皐月賞。ナムライナズマ。
競馬を始めて穴狙いするまでは、
結構時間がかかった方な私。
そんな中、
1996年に行われた第56回皐月賞は
ちょっと勇気を出して人気薄の馬から買った記憶がある。
2枠4番ナムライナズマ。
鞍上は、あのダイユウサクで世間をあっと言わせた熊沢騎手
(ダイユウサクといえば、馬主さんのお孫さんが「こうさく」君だからダイ”コウサク”にすべきところを、”コ”の線がはみ出てダイユウサクになったってゆうエピソード忘れられん)。
血統にも魅力を感じたので勝負した。
今考えるとかわいい、かわいい7番人気。
でも自分の中では、なんか割とドキドキしてた気がする。
資料によると、
前半59.2秒のペースをインで我慢、
3~4コーナーにかけて徐々に進出するナムライナズマ。
しかし直線では外に持ち出せず、
前を行くサクラスピードオーとダンディコマンドが壁になり
行き場を失ってしまった。
テレビに向かって
「抜け!なんとか頑張れ!」
祈るように見つめたが
外からイシノサンデーが疾風のごとく駆け抜ける。
ついでロイヤルタッチ、メイショウジェニエ…。
終わった。
「いや、なんだあれは?審議だろ!!」
熊沢騎手が立ち上がったように見えた自分は
なんだか納得がいかず、
誰かにあたりたいような、
早く原因を知りたいような気持に襲われた。
さきほど当時の映像を見たが、
どこかで外に出せなかったのが運の尽きだったか。
でも最後の脚色にはいいものが残っていたように思える。
勝つとか2着は無理だったにせよ、
3~4着には迫れたんじゃないか。
とにかく、
馬券を買っていなければナムライナズマを
今も覚えていることはなかっただろう。
さて、
1993年の今日、4月12日に生を受けた
父タマモクロス、母チャリスオブシルバー(母父グロースターク)の産駒は
2019年3月5日にこの世を去っていたようだ。
”ようだ”というのは、
全く知らなかったからだ。
あまりスムーズには天国に行けなかったみたいで、
あの皐月賞みたいに、
少しゴール直前は余計な邪魔をされたみたいだ。
ここには詳しく書かないけど。
人生は所詮うまくいかないことだらけだ。
時々ウンザリする。
ナムライナズマは、いわゆる”養老牧場”でも穏やかに暮らしていたそうで、
こんな優しい生命体が
なぜこんな目に遭わなければならないのかとイラつく。
ただ、
ダンスインザダークが鬼脚で制した菊花賞を
17頭中17番目にゴール板を通過したのち、
ひっそりとターフを去った重賞未勝利のナムライナズマだけど、
最後は心の優しい人たちに見守られて亡くなったと知って、
まだこの世は捨てたものじゃないのかなと思うようにする。