天皇賞・春。ライスシャワー。
天皇賞・春が来週末に行われる。
今年2024年で168回目のG1レース。
いろいろ思い出はあるが、
私にとっては、なんといっても
ライスシャワーだ。
このリアルシャダイの牡馬は
競馬初心者の私が気づくと、
ミホノブルボンが主役を張る3歳クラシックに挑んでいた。
ミホノブルボンはマグニテュード産駒の栗毛で当時話題になった
栗東・戸山きゅう舎の坂路スパルタトレーニングの鍛錬に耐え、
僅差ながらも前年の朝日杯を制していた。
小島貞博騎手を背にスタートから先頭をひた走り、
ゴールまで他馬に付け入るスキを与えない勝ち方で(朝日杯は危なかったが)難なく一冠、
ダービーに向けて、自分の記憶では、
果たして距離が持つかどうかの議論がすごく活発だったと記憶している
(そういえば、ミルジョージを母・カツミエコーにつけたがったが比較的種付け料の安いマグニテュードにしたエピソードも忘れられないです)。
話を端折ると、
前年のトウカイテイオーに次いで無敗の二冠馬に輝いたミホノブルボン。
その2着に16番人気で2着に入ったのがライスシャワー。
その後2頭は菊花賞に向け休養に入る。
一足先にセントライト記念を試走したライスシャワーは
レガシーワールド(のちのジャパンカップ勝ち馬)の2着。
その後京都新聞杯(当時は秋)にも出走、
ミホノブルボンと再戦を果たす。
結果、ダービー時あった0.7秒の差が0.2秒に。
十分な手ごたえをもって800m長い本番を迎えることになった。
当時の私はライスシャワーが関東馬だとか、
そんなことさえ分かっていなかった初心者だったので、
ミホノブルボンという強い馬が
三冠という偉業に挑む、というか、
おそらく勝つのだと思い、固唾をのんでレースを見た。
細かい話はとにかく省くが、
ライスシャワーが菊花賞を勝った。
ダービー前の低評価から約5か月、
ついにあのミホノブルボンを破ったのだ。
あと少しで三冠馬の誕生に立ち会える。
それも関東から来たライバルを押さえて地元の関西馬が。
その熱い期待が、
夢が、
それとおそらく外れ馬券が、
蒸発して宙に消えた。
そしてミホノブルボンの故障により、
2頭が同じレースを走ることはなくなった。
有馬記念に出走し2番人気になったライスシャワーは不可解な敗戦(8着)。
この時はライスシャワーが
京都の3,000m以上じゃないと、
ほぼ、勝てないような馬だとは知らなかったので(少なくとも私は)、
こう思うしかなかった。
古馬になったライスは
目黒記念→2着、
日経賞→1着でいよいよ天皇賞・春を迎えるのだが、
強力なライバルがいた。
鞍上に武豊を配したメジロマックイーンである。
マックイーンは天皇賞・春を2連覇中の名馬で
特に前年のトウカイテイオーとの激突はドキドキしたし、
その勝ち方はまさに王者のそれだった。
さて本番。
今でも覚えているのがライスシャワーの馬体重である。
「マイナス12キロ」
パドック中継を見て競馬素人の私は
「勝てる」と思った。
ただの勘であり、たまたまではあるだろうけど。
はたして、
まるで狼か狂犬のような姿のライス(そう見えたのだ)は鞍上の的場騎手に促されると
メジロの背後に影のようにはりつき、
またも京都の直線で悲劇を演出したのだ。
菊花賞時よりも8キロ軽く、究極までチューンアップされた関東馬は
メジロマックイーン3連覇の夢をあっさり吹き飛ばした。
私は単勝を当てた。
正直に言えば、嬉しかった。
良くわけが分からなかった菊花賞の時より
楽しめたし、興奮したし、
大げさに言えば、
大人になった感じがした。
しかしその後は振るわない。
その年の秋は全敗。
年を越して天皇賞・春連覇を目指すが故障。
ぶっつけで有馬記念に出走、
3着と好走するが結局1994年は未勝利。
95年は京都記念と日経賞に出走、
ともに1番人気ながら6着。
少しだけ覚えているのは、
ライスシャワーは”終わった”のだと、
結果から感じとっていた自分がいたこと。
でもね、
京都記念は60キロ(!)の斤量、
日経賞は59キロで不良馬場。
ちょっと混戦気味の今年なら(ナリタブライアンのダービー2着・エアダブリンなどがいた)、
まだやれる。
私はライスシャワーの単勝と
ライスシャワーと同じ、
他のリアルシャダイ産駒(確か4頭)へと流した。
馬券購入額は、今考えたら大したことないけど、
ちゃんと馬柱と顔を突き合わせながら、
自分にとって好きな馬に復活、いや、
ただ勝ってもらいたい、
勝つ姿をもう一度見たいという熱い思いを込めて賭けた。
一応言ってしまうと、
こんな気持ちは競馬歴が深まるにつれてなくなっていく、と思う。
レースは2コーナーを過ぎて動く。
今までは有力馬の後ろを影のように追走、
その有力馬が動いたらライスも動く、
そしてゴールの直線で抜き去る勝ち方をしてきたライス・的場。
しかしこの日は華奢なG12勝馬が敢然と動いた。
1番人気(この日はエアダブリン)についていくのではなく、
3コーナーまでに
「俺はここで行く」と、
他の馬や騎手とか関係なく、
自分のことだけを考えて自然に動いたように思えた。
「他のやつなんて関係ない」と言っているみたいだった。
あのレースの、
あの華奢な黒鹿毛が動き始めた夢みたいな時間を忘れないだろうと思う。
なぜ自分があんなにライスの進出に釘付けになったのか分からない。
馬券を買っているからという以上の感情だった。
まだ競馬歴が浅かった初心者の戯言と言われてもいい。
理由は分からないのに、
レースの途中だというのに、
ただただ涙が出てくるような、
ただただ圧倒されるような、
それほど印象的な時だった。
山の上の頂上から堂々と先頭で坂を下る。
ここまであんまり勝てなかったけど、
ライスはいつも頑張っていたんだ。
4角先頭のライスシャワー。
そう、
過去にミホノブルボンやメジロマックイーンがしたように、
今日は後ろから迫る挑戦を受けて立った。
ゴール直前、
同じリアルシャダイ産駒のステージチャンプに迫られるが、
勝った。
有名なシーンだが
ゴール直後、
ステージチャンプの蛯名騎手がガッツポーズをしている。
でもレース直後のインタビューで的場騎手は
それでも自分が勝っているんじゃないかと思ったという旨のことを言っていたと思う。
自分も、そうだ。
「勝った!」と感じた。
やったんだ。
やってやったんだ。
淀の長距離で負けてたまるか。
つらい思い出だけど、
宝塚記念もライスシャワーの単勝を買った。
今思えば勝てる条件じゃなかったかもしれない。
でも、当時は特に、宝塚以外の選択なんてあるはずない。
そうだ、天皇賞・春みたいに、
スタミナにものを言わせて早め早めに動けば勝てるかもしれない。
でも、そんな競馬はできなかった。
ここまでの激戦の疲れでも残っていたのかもしれない。
まさかレース後にあんな気持ちでテレビの電源を切るなんて思っても見なかった。
あんなつらい思いは、少なくとも競馬では、今までしたことがない。
サイレンススズカの時を振り返ってみても、
年を重ねた自分は
悲劇や喜劇の傍観者でいることが上手くなってしまっていた。
あの年の宝塚記念は京都だった。
G13つ全てを京都で勝ったステイヤーが
京都で散った。
死後の世界なんて信じないけど、
ちょっとだけ、
最後が京都で良かったのかな、なんて考えたりする。
もうあんな馬は出てこないと諦めを感じながら。