最後の王妃救出作戦
1793年10月16日、王妃マリー・アントワネットは断頭台で命を落としました。
その裏で、最後の最後まで王妃を助けようとした人々がおりました。
彼らの物語は、どこか胸に迫るものがあります。
彼らは市井の人たちでした。
もちろん、王妃と近しく会ったことさえなかっただろう人たちです。
首謀したのはかつら師、錠前師、菓子職人などの職人がほとんどで、古着屋やレモネード売り、ワインや食品などの小規模な商人もいました。
そのうちのひとりはカトリーヌ・ウルゴン。通称フルニエおばさんと呼ばれる元レース作りの女工でした。
かつて、劣悪な環境で働かされる女工の多くは、目を悪くすることも多かったといいます。
働かなければ食べられないし、働けば盲てゆくわけです。
フルニエおばさんも盲で、せむしだったと言います。
おそらく女工の職業病だったのでしょう。
恵まれず、搾取されて使い捨てられる、当時としては普通の労働者と言うべき女性です。
フルニエおばさんは、彼らの本営であるワイン商店で気勢をあげます。
商品のワイン瓶を片手に。
おそらく、中身をちょいとひっかけて。
「口先だけのヤツぁいらないんだよ。できるヤツ。腹のすわったヤツだけおいで。あたしらぁ、みんな、シャルロット・コルデーなんだ」
ちなみにシャルロット・コルデーというのは、当時世間を騒がせた暗殺事件の犯人です。
「そうとも、今すぐやろうじゃねえか」
応えたのはルミーユというかつら師です。
「早ぇことしないと、あの方が殺されっちまう」
あの方、すなわちマリー・アントワネットは、この時コンショルジェリーに捕らえられていました。
牢番や使用人たちから聞こえていたらしく、パリの市民の多くはなんとなくコンシェルジェリーの王妃の様子を知っていたようです。
革命裁判の監獄はわりといい加減でしたし、庶民の、特に商人たちの情報収集能力は案外侮れないものですから。
王妃の死刑が計画されていたことが、ことによると彼らに漏れていた可能性は否定しきれないと思います。
裁判前には、死刑ではなく、せいぜい国外追放だろう、という世間の見方に比して。
かつら師たちの危機感は的を得ていました。
そこで、ルミーユと同じくかつら師のバッセが妙案をひねり出します。
「ここいらの街灯を、ぜんぶ昼間っから点けといちゃどうかな」
そうすると、真夜中には油が切れることになります。
街灯の火がいっぺんに消えたところで、夜陰に乗じて押し入り、一挙に王妃を連れ出そうというのです。
これは単純ながら、悪くないアイデアに思えました。
彼ら主要メンバーは皆コンシェルジェリーの近くに住んでいましたから、街灯の管理は自分たちの地区で行っていました。
ですから、実現性はあったのです。
バッセは若干18歳ながら、ひとりで460人近くの仲間をかき集めたというツワモノです。
また、彼らは宿営中の志願兵から1500人もの人数を徴集したといいます。
1500挺のピストルも入手しました。
なかなかの実行力です。
ぼんやりした貴族たちの奪還計画なんかより、よっぽど地に足がついています。
多分に無鉄砲のきらいはありますが、こういう時には手探りでもいいから、突き進むイキオイが大事というもの。
あとは突撃あるのみ(`・ω・´)ノ!です。
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