュとディアドラの支援者であり、二人の子どもたちの養父でもある。
この関係だけを見れば「ノイシュが持っていたマナナンの剣とは、彼から贈られたものだろうか」と思うかもしれない。
しかしそう単純な話ではない。いくつか問題がある。
まず、この物語はディアドラ伝承の後日譚ではあるが、マナナン剣が登場する「ウシュネの子らの最期」の成立はこのあと(十五世紀頃)とされている。そこに至るまでにマナナン剣がどの段階で物語に登場するようになったのか、そこが判然としない。
では、この物語の影響でマナナン剣が追加されたのか? という仮説にしても疑問はある。この物語がディアドラから影響を受けているのは確かだが、この物語からディアドラのほうに設定が逆輸入された可能性については何の根拠も資料もなく、思いつきの域を出ない。
また「マナナンの剣」というアイテム自体、特に根拠も理由もなくポっと出てきてもおかしくない存在である。切れ味抜群の名剣、だから魔法の力がある、それこそマナナンあたりの持ち物だったかもしれない、といった無から生じた伝言ゲームの産物の可能性だってあるのだ。
結局のところ「ウシュネの子らの最期」にも、この物語にも、マナナンがいつどうやってノイシュに剣を渡したか言及がない以上、「四番目のマナナン」と、マナナン剣との間を線で繋ぐことはできない。
繋げたくなる誘惑にかられるほど、この物語に登場する四番目のマナナンの設定はマナナン剣の背景としてぴったりなのだが、伝承過程が不明瞭である以上、両者の因果関係は証明できないのだ。
ところで、この物語中ではマナナンは人間となっているが、資料(※)によってはノイシュとディアドラの子らの養父はマナナン・マクリールであるとするものもある。これがこの物語以外の一次資料に基づくのか、それとも孫引きによる誤記なのかは定かではない。
マナナンを神格ではなく人間とするのはエウへメリズム(神格の原型は人間とする説)のようでもあり、そこから逆に「原文では人間扱いでも神格と見なす」といった判断を編者がしているのかもしれない。が、そのあたりまで考慮しだすとキリがないので憶測を述べるのはここいらで止めておこう。
(※)「Deirdre and the Sons of Uisneach; a Scoto-Irish romance of the first century A.D」(1908)
該当記述の出典が書いてないので養父をマナナン・マクリールだとする根拠を検証することができない。またこのパターンかよ。
本書冒頭に「Celtic Review」の記述があるので、この「Luaineへの求婚」から引用している可能性があるが、その場合は明らかに四番目のマナナンという設定を無視してマナナン・マクリールと書いていることになる。
ちなみに、この本では上述のエリックの場面に関して、弟二人の死のエリックは王の不名誉に対して「remaining(残った)」と記述しており、自分が上で述べたのと同じ解釈となっている。
■結論
この「Luaineへの求婚」には四番目のマナナンという、ノイシュとディアドラの支援者で、両者の息子と娘の養父でもある人物は登場するが、それが「ウシュネの子らの最期」に登場するマナナン剣の持ち主であるかどうかは、直接の根拠となる記述がどちらの物語にもないので、今のところ関連性はゼロに近い。と言うべき。
(少なくとも新資料が見つかるまで判断は保留しておいたほうが良いだろう)
■おわり
以上。
今回は、マナナン剣の由来を求める調査の一環で和訳したものを記事として公開しました。結論はなんとも中途半端なものでしたが、まあ欲しい情報がダイレクトに書いてあるほうが稀です。いつものこと。
そうした目的はどうあれ、この物語にも色々と見どころがあります。
「ディアドラ」では悪役だったコンホヴァル王のなんともナイーブな描写。
悲劇に斃れたノイシュとディアドラの物語に反旗をひるがえすかのような、大艦隊による報復と、二人の息子とアルスターとの和平というディアドラ伝承の新たな結末のかたち。
欲深きAthirneの恐るべき詩人の風刺の力と、それを拒絶し命を落とすLuaineの哀しくも気高き姿。
アルスター英雄オールスターでゆく詩人一族焼き討ちエンド。
短い物語ながら、そこに見えてくる人間模様はなんとも興味深いものです。
本記事の紹介で、マナナンがどうとかは別として、この物語を自分以外の人にもお読みいただければ幸いでございます。
※2023/4/27 ノイシュの弟二人のエリックに関する誤訳と誤解釈を修正・追記。
2023/4/29 同上を追記・修正
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?