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『ミイラ 「永遠の生命」を求めて』を観てきました

カトリックの司教はエジプトのミイラに劣る。ミイラは死んでいるからこそいきいきと過去への崇高な思念に耽る。(『眩暈』エリアス・カネッティ)

ちょうど、今読んでいる本だったので引用してみました。
・・・が、そーいうお話ではなくって!

世界のミイラ大集合!!
そう、上野公園が大変なことになっておりますのでございます!

まあ、もう。
こんなにたくさんのミイラをいっぺんに見たのははじめて(。ˇ艸ˇ)です。

なんと申しましても。
今回の『ミイラ展』は、トーハクじゃなくてカハクがやっているのがミソでして。
非破壊検査バンザイな、情報量の多さ、素敵な展示に心拍数があがります。

(↓ポスターも素敵すぎ。夏から楽しみに待ってましたっ↓)

ちなみに、あたくし。
面白すぎて、見に行ったのはこのたび二度目でございます。
情報量が多すぎるのと。
観覧者が多すぎるのと。
あとはやっぱり、なんだかんだ言っても「死体」を見るのって、疲れるんだと思われ。
一度だけでは脳と心の整理がつかなかったので、二度目。
しかしながら、スキあれば、会期中もう一度くらいは見に行きたいところなのでございます。

だって、ミイラったら最強でしょう。

考古学として面白く。
古病理学として面白く。
宗教学、民俗学としても面白く。
かつ、物体としての人体、工芸品としても面白いんですから。
最強です。

個人的には。
ここ数年、話題のヨーロッパ北部の「沼のミイラ」が、やっぱり一番面白かったかなあ。
冷たく、酸性で、栄養素がなく、酸素もない湿地に。
二千年以上昔の死体が保存されているんですよ。

なんてロマンチック(*´▽`人)なんでしょ。

しかも。
自然のダイナミズムとでも申しましょうか。
ミイラが多様なんですよね。

だって。
中身がない皮だけのミイラ(!)とか、あるんだもん。
それだけ聞くと、クトゥルー的なネタか? くらいの話ですが。
死体のあった場所の成分によって、残る組織が変わるので、そういうことが起こるんだそうです。
しかも、沼地の地形に沿って、死体がうねったりもするので。
結果、あんまり見たことのない、人体になってくるわけですが。

しかし、もう。
そこまでになると、もはや「人間」というより「自然」の造形物として美しく。
そういったところでも自然の作用の面白さを堪能できちゃうわけですよ。

大興奮∠( ˙-˙ )/ッす。

そういえば。
そこから発見されたのが、あまりにも新鮮に見える死体で、発見当時、地元警察が動いたために、ウッカリ妻殺しを自白した近所に住む人まで出た・・・。
みたいな星新一か、はたまたスコット・スミスでも書きそうな事件もありましたが。
その時に発見されたリンドウマンなんかも、いわゆる「沼のミイラ」でした。
「生贄」や「過剰殺害」などというキーワードを持ち出すまでもなく。
ローマ以前のヨーロッパ世界は、まだまだ分からないことも多いので。
それだけでもワクワクいたします。

ちなみに。
北ヨーロッパの沼地には、バクテリアなどを防ぐ水苔由来のスファグナンがあることもあげられております。
自分なんかは、防腐には防湿が必須であるという先入観があったので、これには大層な衝撃を受けました。
鮮度を求めるとき、考えられる要素ってまだまだあるんだなあ。
とかね。

それと。
中国のミイラは、今後どんどん発見されるんじゃないかな、と期待しておりますのですよ。

今現在、確認されている中国のミイラは人工のものでなく、自然にミイラになったものなのだそうですが。
日本の即身仏を思想的に支えたはずの、原型としての大陸文化には、ミイラ文化もあったに違いなく。
中国の人工ミイラ、まだ見つかっていない(あるいは研究中で認定されていない)だけなんじゃないかと疑っております。
もし、中国にミイラ文化があったとしても、歴史のなかでは一瞬のことだったとは思うし。
その時代にあっても、ごく少数の人間に伝えられた思想だか秘術だかだったろう、と推測すると。
それは過酷な中国史のなかで、簡単に淘汰されたのだろうけれど。
宗教や思想というものは簡単には棄てられないものだから。
きっと、どこかに隠されて、もしかしたら忘れられて、それでも今もどこかにあるのかも・・・・。
と、かように妄想いたしておりますのです。
だって広いんだもん、あの国。

でもね、でもね。
もういっぺん見たいのは、南米チャチャポヤのミイラですのよ。
きゅっとしてるミイラ袋❤
あのへん、まだまだ未消化なので。

とか。とか。
とにかく、面白いよっ(๑´ㅂ`๑)て。

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