【No.5】得意技3・悲劇のヒロイン
一つ前の記事でも登場した「悲劇のヒロイン」。
自分が中心になれれば「悲劇」を装ってでも注目を浴びようとする。
泣き落としの術
お義父さん亡き後、会社を引き継がざる終えなくなった夫。同時に多額の借金も背負うことに。その詳しい経緯と処理の難しさについて何度説明しても、上手くいかなかったことについて夫を責める。夫が姑と何かしら会話をして帰ってきた時(当時は別居)は必ず、数日後姑から私に電話が入る。当時から、それが嫌で嫌でたまらなかった。その時も例外なくやっぱり姑は話したことすら全く知らない私に電話をかけてきた。第一声「私はどうしてあげたらいいの?」と泣きながら訴えてきた。夫、いろんなことがうまくいかず、3人の子供たちを守れないと軽いうつ状態になってしまった頃やった。
私は、小さい子供3人と、うつ状態になった夫と借金とを抱えている状態だった。夫のうつ病のことは姑の耳に入れると、一番辛い当人の夫を差し置いて泣いて騒いで余計な人に他言する可能性もあったので、敢えて夫を守るために伝えてなかったけど、それも無駄なことやった。うつ病の話をせずとも、何かしらを出汁にした「悲劇のヒロイン劇場」の電話が私の貴重な時間と気力を奪っていった。
姑は「私、不安で寝れないの、ずっと具合悪くて」って40分も電話で泣いた。なんで私があなたを慰めなあかんねん?この貴重な40分も使って。「どうしたらいいの?」って聞くから言うけど、「こういう電話してこないでもらっていいですかね?何も産まない不毛な時間なんで。」って心では言うてたわ。出たよ、悲劇のヒロイン癖。どんな場面も自分を主人公にしたがる。一人でやってくれ。そう思った。誰の何の役にも立たず、具体的で建築的に問題を解決するための話でもなく、なんなら姑の困った電話をどうするかという新たな問題を作ってくれていた。泣きたいのは夫と私やったわ。
自分を殺して生まれる幸せはない
子供3人まだ小さく、私が働きに出るのは現実的でもなく、私がオンラインでできることないかと模索してた頃。子供のお迎えの時間までに集中してやらないと、子供たちが帰宅後はほぼ何もできない生活やったから、その40分がどんなけ貴重やったことか。悲劇のヒロイン演じる姑が奪っていき、エネルギーを吸い取っていった。その日の私の精神と体力は壊滅状態に。お風呂の準備、洗濯物の片付け、晩御飯、寝支度で終わるよね。どうしてくれるん。そのころの自分にこう言いたい。「夫と3人の子供たちを守りたければ、まずは自分を守り自分のエネルギーを満タンにしないと不可能だよ」と。まだ「嫁は耐えるべき」という感覚があった当時の私。自分のことすら助けられてないのに、夫や我が子であっても、どれだけ近しい人であっても、自分がしんどい時に他の誰かを助けることはできない。ましてや、自分のエネルギーを奪っていくような人を優先して、本当に一番大事な存在にエネルギーを使えないって、幸せなわけない。
小さな違和感は無視してはいけない
今思えば、ずいぶん前から姑と嫁いだ夫の実家にはいろんなことが引っかかってた。でも「全く違う家庭に入るのだから、これぐらいあるよね」ぐらいに思ってたし、ここを深掘ると大変なことになると、なんとなく嫌な予感がして、何もなかったことにしてた気が、今になってしてる。でも、どっちみち決裂するんやったら、もっと早く気づけてたらと悔やまれる。これも私がここ何年も静かに耐えて観察してきた中で、辛い思いをしたことで得た学びとささやかな心の成長もあったからとも思ってる。あの頃からもっと自分自身の感覚を信じようとしていれば。もっと深掘りしていれば。もうちょっと早く、問題が大きくなる前に上手にスルーできたんではないかと思う。まぁそれさえも、こうなったから気がつけたことやったけど。自分の小さい違和感。「ん?」ってなったら、一旦何に引っかかったのかは、自分に聞いてみたほうがいいという教訓は得たかな。
1秒たりとも貴重な命の時間
私なら、1番大変なのは息子と嫁だと思うし、親として自分の辛い気持ちがあったとしても、泣き言聞かせるために嫁の大事な40分も奪うことになる電話なんてしない。聞いてもらうなら自分のお友達1人にしておく。やんわり「あなたは働きに出ないの?」と圧をかけるくせに、作業の時間を40分も自分の悲劇のヒロイン劇のために使わせるなんて、嫌がらせでしかない。少なくとも何とかビジネスを軌道に乗せたかったあの頃の私の貴重な時間と精神を持っていかれた。
前から思ってはいたが、姑には他者を尊重するという感覚が欠如している。こんな話を他人の時間を使ってまで聞かせることか?と一切思ったことはないと思う。人の命の時間を使うのだから、意味のある時間に。相手との価値観の共有とか、単純に楽しいの共有とか、辛い心持ちについて聞かせるにしても、当事者ならなおのこと具体的な何かを解決するための「相談」であることが好ましいと思ってる。だから、簡単にくだらない不平不満愚痴悪口に、他人の時間使うなんてもってのほかだと思っている。人の時間を簡単に使わない。それが「尊重」だと思ってる私には、100歩譲っても90%いい話はしない姑との時間は苦痛でしかなかったんよね。姑は、自分の狭い視野と価値観の中でジャッジするから、ほとんどの他人や状況に対して文句が出るのは当たり前って言えば当たり前。他人の在り方に対する陰口なんて、自分とは違うその存在に対する「尊重」が欠落してるからやろうね。自分と全く同じ価値観で動いてる人なんて存在しないからね。そんな人が、他人の「時間」に対する尊重なんてあるわけない。
悲劇のヒロインの本質
悲劇のヒロイン。今すでに持ちえてる「あるもの」すら「ないもの」にすり替え、「尊重」というワードが欠落した辞書を頭にもつ、自分が話題の中心であるために「悲劇」すら作り出し御涙ちょうだいの「同情」すら餌にするとんでもないエネルギー泥棒。うっかり受け流しそうになる程の上手な劇場やけど、実際の本質はそんなところ。違和感の素を深掘った今の私の結論。
まとめ①|悲劇のヒロイン型エネルギー泥棒
人の痛みは軽く聞き流し、自分の辛さだけを主張してくる人
他者の在り方と時間に対する「尊重」が完全に欠落している人
その立場ではないのに、自分を悲劇の中心かのように泣く人
自分の「可哀想話」を作って他者からの「同情」を餌にする人
まとめ②|学び
嫁という立場に対する古臭い固定概念はもういらない
自分がエネルギー満タンじゃないと本当に愛する人たちの力になれない
少しでも感じた「違和感」は最初から信じる
1秒でも「命の時間」。本当にやりたいことだけに時間を使う筋トレ必須
少しでもエネルギーを奪われる人や事は、できるだけ早く離れる対策を
どんな自己犠牲の上にも幸せを生み出すことはできない