レンガの塔とこれから

桜も散ってしまった、4月も10日の頃のこと。

人生初の長編小説を完成させて、人生初の公募にチャレンジしました。

提出したのは、第28回電撃小説大賞。ライトノベルを中心としたレーベル「電撃文庫」の新人賞です。そこに、人生で初めて書き上げた11万3千字の長編小説を出しました。

自分の作品を公募に出すのは、小説を書き始めてからの夢でした。「書いてみよう」と最初に思ったのは高校1年か2年の頃だったので、10年弱にもなりますね。

多くの初心者同様、僕も最初は長編からスタートしました。そもそも短編を書く、という発想がなかったような気がします。

ところが、書いてみるとこんなにも難しいのか、と思うようなことばかりで、いくつかの欠片を書いたのちに僕は挫折しました。自分の小説が面白くなるビジョンが、全く見えなかった。

そうしてしばらく、筆を執らずに人生が回って、大学3年の夏。
僕は再び小説を書き始めました。初めて「作品」として書いた「七月七日の小さな奇跡」という中編は、大体四万字くらいだったでしょうか。(カクヨムに投稿しましたが非公開にしています)

知人に見せると約束したために死ぬ気で書いたのですが、書き上げた後、見せたくなさ過ぎて悶絶しました。達成感なんてひとかけらもなくて、ただただ「こんなふうになるはずじゃなかったのに」という理想と現実のギャップが辛かったです。

このときからはっきりとそうでしたが、僕は自他ともに認める理想主義者です。とりわけ小説の文章に関するこだわりには強いものがあり、自分の書いたものも、他人の書いたものも、相当に厳しい目を持って見てしまいます。こういうnoteの適当な文章は気にならないのですが、小説に関しては譲れません。

だって小説を書くとは、一つの世界を作ることと同義だと考えているから。そしてその世界を描写する媒体に何らかの違和感があれば、世界の解像度が下がってしまう。作者ならそこに責任を持てよと、思ってしまうのです。

しかし、大きな口を叩いても、自分の実力は未熟。実力が伴っていないのに高い理想を持っていることは、アマチュア作家として研鑽を積んでいく上で難しいことのほうが多いように思います。

学生時代はとにかくそのギャップに苦しみました。創作はなんでも「とにかく数をこなしてレベルアップする、最初は質より量」ということを言われますが、自分は書くのがとても遅いんですよね。数をこなすのにも、それなりの時間を要する。

「苦労して駄作をたくさん作る」ということになるので、理想が高い自分からすればそれは相当にストレスが溜まることでした。

結局その後の3年半、進んでは立ち止まって、休んで……の繰り返し。

短編を4本書き上げ、長編にトライしてまた挫折し、もう一度別の長編に手をつけ、書きかけた短編〜中編は8本に上りました。めちゃめちゃ迷走しています。

その中でいくつかは手応えのある出来のものもありましたが、あくまで「手応え」止まりで。

そうした理想のなり損ないを、いくつか生んでいるうちに、一つ自分の中で結論が生まれました。

それは、「自分に限っては、量より質を求める方が向いている」ということ。

たとえなかなか進まなくても、何度も書き直すことになっても、納得のいくものをまず一つ作る。

FacebookのCEO、マーク・ザッカーバーグは"Done is better than perfect" (完璧を目指すよりまず終わらせろ) と言いましたが、僕はあえて

「自分にとっての完璧を何より優先しろ」

と提唱していきたい。

2020年4月、社会人になって学生の頃より余裕がでてきた僕は、手をつけていた長編「世界の終わりをきみに捧ぐ(当時のタイトル)」に絞り、執筆活動を進めました。

その後の話は下のnoteにも記載しています。

作品を形作っていく過程では、何度も悩みました。

どうやったら自分の理想を満足させられる文章を書けるのか。

納得いかなくて、書き直して、それを繰り返してばかりで、また過去二回と同じように挫折してしまうのではないか。

今思えば、自分が一番偉かったのは、出口が見えない状況で、全体としての原稿はあまり進んでいない中で、それでも書き続けたことだったと思います。

2020年以前に書いたストックはほぼすべてボツにしましたし、序盤を覚えているだけでも五回は書き直しました。

自分の理想が甘くなったのか、それとも成長したのかはわかりませんが、作品が後半に差し掛かる頃には、書き直す頻度もぐっと減りました。その時その時で自分が及第点を出せる文章が書けるようになってきた。

「2020年創作まとめ」では進捗がよろしくない旨を書きましたが、年末年始とその後の休日はほぼすべて執筆に費やし、2021年4月10日になんとか完成までこぎつけました。

全体推敲の時間はほとんど取れなかったので心残りはあるし、最後の二日間には作品の甘さについてとことん向き合う羽目になったのできつかったですが、それでも人生で初めて長編小説を完成させました。

理想的な作品が書けたのか、ということになると、胸を張ってYESとは言えないです。

短編とちがって、長編では短いセクションの出来が良くても全体としてのバランスや緩急が整っていないことがあります。その視点では、頭から通して読んだとき、この作品はとても自分の満足できるレベルではありません。

ですが、それでも現時点での自分のすべてを詰め込みました。ここから一ヶ月くらいかけて推敲すれば多少マシになるとは思いますが、大きくは変わらないでしょう。

総合評価は、思い入れ補正も含めて70点くらい。

昨年一つだけ書いた中編「群青の夏、命尽きても」には個人的に60点をつけているので、それより少し上です。

多分この感覚は自分にしかわからないと思いますが、これだけ厳しく面倒くさい自分の目をもって70点の長編作品を書き切れた。そして夢だった新人賞に応募できた。

大きなマイルストーンを達成したと思っています。

1次選考の結果は夏。そこで5000作の応募作品が10分の1程度に絞られるのですが、ここに落ちる程度であれば、方向性を見直さないといけないかなと思っています。

が、応募してから1週間が経ったいま、驚くほど結果に対して興味が薄れています。どうせ発表が近くなったらまたそわそわするのですが。

特にこの一年、何をするにも創作のことが頭の片隅にあったので、それがないことに一種の開放感を覚えているのでしょう。

少なくともこの一年で、自分は一つ目標を達成しました。夢を叶えてはいないけれど、それでも先に進みました。
それはいわば、レンガの塔を積み上げるようなものです。いま、ある程度の高さまで積み上がっていて、いったんレンガを持つ手を止めている。

例えばここから僕が何かの作品に触発されて、また書きたいとなれば塔の上にさらにレンガを積むでしょう。公募に落ちてショックを受ければ、塔の基盤をよりしっかりと固めようとするかもしれません。

そして、いまの僕には、創作以外にもやりたいことがある。

別のまっさらな地面に、一からレンガを積んでいくこともできるのです。

どうしていこうか、しばらく考えます。いくつかのプランがあって、それぞれの夢があります。もちろん小説だって、たかが長編を一つ書いた程度のことで何の結果も出せていませんから、続けたいといえば続けたいです。

でも、いまはあえて、広い視野で自分の行き先を見つめ直してみたい。

「自分は書けるのか?」「また挫折するんじゃないか?」「自分の言ったことをまた守れないのか?」

何度も苦しんできたそういう疑念には、今回初めて"No"を突きつけることができたから。

やろうと思えばやれるんだぞと、自分に示すことができたから、少し充電した後で、またどこかに踏み出します。



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